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誕生

※Evernoteで書いたものをそのままコピペしたものです。

今日も私が生まれる

オーナーフローを決めて
女声を喋って
図書館で本を借りて
たまに曲を作って
こうして、詩を考えてみて
まあ心鏡の湖の好きなことだけれども

私の好きなことをすると
私が生まれてくる
それでお祝い、お赤飯だ
もちろん毎日お赤飯を食べるつもりはない

ときに、嫌なことがあって逃げたくなることもある
イライラはするし
物事が上手く進まないし
時間の流れは残酷で
気付いたら季節は冬だった、なんて

こう考える日に私は生まれない
けれども、そういう日は必ずある
毎日私が生まれたら、痛く苦しいと思うし
それはそれで怖い
毎日、誕生日ケーキを食べるなんてごめんだ

だが、まったくケーキを食べないのは悲しい
クリスマスなんてただの平日だと考える人はいる
なんなら、誕生日で歳を重ねてしまうことを悔やむ人もいる
生きていてつらくはならないのだろうか?

もっとケーキやお赤飯を食べてもいい
喜ばしいことを喜んでいい
2020年12月3日と別れを告げた
悔やんでも仕方がない

好きなことをして
美味しいものを食べて
今このときが幸せだと感じる

そして、私は生まれてくる

心鏡の湖

***

文章自体は難しくないですが、だいぶ謎めいた詩になっていますよね。
例えが飛び交っていて、詩だと主張しなければ、「なんだこの支離滅裂な文章は!?」と思うでしょう。
しかしこれは詩です。言葉の美しさがあれば、もはや何でもありなのが詩なのです。

「私が生まれてくる」という表現。
実際、私は母親から生まれたのでしょうけど、"まったく同じ人格を持つ、もうひとりの私"が生まれることはありません。
私は私自身から生み出されるものです。人間としてではなく、思考が生まれてくるんですよね。つまり、「私が生まれてくる」の私は、「自分にとってプラスに働く思考」を指します。自分にとって好きなことをすれば、自分にとってプラスに働く思考が生まれます。おまけにプラスの感情もです。

めでたいことがあればお赤飯を食べると言われていますが、実際に私は好きなことをしたら毎食お赤飯を食べているわけではありません。当然ですが。
けれども、お赤飯を食べるかのように、めでたいことをめでたいと思うことは可能です。つまりは、「良いことをしたらもっと良いと思うようにしよう」、といったことになります。ひと言にまとめれば、「オーバーリアクション」。

対して、嫌なことがあったら生まれない。プラスに働く思考は生まれません。マイナスに働く思考は生まれるでしょうけど、この詩では、存在しないものとして扱われています。(私の場合は気分障害によって反芻思考が発生してしまうこともあって、基本的に反芻思考が起きないような環境を整備していますし、今後も環境構築をしていくつもりです)

ここで「毎日私が生まれたら、痛く苦しいと思うし、それはそれで怖い」という文章があります。これは「生まれる」の本来の意味である「出産」に視点を移しています。毎日出産とか、どんな苦行だよって話になります。転じて、「良いことばかりが起こると気疲れすること」を意味しています。ストレスというのは悪いことだけでなく良いことにもかかるため、良いことばかりが起こっても疲れてしまうのです。また、順応と依存の影響もありますから、良いことにしろ悪いことにしろ、刺激の強い環境が長期間続くと、人間としてそれが定着してしまいます。健康から逸脱する刺激であればあるほど、不健康になるというものです。

人生というのは良いこともあり悪いこともある、この塩梅こそが人を豊かに、健康にしていくのですね。(個人差はありますが、各々が普段行っているライフスタイルこそがそのまま健康へ繋がっていくのでしょう。もちろん、内的要因や外的要因によって、普段のライフスタイルが健康に結びつかないこともあります。そうなれば慢性的な体調不良となるはずです)

「まったくケーキを食べないのは悲しい」というのは、喜ばしいことがない、刺激が弱い、何もないということです。または、刺激に慣れたか、元からそういう体質なのか、喜ばしいことに気付いていないことです。あくまで例えとしてですが、トレンドや他人から極端に離れたり拒絶したりと孤立する人間や喜ばしいことが喜ばしくないと思う人間は、非合理的な思考パターンに陥っていることがあります。いわゆる「認知の歪み」というものです。これにかかったまま放置すると気分障害を悪化させることになります。

「生きていてつらくはならないのだろうか?」と尋ねていますが、認知の歪みを抱えている人は生きているのがつらいですから、まあここで心に強く引っかかると思います。

次の段落で前の段落の対策を言っているようですが、実際は認知の歪みを直すのは特定の方法があります。(ググってね)ここで一般的な対策として謳っているのが、喜ばしいことはさらに喜び、考えても仕方のないことは考えないことです。「2020年12月3日と別れを告げた」と、やや冗長の表現をしていますが、ここでは「過去には戻れない」という在り来たりの表現を避けています。「~ない」という否定的な文章は印象に残りますが、今回は具体的な日付を設け、字面の複雑さを用いて印象を持たせています。

本当は「2020年12月3日はもう死んだ」のような表現でも良かったのですが、かなり重たい雰囲気になってしまうために、別れるといったソフトな表現を選びました。「生」の逆としての「死」ではありますが、言葉のニュアンスとして、強烈な否定を表現しているため、どうにもならない失敗とも捉えられるのです。実際そうなのですが、それでは失敗が強すぎて、成功へのバネが機能しない可能性があったためです。

好きなことをして、美味しいものを食べる。そうすればプラスへと働く。まあそうでしょうね。

解説が終わりました。詩自体は10分くらいで書いたものですが、解説に1時間かかっているという。詩の良さは何と言っても、具体的な説明や文章の間違いをある程度考慮せずに書けるという点です。思ったことをそのまま書くことって、とても心地のいいものなんです。小説みたいに整合性を取らせるために手が止まることがなければ、川柳のように文字短縮やワードセンスを問われることもありません。非常に都合のいい形式です。ただ、罫線のないノートのようなもので、ルールがなければ幾らでも表現でき、優劣の幅が大きくなるともいえます。しかしここで優劣なんて選ぶ必要はあまりありません。なにせ、詩を否定することは、その人の心情を丸ごと否定することになりますから。

詩は、自分の気持ちを投影できればそれで十分です。あとは、恥ずかしいとか軟派などと思わなければ。

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