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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#27

帰国(3)

 アーネスト·サトウとは、何よりも友人と認めることができるほど、話し合うことができた。サトウの方も率直に話し合える日本人を初めて得たのが嬉しかった。
 姫島に到着して分かれるときに、生きて再び会おうと約束をした。しかし、サトウは甘い観測でしかないと思っていた。この二人の周囲の人々はみな攘夷の熱に浮かされている、そこに冷水をかけに行くのだ。

「さて行くか」
 聞多が俊輔に声をかけた。
「まずは漁師に声をかけて船を出させるんだな」
「そうじゃ。俊輔流石じゃようわかっちょる」
 しかしうまく行かなかった。ふっと俊輔を眺めた聞多が、手に持った包を開いた。
「そうじゃった。俊輔、これに着替えろ」
 着物と笠を俊輔に渡した。
「そうじゃ。君たちは己のことを見ろ、だったな」

 和服に着替え、金を入れた巾着を確認した。そして別の漁師の家を訪ねて、やっと船の手配をすることができた。

 次の朝対岸に渡ると、三田尻を目指した。到着するとまず三田尻の代官に会い、これまでの経緯を話した。特に外国船の逗留に関しては自分たちを乗せてきて、回答を持ち帰るのを待っているのだから、気にしなくていいと説明した。

 代官の湯川は聞多と俊輔の身なりを見て、その格好では、山口までたどり着くのは無理だと言った。攘夷で町の女ですら、小刀を持ち歩いている現状だ。不審者には、どんな害があるか、わからないと説明し、着物、羽織、袴、刀の大小の一揃を貸してくれた。

 身なりを整えて、山口に向かい、夜中にはたどり着くことができた。
「聞多、ここからはどうするんだ」

 俊輔が聞くと、当てはあると言って、萬代屋という商家にいった。実際顔を出すと夜分だというのに、屋敷に迎い入れてもらえた。

 一応緊張した顔で、案内の店のものに聞多が声をかけた。
「久しいのぉ。頼みたいことがあるのだが」
「これは井上様の若様」
「部屋は空いているか」
 聞多が聞くと「大丈夫でございます」と答えた。
「あとで政庁要員の方に文を至急届けてもらいたいが大丈夫か」
「はいわかりました。できましたらお声をおかけください」と店の主人が答えた。

 藩の要員の宿舎として用意されている部屋に通されると、やっと一息つくことができた。
「お茶をお持ちしました」
 女中が声をかけて、入ってきて茶と握り飯の乗った盆を置いた。
「あぁすまんが紙と硯と酒も頼む」
「わかりました」
 そう言って下がっていって、しばらくすると酒と多少の食事の乗った膳と、紙と硯を置いて戻っていった。

 聞多の行った一連の行動に、俊輔は一つの現実を思い出した。そんな俊輔を気にすることもなく、自分は文を書くから好きにやっていてくれといった。仕方がないので、とりあえず茶を飲みながら握り飯を食って、聞多が文を書き終わるのを待った。書き終わると人を呼んで、これを毛利登人様に届けてほしいと言い渡した。

「さて、これで誰が来るかのう」

 聞多は畳に大の字になって転がった。だがくつろいだ感じはなく天井の一点を見つめていた。俊輔が茶碗を置くと、その音に気がついた聞多は、そのまま食っててくれと言った。俊輔は我慢できずに声を荒らげていった。

「僕に何が出来るかわからんが、一人で勝手に思い悩むのはやめてくれ。話し相手にはなれるし、二人でやっていこうと言ったのは聞多のほうだろう」
 起き上がり、ハッとした表情で聞多が俊輔の方を向いた。
「すまん」
 俊輔は笑って、聞多に酒を差し出した。
「せっかくだし、飲もう」
「もう少し待ってからじゃな。お偉方が飛び込んでくるかもしれん」

 しばらくすると女中が来客と声をかけてきた。寸刻立たぬうちにふすまが開けられ、藩政府要員が次々と入ってきた。山田宇右衛門、波多野金吾、渡邊内蔵太、毛利登人、大和弥八郎と言った面々だった。

「おぬしらが横浜を出るころ、こちらでは攘夷のため異国船に砲撃をした。聞多の感はすごいのうと皆で感心したのを覚えちょる」

 大和が聞多達がイギリスに行っている間の長州を巡る情勢を話しだした。都では公儀側の一橋、会津、桑名あたりが中心となり、長州を中心とする攘夷派が追い落とされた。そして公卿の三条実美達が、長州に亡命に近い形で出て来ることになった。

 長州では皆攘夷にいきり立ち、馬関の海峡を封鎖し今も一触即発状態にあること。まさに今、朝廷に対し心情を明らかにし、情勢を挽回するため福原越後、来島又兵衛、久坂玄瑞らが軍を率いて都にいること。
 後発もたとうとしており、世子様もまもなく上京するところだと言った。

「外国の艦隊が攻撃をするため向かっているという話は」
 聞多が改めて問うた。
「聞いておる。藩士だけでなく奇兵隊といって、農民・町民を含めた軍を編成して、ことに当たることに決定しておる。皆で一致死力を尽くし防戦することを藩是とした」
「馬鹿な、そのようなことをしたら、とんでもないことになる」
 聞多は叫びにも近い声を発していた。
「黒船に素手で向かっていくようなものじゃ」
 今度は力無く言った。

 それを聞いた俊輔は思わず声をかけた。
「井上様」
「あぁそうじゃ。ここに控えておる伊藤俊輔にも発言をお許しいただきたい。共にイギリスで学んだ者じゃ」
「相わかった。許す」
 大和が答えた。
「お許しいただき恐縮にございます。皆様方は本気で攘夷を続けになるということですか」

 俊輔が聞多を落ち着かせるかの様に受けて、問いを放った。

「攘夷は藩是じゃ、変えようはない」
 大和は聞多に言い聞かせるように言った。
「明日、御前会議を行う。井上聞多、出席を命じる。異国の艦隊について説明をせよ」
 山田がそう言うと、押しかけてきた面々は席を立った。聞多と俊輔は、皆が出ていくのを、頭を下げて待った。

 聞多は来客が出ていくのを確認すると、紙と硯を用意した。文を2通書くと、店のものを呼んだ。
「これを井上の家のものに届けてくれ。必ず荷物を受け取ってから戻って欲しいんじゃ。よろしく頼む」
「なにをしようとしちょるんか」
 俊輔が聞多にたずねた。
「兄上に事情の説明とお詫びを。あと母上に着替えと金の無心をした」
「明日の御前会議のためか」
「そうじゃ。明日は俊輔にも城に上がってもらう」
「僕は御前には」
「わかっちょる。考えがあるんじゃ。そのためにも俊輔の身なりを整えんとな。金はその為もある」

 聞多は問答無用に言い放った。
「ええから、わしの言うとおりにせぇ」
 俊輔はため息をつくしかできなかった。
 しばらくすると襖越しに声が聞こえた。
「荷物が届きました。ここに置いておきます。」

 襖が開いて、包みが置かれた。聞多は飛びつくように取りに行った。小袖と袴、羽織りが数点と金の入っていた。手紙も2通あった。金は10両だった。自分のはこれでなんとかなるが、俊輔の羽織をどうするかだった。

「俊輔、紋付きなんて持ち歩いちょらんよなぁ」
「これでええか。これでいこう」

 聞多は一人でブツブツ言いながら、着物を広げて物色していた。いくつか見た中で紋はないがものは良い羽織を出した。

「明日、首尾よく行ったら俊輔を殿に目通りを許してもらうつもりじゃ」
 俊輔は驚いて声が出なかった。
「確かに士雇いになったばかりのようなもんじゃが、わし一人ではどうにもならん。俊輔にも手伝うてもらう」
 そう言って笑った聞多に、俊輔は心が熱くなった。聞多と本当に一緒にやっていくのだ。
「いいか、わしが殿にお目通り叶ったら一緒に来るんじゃ」
 否応無しに聞多は畳み掛けてきた。俊輔は従うしか無かった。
「少しでも寝ておこう」
 寝間着に着替えて、布団で寝た。

「やっぱり落ち着くのう。ベッドも楽じゃが布団は体に馴染む」
「やっと帰ってきた気分になったね」
 俊輔も緊張が解けたようだった。
「そうはいってもあと10日しかない。やることやっておかないとなぁ」
 聞多の不安がりがでてきたので、俊輔が言った。
「10日あるんじゃなんとかなる」
 二人は仮眠のような休養を取ると、目立たぬよう夜明け前に政庁に入っていった。

「皆揃ったようじゃの。それでは始める」
宍戸備前が言った。
「井上聞多。異国で見聞してきたことを申せ」
「わかりました。では始めます」

 聞多は後ろに、俊輔を連れて置くことが、できなかった。一人で皆を相手にしなければならない、戦いの始まりだった。

「まず、藩命により五年間の英国留学をお認めいただいたところ、勝手に帰国をいたしましたことお詫び申し上げます」
 最初に復命なき帰国を詫びた。
「それと申しますのも、英国にて我が長州の馬関での攘夷行動で、アメリカを始めとする4カ国が報復を行う予定があると知ったからでございます。彼の国にて生活を行えばいえ、見るだけでも、報復を受けることは、国の存亡に関わる事態であることは明白です」
 一気に畳み掛けるように言った聞多は、周りの様子を見た。皆真剣だが、どこかポカンとしている。これでは、このあとのことを理解してもらうのは、期待薄だと思った。それでもやっていかなくてはならない。
「船や大砲の性能は、当方所有のものでは到底かないませぬ。あちらでは学問所や製造所などで、日々進歩をしたものが作られております。我が国に持ち込まれるものは旧式のものでございます。それをありがたがっておるところで、既に遅れております。このような状況で、戦になるようなことは、やめねばなりませぬ」
 ここまで一気に話をして、ふと周りを気にすると、怪訝そうな顔と困惑した顔ばかりが並んでいた。それでも聞多は続けていった。
「外国の技術と申すものは、我らの考えの及ばない状態でもあります。テレグラフというものはケーブルという金属の綱をはり、数日で国の端から端まで命令を届けることができます」
「そのような魔術のような話信じられるわけなかろう」
 誰となく声が上がった。聞多は無視をして続けた。
「帰国の際、英国公使と話をしてまいりました。和議をするかどうか藩論を確かめる12日の猶予を認めさせました。ですから速やかに異国との和議をすすめるとのお話を決していただきたい」
「話の大概はわかった。じゃが、攘夷は藩是じゃ。そう簡単には変えられん」
「そうじゃ。攘夷は無理だ、言うんはお主らぐらいだからの」

 話を理解しようとしない藩要路の面々に、聞多は苛立ちを隠せなくなってきた。

「よろしいですか。私が申し上げているのは、馬関を火の海にしてよいのか、ということです。皆様方にはそのお覚悟おありなのでしょうね」
 一同の顔を睨みつけていた。こいつらは、何もわかっていないということを、わかっていないのだ。
「地の利はこちらにある。われらには大和魂、防長男子の意地っちゅうものもある。そう簡単にやられはせぬは」
「はぁー。心意気でなんとかなるわけがありませぬ。そのような物言いでは・・・・」
 もう流石に我慢もここまでだと思った時、止められた。
「そこまでじゃ、井上」
「はぁ、何を申される。これから異国の艦隊が来るのですぞ。恐ろしさを私共は知っているがゆえに」
 ここで引き下がれるか。しかし終わった。
「止めじゃ。下がれ」

 聞多はなすすべがなく、退席をした。控えの間に戻ると俊輔が心配そうに、聞多を見上げて言った。

「首尾は良いわけないって事か」
「次の手を打つ。俊輔、ついてくるんじゃ」
 別の部屋、屋敷の奥の方へ向かった。俊輔は何も言えないまま付いていくしかなかった。


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