【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#18
策動(3)
聞多は翌日から動き出した。
晋作や桂と話をつけること。
そして、エゲレスに行くための道筋を掴むこと。
まず高杉に世子様の言葉を告げ、都に行くことの確約を取らねばならない。その後は桂に会いいくつかの約束をしてもらう。
これが数日の間にできなくては、異国に行くことはできないかもしれない。頭を下げまくるか、それくらいしかできそうなことは浮かんでこなかった。
「高杉、いるか」
聞多は声をかけると、高杉の部屋に入っていった。
「来たな。京から誰がくるかと待っていたら聞多とはな」
愉快そうに晋作が笑っていた。聞多はその笑顔にムカついていた。
「わしでは不満か」
どうにも腹の虫が治まらないでいた。
「まぁ予想の範囲だな。久坂は離れられんだろうし、他のもので、僕を言いくるめる事ができそうなのは、君ぐらいだろうってことだ」
何でこんなに楽しそうにしているのか、晋作の頭の中を、かち割ってみたくなっていた。
「ふん、その久坂の言葉だ。これからは京が中心で動く、将軍の上洛も決まっている。京に来てやるべきことを一緒にやってほしい。とのことだ」
遊んでいるのはお前くらいだと怒鳴りたくなるのを、どうにか抑えていた。そんな聞多の気持ちを知ってか知らずか、つまらなさそうに言っていた。
「ふん、それで面白いことでもやれるとでも言うのか」
「いいじゃないか。京も色々面白いぞ。わしは一緒できんのが残念じゃ」
晋作はあれっという顔をしていた。確認するように尋ねていた。
「聞多も一緒に京に上るのだろう」
晋作の顔を正面から見て、聞多は言った。表情の変化を見逃さないように。
「確かに京には共に上る。その後多分、亡命扱いでお役目から外れるはずじゃ」
聞多は姿勢を正し、手をついて頭を下げた。
「すまぬ。わしを盟約から外してほしい。わしだけじゃない、俊輔と山尾の3人じゃ。どうしてもエゲレスへ行く。勉強をしに行きたいのだ」
少し間をおいて高杉が答えた。
「ふむ、それも一つの攘夷に違いない」
あっけなく終わった。
「わかってくれるのか」
今までの鬱憤はどこに行ったのか、と思うくらい明るい声がでて己でも驚くくらいだった。
「聞多の宿志実現か。エゲレスに行って形にして来い」
こんなに心強い言葉今まであったのか。気安いといえばそれまでだろう。晋作が応援してくれることが、こんなにも心強かったんだ。
「ありがたいのう。海軍と言えばエゲレスじゃ。きっと我が物にしてくる」
聞多は頭を上げて続けて言った。心からそう思えた。晋作の笑顔が、道筋を照らす光にも思えた。これで、一歩進んだ。
「それはともかく、3日後には出発するので、準備するのを忘れんでくれ」
「あーわかった。京には行ってやる」
高杉との打てば響く感じが、聞多にはかけがえのないものに思えた。但しこれから色々話さなくてはいけない人達とも、上手く行けるかは別問題だと気持ちを引き締めた。
「わしはまだやらねばいけん事があるんじゃ。己のことはやっちょいてくれよ」
高杉にそう言い残して、聞多は去っていった。後ろ姿を見ながら高杉は、この男の行動する姿が羨ましかった。自分の中の正解を形にする事が難しいのは、この男だって同じだろう。なのに自分は、ただもがいているしか、出来ていない気がしていた。なにか形になるものが、できたことがあったかと。
聞多は次は桂と会わなくてはと考えていた。その前に今回の旅費を会計方にもらっておこう。高杉との旅だ、きっと面倒がいっぱいありそうだ。余分に貰っておかないときっとやってられん。
そうして交渉で銀百匁手に入れた。足りなくなったら追加できるよう桂さんに取り計らってもらおう。それも重要な事案だ。
桂に面会を求めるとすんなり通された。
「俊輔から話を聞いたぞ。エゲレスに行くことを考えているそうだな」
「そうです。わしら攘夷を働く為にも、異国を知るべきだと考えました」
「なるほど、確かにそういう考えもあるの。村田蔵六がここの者は洋学が身につかんと、嘆いておったから良いことだと思うだろう」
村田蔵六、たしか晋作が火吹き達磨と言っていた、あの。
「村田蔵六様ですか」
鍵になる人物かもしれないと頭に残すため、聞き直すふりをした。
「私が口説いて招いた学者だ。きちんと挨拶しておいたほうが良いぞ」
桂が笑いながら言った。これは間違いなく会うべき人物だと、聞多は思った。
「実際行けたら面白いだろうな。私も行きたいくらいだ」
思いもがけない言葉に、聞多はどう反応したら良いかわからなかった。
「いずれ行くことができるようになるでしょう。その時はぜひご一緒に」
そう答えるのでいっぱいだった。続けて言った。
「高杉との上京の件ですが、費用の事よろしくおねがいします。とりあえず銀百匁頂きましたが、高杉には七十とするつもりなので、口裏合わせおねがいします。その上追加できるよう取り計らって下さい」
「あぁわかった、好きにしろ」
「ありがとうございます」
聞多が立ち上がろうとすると、桂が話しかけてきた。
「俊輔を連れて行ってくれよ」
「当然です」
聞多は笑いながら答えて出ていった。
これで一通りの事は済んだ。気になったのは村田蔵六の事だった。気難しそうな蘭学者で兵学者、江戸留守居役でもあったかな。こういう流れで桂が口にしたのだから、間違いなく関係者の一人か。覚えておくべきだと聞多は考えた。
後は俊輔の役目がどうなっているか、確認してから江戸を立ちたいものだ。遠藤謹助の事は、山尾に任せてある。大丈夫だろう。山尾は京にいるんだけどな。
翌日俊輔は聞多を訪ねてきた。
「よかった。まだおったんですね」
「こっちこそ、話をせなと思うちょった」
あまり元気のない俊輔を気遣っていった。
「俊輔、役目の方はどうじゃ。一緒に京に上ろうと言いたいところじゃが、無理せんでええ。どうせ江戸に戻ってくるんじゃから」
「そうですね。なかなかうまく行ってないので。皆が江戸に集まるのを待ちます」
俊輔のがっかりする顔を見て、聞多は笑った。
「大丈夫じゃ、異国は逃げん。一緒に行こうなぁ」
「そうじゃ。一緒に行きましょう」
まだやり残した事があり、時間が惜しいと聞多が言ったので、俊輔は早々に立ち去っていった。
なんとなく俊輔は高杉とも、話をしておきたいと思った。高杉の部屋に行くと手荷物を整えていたところだった。
「よかったです。まだ部屋においでで」
高杉と話ができる安心感があった。聞多の熱とは違う熱があるこの人と。
「俊輔。君も聞多と密航するそうだね」
「あぁ聞多さんが話をしたのですね。是非にもと思ってます」
「その聞多のことだが」
「聞多さんがどうかしたのですか」
「危ういやつだとおもわないか」
俊輔は高杉の言葉に吹き出しそうになった。
「このご時世、前に出る人で危うくない人なんていないですよ。高杉さんあなたもです」
そう、高杉晋作、あなたこそ危ない人ではないですか。
「いや先立って失敗した襲撃事件のとき、聞多がここで腹でも斬るか、と言った姿が忘れられん」
「お詫びで腹をってよく言うではないですか」
そう、侍身分の人はよくそう言う。
「詫びではなかった。怒りを己に向けるんだ。しかも本気だ」
そういつも聞多さんは本気だ。だから‥‥。
「それでは、ままならぬことに出会ったら」
頭の中が白くなりそうな気がしてきた。聞多さんがいなくなるなんて。
「聞多は簡単に自死しかねんということだ」
高杉が俊輔に頭を下げるかのようにして続けた。
「もし状況が逼迫するようなことがあったら、聞多からは目を離さないでくれ。これだけは頼みたい」
そんなこと、この僕がいて、させるわけないじゃないですか、高杉さん。心のなかで、約束をしていた。
「大丈夫です。頼まれなくても僕は付いていくつもりですから」
高杉はからかいながらもこの二人がつながりを深めていくのを見ていると、羨ましかったのかと今更ながら気付かされた。
「ええのう」
晋作はそうとしか言えなかった。
「なにがですか」
「異国だ」
「高杉さんだって、上海に行ったじゃないですか」
「あんなの行った内に入らん。君たちは数年というじゃないか」
「帰ってきたらきっと大きく変わっているんでしょうね」
「ああ、大きく変えてやる。驚かせてやる」
強い高杉の言葉に、安心していた。さっきの憂いはもう大丈夫。
「楽しみしてます」
俊輔は高杉の部屋を下がり、自分の前途が大きく変わる気分を楽しんでいた。