見出し画像

#189 ホームレスとずっと意気地なしだった私


無意識だけれど、思考を停止して楽になりたい事がらってあると思う。
嫌いな言い方だが『見て見ぬふり』ということになる。
そのくせ、自分の心は痛んでいる‥‥
頭のなかでは、
~飛んで行ってしゃがんで目を見て挨拶をして、お互いにフッとでも笑顔になれる会話をして、
それから、何が必要なのかを聞いて、応じる‥‥~
そんなシミュレーションがぐるぐる回っているのに、
実際の私は近くにさえ寄れずに足も止められなかった‥‥

それが街でホームレスの人を見かけた時の自分の姿だ。

遠くからでも気づいているのに、あれこれぐるぐる考えて、なにもせずに通り過ぎる。
これがだいたい普通の私だ。
自分の心は痛んでいる‥‥
意気地いくじのない自分自身に失望している。



日本で以前、橋の下でたむろするホームレスの男性たちに勧められ、夫と一緒にお酒をいただいておしゃべりしたことがある。
それはなんだか心地よい記憶だ。
その程度なので、私には日本でのホームレスについて語れるほどの経験がない。

イギリスでは、街にでれば、うずくまるように座り目の前のうつわにお金を乞う、ホームレスの人を見かける。
気候の良い夏の野宿であれば楽しめる要素はあるかもしれないが、厳しい冬の気温のなか『ホームレス』として生きることがどれほど過酷であるか、想像に難くない。
自治体でも建物のなかに簡易ベッドを置いて、ホームレスの人たちを夜間受け入れるような体制はあるようだ。

私はいつも『熱いシャワー』ほど人間の尊厳に大切なものはないわ~、などと考えながらシャワーを浴びている。
そんな時ふと、ホームレスの人に「シャワーだけ浴びにおいでよ」と言いたい気持ちに駆られる。
思うだけなら誰でもできる。
ただ私は一度も行動していない‥‥


イギリスではホームレスとドラッグ (Drug) の問題は切っても切れないものがある。
よく、「ホームレスにお金を渡すとドラッグ代に消えるのだから、問題を助長する助け方をせずに、食べ物か飲み物を渡せ」と言われる。

実際、私のような人を疑わない人間は、ホームレスではなかったと思うが、困窮しているティーンエイジャーに騙されたこともあった。
ある都市の駅前で、何も食べていない、いくらあれば○○が買えるから助けてほしいと言われ、渡し、もう一度戻って来てあといくらあれば電車で母のところに行けると言われ、渡した。
その男の子はその後、ご丁寧に自転車で私のそばを通り、舌を出してひらひらと手を振って去って行った。

可哀想に‥‥と感情移入をした自分だったが、それは夫と週末の遠出のために待ち合わせた駅で見ず知らずの人から裏切られた話であり、
ショックが消化器官に顕著に出てしまい、特別に用意されたディナーを全く食べられなかった私がもっと可哀想だった。

都市を歩くと、ホームレスの人が溢れていた。誰かに何かを渡しても、「キリがない‥‥」そんな気持ちになった。

「あと○○ポンドあれば、この街のシェルター施設で今晩眠れるんだ」といって援助を乞われる。ドラッグ欲しさの口から出まかせでないと言い切れるか‥‥? 持っているお金をわざわざ見せてもらって話す金額が一致するか確かめたこともあった。
騙されるのが嫌なら初めから助けようなどとしないほうがいいのかもしれない。つまり、助ける覚悟があるなら騙される覚悟もしたほうがいいということなのか‥‥ 今なら「持ってるお金見せて」と言った自分、何様⁉と指摘したい気もする。


何年も何十年もホームレスの人の居る風景を見てきた。

彼ら彼女らも同じ人間同士だ。サポートをするしない以前に、目を合わせて微笑んだり挨拶できるのがいい‥‥ なのにそのさりげなさが難しかったりして、自分のぎこちなさに汗をかいたり‥‥

いつも自分を揺すぶられてきた。

お金を渡したこと、飲み物を渡したこと、The Big Issueを買うことでサポートしたこともあるけれど、多くの場合は通り過ぎた。もしその都度わずかのお金を渡していたら私は今貧しくなっていただろうか‥‥ 
もともとの貧乏だ、大差はなかったはずだ。

私は、『正しいこと』をしたかったのかもしれないと思う。
『正しいこと』への自問自答で疲弊したのかもしれない。
~こんな寒い日は、温かいチキンパイが嬉しいと思うけど、お店はちょっと先だな~。同額のお金をあげたらもっと自分の食べたいものにたどり着けるのかも‥‥、でも現金渡して体によくないものに変わってもいいの?
そもそも私だって無職だから、温かいチキンパイは買わず、家に帰って食べようとしている身じゃん。
あ、でも自分は家に帰って食べたいものを料理できるんだよ‥‥
ありがたいな。でも誰かを見て、自分の恵まれた境遇に感謝するってなんか間違ってないか‥‥~
結局答えは見つからない。


昨日も寒い日だった。

商店街に布団に丸まって座るホームレスの男性が煙草を吸いながら本を読んでいる、おかれたうつわには小さなつり銭しか載っていない。

私は寒いのが嫌いだ。
この寒さをじっと耐えている人の前にしゃがんだ。出ていた手の甲を両手で包むようにしてそっとお金を渡したら、彼としっかり目が合った。

自己満足でももうなんでもいい。
煙草代になったっていいではないか、それがこの寒さのなかで彼を一番癒すのであれば‥‥
お金を渡された瞬間だけは、誰かが自分を想ってくれたと伝わるのだ。


こんな些細なことを『自分で決めて』できたことにホッとした。

これは『これからはホームレスの人にお金を渡します』という宣言でもなんでもない。

ただ、ある時スーパーの前に座るホームレスの人に、「買い物して出てくるけど欲しいものある?」と訊いていた男性のスマートな援助が羨ましかった。私の息子たちもホームレスの人が居たら必ず声を掛けて、お金を渡しているのを見た時も、私みたいに想うだけじゃ全然優しさじゃないと感じた。


だから、私も動いた気持ちを小さくてもカタチにしていけたらいい。

自分の心を痛ませないように‥‥


最後まで読んでいただきありがとうございます。スキのハートは会員じゃなくてもポチっとできます。まだまだ文章書くのに時間がかかっておりますが、あなたがスキを残してくださると、とっても励みになります♥