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#185 手を繋ぐ相手は夫と決まっていた


クリスマスの期間、帰省していた子どもたちとよく散歩した。
彼らの後ろを歩きながら気づいたことがある。
夫と私は手を繋いでいるが‥‥

そういえば息子たちとはいつの頃からか、絶対と言っていいくらい手を繋いでいない。
いや、そりゃそうなのだ。思春期からの息子と手なんか繋ぐはずもないし、25も過ぎて角が取れ、甘えてくれるようになっても、それでも息子とは手は繋がない。

当たり前だ、というのもちょっと違うように思う。もしも息子が保護や支えの必要な存在であれば、躊躇すらしないでやれることだから‥‥


我が家の後ろ隣りに、老夫婦が住んでいらっしゃる。この町の人口の大半がそうであるように、彼らも白人英国人同士だ。
歳の頃は私の親くらいか、やや上かもしれない彼らは、いつも手を繋いで出掛ける。
なんの気負いもない、日常のひとコマなのだけれども、彼らはとてもお似合いで、とても可愛らしい。


チャーミーグリーンを使うと手を繋ぎたくなる〜♪

というテレビCMを憶えている方はいらっしゃるだろうか?手に優しいを謳い文句に、手を繋ぐ老夫婦が登場する。
若かった私などは『あれこそが将来の理想』と胸に描いたものだ。
1980年代に、老後の夫婦のひとつの指標のように言われた気がするが、今となっては興味深い‥‥

『興味深い』と言ったのは、自分が、夫婦が手を繋ぐことが当たり前の国に長く住むことになったからだ。
あの頃、老夫婦がウキウキで手を繋ぐ姿は、日本人にとってはきっと、新鮮な驚きだったのだろうし、
それはきっと今でもあまりかわっていないような気もする。


トップ画像はフリー素材からお借りしたものだが、本当なら我々の歳に見合ったもっと年長のカップルのものを‥‥、と探したのだ。
手を繋いだものを‥‥と探していたら、一枚だけ違う手のつなぎ方を見つけて、一番私たちのつなぎ方に近かったことが、選んだ理由だ。

なにしろ、このつなぎ方に『恋人繋ぎ』という名前があることを最近知り、ぶっ飛んだ次第だ。

還暦近い私たちがいつもしているのは、なんと『恋人繋ぎ』だったとは、と不思議な気持ちになった。

実を言うと、いつも通りnoteの みんフォトからイメージに合う画像をお借りしようとしていた。ところが、男女が手を繋ぐものよりも、圧倒的に大人と子どもの手であることが多いのだ。


その社会に居ないと、社会通念がなかなか実感できなくなるので、想像でしかないのだけれど‥‥
言わせてもらえるならば、
日本では夫婦が手を繋ぐことにすら気恥ずかしさがあるのかもしれない‥‥


最近読んだ本の「はじめに」の部分にこんな記述を見つけた。

米国バージニア大学の博士らが、良好な結婚生活を送る16人の既婚女性を対象に「夫の手を握る効果」を実験したところ、面白い結果が出たという。実験は、「誰の手も握らない」「夫の手を握る」「知らない男性の手を握る」という条件下で、ごく軽い電気ショックを既婚女性に与えてストレスを課し、反応を脳スキャンで調べる。その結果、脳のストレス反応は、夫の手を握っている時に最も沈静化することがはっきりと示された。

井形慶子著『イギリスの夫婦はなぜ手をつなぐのか』より

そしてこう続けられる。

特に結婚生活への満足度が高かった女性は、夫の手を握ることで痛みを感じる部位にも沈静化が見られたという。
夫婦が手をつなぐことは、心身共に安らぎにつながるのだ。

井形慶子著『イギリスの夫婦はなぜ手をつなぐのか』より

こんなことは、言われてみれば当然のことのように思える。
おかあさんが子どもに手を当てて「痛いの痛いのとんでけ~」と言ってくれた時。
不安な診察や痛い治療の際に、優しい看護師さんがそっと手をにぎってくれた時。
皮膚と皮膚のふれあいによってオキシトシンという幸せホルモンの分泌が促される‥‥などと言われなくても、私たちは体験的に知っている。


去年の6月、パリのモンマルトルでのトイレにまつわる惨事をnoteに書いている。閲覧要注意なほど赤裸々な話のなかで私が言いたかったのは、
あのような極限の体験を共有できる相手は世の中に夫以外いないということだった。
その事実に妙に感動していた。

そしてまた、冒頭の気づきになるのだ。

ハタ、と気がついたら、手を繋ぐ相手は夫と決まっていた、ということ。



気づいたら習慣になっていたことがある。

夫と私は毎晩眠りにつく時に手を繋ぐ。
私たちがそうするようになったのは、4年くらい前、私が一番弱っていた時だ。
自分の価値がわからなくて不安症状に苛まれた時、繋がった手の暖かさだけは、私という存在を包み込んでくれていた。
「自分なんかいなくなれ」
そう思っているときでも、その手だけは私を離さなかった。

ロマンチックだと言われる方があるかもしれないけれど、そういう自覚があってのことではない。
ふたりが話すこともなく、暗闇に飲み込まれるような夜でも、手だけは繋いで眠りに落ちた。



『手を繋ぐ』‥‥
今は喧嘩した後うまく謝れない時や、
逆に、怒っていたんだけど「まあ許してやるか」なんていう時にも、無言で示すメッセージみたいなものになり替わりもする。

それは言ってみれば、『運命共同体』の合図みたいなものなのかもしれない。




投稿後記になりますが、最近息子が撮ったこんな写真を見つけました。無意識ではありますが、どういう手の繋ぎ方⁉ なんだかよくわかりません(笑)

淡々と‥‥




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