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【小説】奔波の先に~聞多と俊輔~#139

24 維新の終わり(10)

 次の朝、馨は博文に文を書いた。木戸の死を知ったこと、三年の遊学といったが復命あれば帰国する準備でいること、共に力を合わせてやっていこうと記した。そして、いつでも帰国できるよう、準備をしようと心に決めた。
 馨は、この平安がもう終わりを告げているのに、残念な気持ちがない事に気がついた。これからの時間は緩んだ頭を締め直し、こちらでやり残したことはなくすよう努めようと考えた。
 まずは密航のときの恩人ウィリアムソン教授に会いに行こう。住所は家主のエミリーさんが調べてくれて、教えてくれた。英語のレターは緊張するが、書けなくてどうする。

 客人達が帰ったあと、馨は武子と未子に話を切り出した。
「事情が変わってきたようじゃ。多分丸々三年ここにおるということは無理かもしれん。再び来られるかわからん所じゃ。心残りの無いようにして欲しい。武さんもお末も行きたい所があれば教えて欲しいの。わしはオーストリアのウィーンは、行こうと思うとる」
「私はもう一度パリでオペラが見たいですね」
「末はどこでもいいです。せっかくフランス語を学んでいるので、フランスに少し長くおられたらうれしいです」
「よう分かった」
 寝室で二人きりになった時、馨は武子に尋ねた。
「帰国が早まるかもしれんと言った時、理由を聞かなかったな」
「そうでしたね。お国に重大事が起きていることは存じてます。いよいよ井上馨の出番が来た、ということでございましょう。嬉しく思います」
「さすがは武さんだ。心強いの」
 そう言って、馨は武子に口づけをした。その唇が首筋を伝って居りてくるのを感じながら、武子はこのように、夫を自分だけのものにしている時間が、終わりを告げているのだと思った。そういえばこちらでは、女遊びをしている様子はなかった。誰かが馨は会話を楽しみ、女を会話で落とすのだと言っていた。この人にも言葉の壁があったのだと思うと、何故か楽しかった。

 ウィリアムソン教授から返事が来て、ぜひ会いたいと招待を受けた。こんなときのためにと、日本から持ってきた工芸品を持って、訪ねていった。
「志道聞多です。今は井上馨と言う名前になりました。本当にお久しぶりです。お招きありがとうございます」
「聞多。よく来てくれました。エマもエミリーもこうして元気です」
「エミリーは覚えていないね。まだ小さかったからな。エマさん、忘れないでいてくれて、とても嬉しいです」
「あなた達の頑張りは、本当に尊敬しています。ご活躍ぶりは私達の誇りです」
「みんな立派におとなになってます。仕事だけでなく家庭も。一番下の弥吉、今は井上勝というのですが、勝も父親になっていますしね」
「弥吉に子供が」
 ウィリアムソンはそう言うと娘のエミリーと顔を見合わせた。
「弥吉はエミリーと結婚の約束をしていたのですが」
「えっ、結婚の約束ですか」
「本当です。私は弥吉のお嫁さんになると言ったら。弥吉はイエスと言ったのです。ずっと待っていたのに」
「弥吉は娘の心を傷つけた。訴えます」
 そう言いながら目は笑っていたので、馨は冗談だと受け止めていた。でも、本当にエミリーに恋心はあったのかもしれない。
「それは重大な約束違反ですね。私が代わりに弥吉を懲らしめておきます。それで、ご勘弁ください」
「エミリーそれでいいかい」
「はい、仕方ないです」
「そうでした。これ、日本から持ってきたお土産です。開けてみてください」
 蒔絵の文箱だった。二重になっていて、中に少し小さいものが入っていた。
「きれいなものですね」
「日本の工芸品で、蒔絵といいます。大小2つありますから、お二人でお使いください」
「私がもらってもいい、パパ」
「どうぞ使ったらいい、エミリー。聞多にお礼を言いなさい」
「ありがとうございます。大事に使います」
「どういたしまして。機嫌が治ってくれて嬉しいです」
「教授、どうですか。日本人留学生は頑張っているでしょうか」
「最近は、以前ほど皆がという感じではないかもしれないです。頑張っている学生とそうでない学生もいるというところですね」
「そうですか、皆に頑張るよう尻を叩かなくてはいけないようですね。貴重なお話ありがとうございました。日本に帰りましたら、このこと仲間たちに伝えます。本当に知り合えて、幸せなことです。改めてお礼を申し上げます」
「弥吉にぜひともよろしくおねがいします」
「ふははは、大丈夫です。それでは失礼いたします」

 ウィリアムソン家をあとにした馨は変わらず温かいもてなしにホッとした。
 それにしても勝の話は面白いと思った。からかってやろうという悪戯心もあって、ウィリアムソンさんとエミリーが非常に怒っている、どうするつもりかと文を書いた。
 これに勝は馨がよくわからないことで怒っていると、博文にとりなしを頼むというちょっとした騒ぎになっていた。

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