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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#113

21 大阪会議(3)

 三井組の事務所に馨は向かった。自分から行くことになるとは、と少し不思議な気がしていた。
 受付に顔を出すと「井上馨というものじゃ。大番頭の三野村さんにお会いしたい」と用向きを告げた。
 係の者は少し緊張した声で「ご案内いたしますので、そちらにお座りいただき、お待ち下さい」といった。
 しばらく待っていると、三野村についている顔を見たことがあるものが出てきて「これは井上様、たいへんお待たせいたしました。ご案内いたします」というと、先導して三野村のいる事務室に連れて行った。
「井上様がお入りになります」
そう言って、扉を開けたので、馨はその部屋に入っていった。
「これは井上様。お久しぶりでございます。そちらにお座りください」
「三野村も久しいの」
「先収社のご活躍、皆噂しております」
「大したことではない。ただ、益田孝という男なかなかなもので、色々任せておけるのは心強くての」
「良いお方を右腕にされておいでですか」
馨は嬉しそうに笑った。そしてすぐに厳しい顔に戻した。
「それで、本題だが。小野組がどうも怪しい事に気がついたのじゃ」
「怪しいとは」
「小野組の経営がうまく言っとらんようじゃ。破産も考えんといかんかもしれん」
「それは三井にとっても、由々しき事態にございます」
「第一銀行は、三井と小野の出資割合の応じた責任負担に、約定を変えようとしておる。そうでなくては銀行だけでも大変なことになるの」
「確かにそうでございます」
「もう一つ政府の御用金のことじゃ。保証金の積み増しが要求されるかもしれん。たとえば10割になったら三井は用意できるか」
「現金だけでなく、国債も合わせればなんとかなるかもですな。いえ何とかいたします」
「三井ぐらいは、残ってもらわんとならん。大隈にも相談したらええ」
「そういえば銀行はどうなっとる。諦めてはおらんのだろう」
「はい。ただ古い方々のご納得がいただけず、苦労しております」
「三井家か。分家も多いからの。呉服と為替と分けるとしても…」
「会社組織も考えてはおりますが」
「そうじゃ。資本と経営を分けるというのはどうじゃ」
「三井家の財産を管理する部門と、実際の為替方などと分けるんじゃ。そうするとうるさい方々ではなくなるだろう」
「はぁ確かに。しかし三井家の頭領とのことになります。ただ御上の御威光も必要になるかと」
三野村は馨の顔を上目使いで見た。
「ぐっ。大隈にでも頼め」
「お心遣い誠にありがとうございます」
 三野村は馨の今回の動きに、思っていた以上ことだと感心していた。ここまで頼れるのなら、自分にもしものことが会っても、大丈夫かもしれないとふと思った。
 それからすぐに、御用金の保証として10割の保証金が求められた。小野組は保証金を出すことができず、破産することになった。三井は色々手を尽くした結果、保証金も用意でき、生き残る事ができた。
 
 木戸から文が来て、京都にいるから、大阪出張の折に顔を出してほしいとあった。近々大阪に行く用事があるので、ぜひお伺いしますと返事をした。その前にやらなくてはいけない事があるな、とよばれた家で考えていた。
「井上さん、きいてます?」
「林すまんな、せっかくだがまた出直す」
そう言って、退出していった。門を出たところで不意に手を掴まれた。馨は驚いてその手の主を見た。
「俊輔、どうしてここに」
「聞多にあいたくて、家に行ったら外出しているというから、どこかって聞いたら林君の家だというから」
「それで」
「武さんに、きいたら他に用事はないようだって言っていたし。ゆっくり遊びたいので一晩お預かりしますと言ってきたから、帰らなくてもいいんだ」
「わかった。俊輔に付き合えばええんじゃろ」
「よし、そう決まったら行くんじゃ」
二人は柳橋の茶屋に行き、芸姑を侍らせ楽しんでいた。
「俊輔はお末に会うたことあったかの」
「そうか姉上のお子を養女にしたんじゃったな」
「生子ちゃんより年上じゃ。ただイギリス人家庭に預けて英語やら学ばせちょる。当代きってのレディにするんじゃ」
「聞多はやることが思い切っちょるなぁ」
「武さんにも時々呆れられとる」
「聞多、君の話のおかげでうまくいった。大久保さんや岩倉さんからも認められたんじゃ」
「それはよかったの。でも台湾の件は。木戸さんとはどうなんじゃ。大久保さんだけじゃのうて木戸さんにも、しっかりやってくれよ」
聞多は俊輔に酒をついでいた。
「今日は聞多が客じゃ。全然飲んでおらんじゃないか」
博文はそう言うと酒をついだ。
「聞多、大久保さんが木戸さんに戻ってきてほしいらしい」
ふあぁとあくびをしていた馨は、気の抜けた声のママ答えた。
「わしにできることなど無いぞ」
「大阪まで連れてきてほしいんじゃ。大阪で大久保さんと合わせたい」
「俊輔が自分でやりゃぁ」
「僕では駄目だから頼んでる。君と僕で木戸さんと大久保さんをまた結ぶんじゃ」
「木戸さんがそれに乗るかの。まぁ聞いておいてやる」
そう言うとまた大きな欠伸をした。博文は藝妓を下げさせると、布団を用意させた。
もう殆ど寝ている馨の袴を脱がせると、布団に転がした。
「うーん、いたいなぁ」
「こういうの久しぶりだ。昔はよくひとつの布団で寝たね」
「ぼくは聞多に追いつき追い越せた。やっとだ」
「きみはぼくよりさきにはいかせない」
そういいながら博文は馨の髪をなでていた。
「う〜ん」
そう声を出すと、馨は寝返りを打った。その隙間に博文は体を横たえた。
「これでも、枕をともにしたと言えるのかな」
朝が来て、馨が先に目を覚ました。
「うん、ここは。あっ俊輔じゃ」
抱きつかれている手を離そうとすると、博文も目を覚ましたようだった。
「俊輔すまん」
そう言って馨は身支度を整え出ていった。
 俊輔は一人で目が覚め、朝飯を食べて出ていった。
「お会計は井上様がお済ませでございます」という女将の声に見送られた。

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