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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#28

帰国(4)

「すまん入る」
 と言って聞多は、部屋に入り込んでいった。
「おう、大和に内蔵太久しいのう」
「何言っとる。昨夜顔は合わせちょる。何も話せんかったけどなぁ」
 大和がからかうように聞多に声をかけた。その雰囲気には合わせずに聞多は切り出した。
「殿はおいでか。お目通りを願いたい」
「大丈夫じゃ。お待ちになっとる」
 渡邊内蔵太が答えた。
 聞多は俊輔に向かって言った。
「俊輔ついてこい」
 「はい」と消え入りそうな声しか出なかった俊輔は、聞多の後ろに付いていった。

 そして襖の前で止まった。
「井上聞多、参りました」
「入れ」
 声がかかると、聞多は襖を開けて入っていった。俊輔にも付いてこいと手招きをした。次の間あたりに俊輔を座らせて、自分は殿の前に進んでいった。

「復命を頂く前に帰国と相成ったこと誠に申し訳ございません。こうしてお許しをいただきありがたきことにございます」
「無事の帰国何より。異国の話詳しく方聞きたいところだが、所要も色々あってなぁ。落ち着いたらということじゃ」
「承知いたしました。ゆっくりいたしましたら、ということで。つきましては無作法でございますが、お願いがございます。ここに控えております、伊藤俊輔にお目通りをお許し願います」
 藩主毛利敬親は聞多の有無を言わせぬ圧力に、苦笑いしながら応じた。
「聞多の願い認める。そうせい」
 聞多は後を振り返り俊輔を呼んだ。
「伊藤俊輔、こちらへ」

 俊輔は敷居を超えたところで、頭を下げた。すると聞多がもう少しこっちにこいというかのように、少し後ろのところに手を置いた。そこまでにじり寄ると、また俊輔は頭を下げた。

「伊藤俊輔でございます。士雇いにてお抱えいただきました。このようにお目通り叶い恐縮にございます」
「そのほうが伊藤俊輔か。そなたからもこの度のこと話を聞きたい」
「私もこの度の攘夷は過ちとして、四カ国と和議を結び、提携をするべきと考えます。これほどの国力の差は争い事にすらなりません。我が方も力をつけねばなりません。しかし、すぐには無理なことでございます」
「二人の意見、最もと思うところもあるが、藩是を変えるのは色々と難しいこと。皆の意見も聞く必要があることは存じておろう」
「はっ、これからも藩要路の方々とも、話をしてまいります」
 聞多が答えた。
「定広も話を聞きたがっておった。必ず顔を出してほしいと申しておったぞ」
「世子様が・・・・。必ず後ほどお目通りを」
「そうせい」
 そう笑って敬親は奥に消えていった。それを見届けて、聞多と俊輔も接見の場から出ていった。

 控えの間に戻ると、大和や渡邊が待ち構えていた。
「どうだった」
「首尾よく言った。俊輔にも殿からお言葉を頂いた」
「これで伊藤もお目見えか。出世したものだ」
「そんなことより。高杉はどうしちょる。話すらよう聞かん」
「高杉か。おぬしらが異国に行っている間京で色々あっての。結局藩命に背いて亡命したという事になって、一時期野山獄に入れられておった。今は親戚預かりとなって萩の家の座敷牢に押し込められちょる」
「そうはいっても、あれは高杉の暴発を、周布様が心配した上でのこと。という噂もあるな」
「どういうことじゃ」
「8月に我ら長州と攘夷派の公卿が、実質的に京から追い出された。それを不服に思って京を会津や一橋、薩摩から取り戻すため軍を出しておる。これは久坂たちが、中心になってやっているのじゃ。高杉はこれに反対してるんじゃ。京におられては何をするかわからんから、帰国させて動きを止めておる。久坂との共倒れを避けるためだと」
「と言うことは、高杉は萩の家におるんじゃな。わかった」

 明日は殿も出席する君前会議を開くことになった。その場には俊輔も同席を許すということだった。一通りの用件が済んだので、二人は政庁を後にして宿舎に帰った。

「ようし、俊輔が会議に出られるんは進歩じゃな」
「僕が言っても聞き入れてもらえんと思うが」
「そのようなこと気にするんじゃない。周りの様子も見ていてほしいんじゃ。わしは前しか見えんときが多いからの」
 そう言って聞多が笑った。用意された茶を飲んだあとで、店の者を呼んだ。出てきた女中に酒と飯のしたくを頼んだ。

 次の日、また朝早く政庁に入り、お歴々の揃うのを待った。
 イギリスや上海の状況を説明は、俊輔が行った。蒸気機関の進歩や鉄砲、大砲の性能にも触れた。艦隊がどれだけ大掛かりなものか、思いつくことは全部言った。
 聞多は俊輔の言ったことを受けて、予想できる被害状況などを説明し、賠償金のや領土の割譲の可能性にも触れて、藩論を変える必要について、熱っぽく語った。
 しかし、雰囲気は相変わらずだった。退席を命じられると、ふたりともため息をつくしかなかった。

 聞多は世子定広にも目通りをした。その時に定広も上京し、久坂たちの支援を行うと聞いた。
 聞多はこの件については、行くべきではないと答えた。四カ国艦隊に対峙せねばならない状況では、ここにとどまり束ねる必要があると説明した。だが、すでに決定していることと退けられてしまった。

 会議が終わると、聞多たちも呼ばれた。そこで渡されたのは、交渉の延期や実力行使の可能性をも書かれた、藩主からの文だった。目を通した聞多と俊輔は、内容も形式も受け入れられるものではないと抗議をした。しかし理解されることがなくなかった。
 仕方なくそのまま三田尻沖に停泊中のイギリスの戦艦に向かい、艦長とアーネスト・サトーに手渡した。ふたりともこの書面に対して、怒りを隠せず、戦争になると告げた。
「だから、あんなのを持っていく使いなどしたくなかったんじゃ」
 聞多がぼやいた。
「今度の使いで、僕たちがイギリスと関係があることが、白日の下にさらされてしまったのはまずいかもしれん」
「そうじゃなぁ。この結果を報告したらなにか考えんといかんかの」
 二人は山口に戻り、報告をした。

 宿舎に戻るとまもなく毛利登人がやってきた。
「おぬしたちの立場が、かなり危うくなっているのを、殿と世子様が心配なさっておる。それでイギリスに戻るのがいいのではないかとお話が出た。どうじゃ身の安全もある。イギリスを再訪するというのは」
「お断りいたします。もとより命の危険は覚悟のこと。ご心配はなさらず大丈夫とお伝え下さい」
 聞多は俊輔と目を合わせて、きっぱりと毛利に告げた。

 このような動きの中、外国艦船に対して談判をして戦を避けるべきという論も政庁の中で起こってきた。そうなってくると、聞多と俊輔が出ていくしかない。
 聞多も意見を求められた。下関で待つよりも、伊藤俊輔を江戸に派遣して4カ国公使との談判を試みるべきだと、言った。その結果俊輔は江戸へ向かうことになった。
 いろいろと動いた結果、攘夷を信望とする人たちから、売国奴と罵られる対象となってきた。実際身の危険も感じる出来事もあり、山口からでて身を隠すことにした。
 行き先は萩しかありえないだろう。


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