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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#37

8 内訌(3) 

 晒に巻かれていた聞多も奇跡的な回復をしていた。少しは伝い歩きができるようになってきたのだ。養生を心掛けつつ体力もつけるために、動かなくてはと焦りも多少あったのかもしれない。
 家族は聞多を萩の郊外の親戚に隠すことにした。こっそり山口を出た聞多は、妹お厚の婚家である来島の家で落ち着いて、傷の回復に力をかけていた。

 下関についた晋作は、奇兵隊を動かそうとしていた。対立する保守派からは解散を命じられていたこともあり、軍監になっていた山縣狂介は、総督の赤根の交渉を待ってから判断しようとしていた。
 赤根は少しでも穏便に事を進め、しかも奇兵隊が成り立つようにと萩の政庁に交渉に行っていた。それに反対するような、今が機だと考えている晋作の意見を、受け入れる隊員はほぼいなかった。俊輔を除いては。
 俊輔は力士隊の隊長として会同に参加していた。参加するといっても発言を積極的にするわけでもなく、部屋の隅で膝を抱えて様子を見ているだけだった。

 ただ、晋作が「ここで兵を挙げなくてはこの状況を打破できなくなる、僕についてくるものはいないのか」と言ったときに手を挙げた。
「力士隊30名。共に決起します」

 その声は流れを変えた。隊としてではなかったが、一緒に立つものが現れた。晋作はその面々を集めて、三条実美のいる功山寺で挙兵の祈願をすることにした。その後まず手始めに下関の新地開所を攻撃した。ここから保守派の仕切る萩を目指すのだ。

 その動きを知った保守派は、野山獄に入れていた武備恭順派の斬首を決行した。この中に大和や渡邊内蔵太といった同志も含まれていた。
 萩の郊外で身を隠しつつ回復に努めていた聞多にも命が下っていた。この頃聞多は杖をついて、どうにか一人で動けるようにはなっていた。そこに心痛な表情の兄が来た。すべてを察した聞多が兄に問うた。
「命が下りましたか」
「親戚預かりで座敷牢に押し込めろと命じられた」
 兄が冷静を心がけているのがわかるような表情だった。
 続けて申し渡した。
「家の敷地内に座敷牢を作った。そこに入ることになる」
「わかりました。ここを出ましょう」
 一緒に遊んだ家のものや、近所の子供にも声をかけた。
 もう会うことはできないかもしれないと思うと心が痛んだ。たぶんこのまま傷が治り、一人で歩けるようになるころには、斬首となるかもしれない。その覚悟は持っていた。

 湯田の家に着くと、母の顔は見ることができなかった。家族とは目を合わせることもせず、座敷牢に向かいおとなしく入った。

 次の日からも、日課となっていた体を動かすことは、座敷牢の中でもやめなかった。本や紙、筆は持ち込むことが許されなかったのだ。ものを書くことも本を読むこともできなくなった分、できることはやろうと思った。
 絶望するには負けん気が強すぎた。聞多のことをよく知っている者の多い、親戚預かりは思ったよりも厳しく、聞多の頼みをきいてくれる見張りのものはいなかった。

 そんな中好物の食べ物をと、煎餅や饅頭を母上がこっそり差し入れてくれたときは、さすがに親不孝だと涙が出た。でも、この差し入れを見て、欲が出た。なぜか持ち込むことのできた双眼鏡を取り出してみた。このような物はまず日本にはそうないだろう。ロンドンで思いっきり気張って買ったものだった。

「のう、これなんだか知っとるか」
「なんですか、初めて見る物じゃ」
「これは遠くのものを見ることができるものじゃ。月の世界も見ることができる。月もこの世界とよう変わらんぞ」
 見張りのものに渡してみせた。あまり覚えのない若者だった。
「これは本当に変わらんですな」
「こうやっておると、あっちの世界に行きとうなるんじゃ。そうは言ってもおぬしら、親戚が罰を受けるのはわしの意ではないからの。自重しておる」
「それはここから逃げ出すっちゅうことですか」
「そうじゃ、イギリスに行っていた時、バテレンの教えを受けたのじゃ。その教えの中にそういう術があって、わしも習得した」
「バテレンにそのような術が使えるのか」
「そうじゃ、だから公儀や藩庁がバテレンの教えに近づいてはいかんと言うとるんじゃ。おぬしわしが逃げたらどうなる」
「それは大変なことになる。わしだけじゃのうて皆が腹を切ることに」
「なればだ。わしの望みも少しはきいてくれんか。筆や紙や本がないのは酷すぎとは思わんか。こんなに酷いと出とうなる」
 当番の若者は少し考えたようだった。
「二日後また夜当番となるので、その時紙と筆はなんとかする。逃げることだけは勘弁じゃ」
「わかった。わしも我慢することにした」

 聞多はあまり期待していなかったが、約束の夜そっと、食事を出し入れする隙間から、物が差し出された。見ると矢立の硯と紙、聞多の部屋から持ってきたと思われる本があった。
 これは、聞多の思うつぼだった。いたいけな若者を嵌めたことになるが仕方がない。この後は、これをそなたからもらったとバラすといって、持ってこさせることができるだろう。
 聞多は月明かりを受けながら、双眼鏡で本当の月を眺めた。
 うさぎなんておらんよなぁ。
 
 晋作は挙兵はしたものの、兵力、金、物資のいずれも不足していた。
 協力してくれそうな商人や豪農に対して文を出していた。その中に聞多の友人の一人吉富が含まれていた。
 吉富はとりあえず晋作に200両融通した。その文の中に書かれていた、聞多のことを助け出してほしいという言葉が重かった。この状況の中では聞多の命も風前の灯火だということがはっきりわかる。自分で行動する聞多は、保守派にとって迷惑でしかない存在だ。いつ首を斬られても仕方がないのだ。
 また吉富たちにとって、農兵だけの隊では一揆に間違えられるかもしれなく、そうならないように士分の頭領が必要だった。しかも膨れ上がった数百人からの隊をまとめられる人物を考えると、聞多が良いというのは有力者達の意見だった。あとはどうやって、聞多をこちら側に連れてくるかということだった。

 代表して吉富と御堀が井上の家に相談するために行った。相談を受けた聞多の兄は、親戚に迷惑のかかることだとして、躊躇していた。
 それで出た結論は、押し入って打ち壊して連れ出してくれ、というものだった。襲撃ならいいわけがきくだろうと考えたのだった。

 そこで吉富や御堀は襲撃隊を組織して聞多の奪回を図った。無事手中にした隊は、鴻城隊と名付けられ聞多が総督となった。鴻城隊は山口から、保守派を包囲するため萩に向かった。

 一方で晋作と俊輔が萩を目指し動くと、山縣も動いた。奇兵隊が太田や絵堂で保守派の軍を破ると完全に風向きが変わった。
 萩でも保守派の排斥が始まり、中道派とみられていた人たちが鎮静会を称するようになり、武備恭順派の事実上の後押しをするようになった。

 今や萩城の主と化した鎮静会と高杉はやり取りをしていた。その使者を保守派が切り捨てたという事件が起きた。これを聞いた聞多は保守派にとどめを刺すべく、奥の手を使った。
 武備恭順派に理解を示していた支藩の一つ清末藩の嗣子を担ぎ出して、従軍させ萩まで連れ出してきたのだ。実ともに名分が武備恭順派にたった。状況の不利を見て取った椋梨などは逃亡を図り捕らえられた。これで武備恭順派の勝利で終わった。

 高杉とともに萩城に入った聞多は、鎮静会の中心人物とあった。
「なにはともあれ、間に合ってよかった」
「何が間に合ってじゃ。わしは2回死にかけたんじゃ。杉殿」
 厳しい顔で聞多は杉と向かい合った。
「杉殿か、聞多そんな隔たりを作らんでも」
「失ったものがおおくての。大和や内蔵太がおらん実感がまだないんじゃ。なぜ運よくわしだけ生き残ったんじゃろってな」

 少し沈黙した後、聞多は杉に笑いかけながら言った。
「杉、おぬしに礼を言いたいんじゃ。おぬしからもらった刀のおかげでここに居る。太刀は背中に回って背骨を守ってくれたし、脇差はわしの武士の魂を守ってくれた。どうにか士道不覚悟にならんで済んだ。ありがたいことじゃ」
「そういえば、下手人はどうなってる」
「その話か。お目付に聞かれたときにも申したんじゃが、探さんでくれってお願いした。あの状況じゃ皆気が立っておった。誰が悪いわけでもないじゃろ。何か失うのはもう御免じゃ」
 聞多は遠い目をして言うと、杉徳輔にはなにも言う言葉はなかった。
「聞多、確かにわしらはたくさんの物を失い、背負った。これからじゃ。新しい世をつくっていくんじゃ」
「割り切れといいたいのか、杉。なかなか厳しいの。わしらが頑張らんといかんのじゃな」
「高杉くんもいたのか。これからのこと一緒に頼む。広沢さんもやってくれることが決まっておる」
 二人のやり取りをどこか納得できない趣で聞いていた高杉は、杉の言葉には答えなかった。高杉にはこの鎮静会の立場の取り方が、納得できなかったのかもしれない。

 その後高杉は富貴はともにできないといって、役職に就こうとしなかった。奇兵隊や諸隊は前原が総督となり、山縣は軍監としてとどまった。政庁内では聞多が広沢とともに政務にかかわることになった。
 併せて下関から離れない高杉とともに、外国接待掛として様々な交渉にかかわることが決まった。俊輔も下関で通訳掛として役目に当たることになった。

 聞多は下関に俊輔と晋作を訪ねて行った。まず俊輔がやっている店に行った。

「俊輔どうじゃ。うまくやっちょるか」
「聞多、本当に聞多じゃ」
 俊輔は聞多の顔を見るなりしがみついてきた。その力に聞多は小さな悲鳴を上げた。
「すまん。まだ治りきっておらんの忘れておった」
「大丈夫じゃ。気にすることない」

 そう言いながら聞多は崩れ落ちていた。手を当てると熱が出ていた。聞多を部屋の中に引き入れると敷いた布団に横たえた。

「すまん。迷惑をかけてしまった」
「こんなことよくあるのか」
「今日はたまたまじゃ。下関まできて少し疲れたんじゃ」
「それ見た事か。やっぱり聞多には無理だ。僕たちで行くしかないな」
「晋作、いつの間に。どこへ行くというんじゃ」
「ふん、イギリスじゃ。僕には長州にいても面白いことはない。俊輔に案内を頼んだ」
「俊輔、本当か。晋作と一緒にイギリスに行くというのは」
「本当だ。高杉さんと僕はここにいてもやるべきことがあまりないし、つまらないからね。でも聞多はやるべきことがたくさんある。だから一緒には行けない」
「聞多はまず体を治すことだ。ここでぼちぼち外国との交渉をしていればいいんだ。あっそうだ、費用のほうはしっかり頼むぞ」
「あぁ晋作には負けた。わかったよ。政庁と掛け合って金を用意する」
「きょうはここで寝ていてくれよ」
「なぁ俊輔、ここの家の主って、おぬしの女だろう。いつの間になんだ」
「僕としても、少しは必死だったんだ」
「必死なものが俊輔は多いの。わしなんかこの騒ぎの中ほぼ寝ておったがの」
 三人でこうやって笑いあうのも久しぶりだ。聞多も元気が出てきてこれもよかったと思えた。明日は山口に戻ろう。

 次の朝、聞多の熱も下がり山口に戻っていった。
「聞多を疲れさせただけだったのでは、高杉さん」
「まぁ仕方ないな。そうはいってもまだ病み上がりだったんだな」
「聞多を休ませるべきじゃないかと心配になるんじゃ」
「なれば、俊輔はイギリスに行くのやめるか」
「今回のことで、僕は聞多の役に立てていないことを思い知ったんじゃ。強く大きくならんと寄り添うことすらできんのじゃ。もっともあの勢いについていくのも、大変なことだけど」
「たしかに」
 晋作と俊輔は聞多をネタに笑いあっていた。

 しばらくたって、また聞多が下関にやってきた。
「晋作、もってきたぞ」
「聞多、待ったぞ」
「わしだけじゃなく、広沢さんにも後押ししてもらえた。これが遊学の命令書じゃ。イギリスに行くというとまだ攘夷派がうるさいからの。長崎に行けとしてある。金は1000両用意した」
「寂しくなるな。あぁわしも行きたい。もうあいつらのことで頭を悩ますのは嫌じゃ」
 ため息たっぷりに聞多は、晋作に泣きつくように言った。
「あいつらとは」
 閃いたことがあったようで、聞多は思い切った。
「そうじゃ、晋作。イギリスに行くのやめじゃ。奇兵隊を抑えてくれ。あいつらの増長が目に余る。今度は士分の軍となにがおこるかわからん」
「兵を抑えられずに政ができるか」
「それはわかるんじゃ。でもあいつらを抑えるには金が要る。あの数を養うのは無理がある。かといって、公儀から何が来るかわからん状態じゃ。やはりしっかりとした頭領がいるんじゃないだろか」
「高杉さん」
「僕は作っただけだし、なにができる。聞多がしっかりやればいいだけのことだ。出来ないことのほうが問題だ」
「あぁあ、わかった。おぬしら行ってこい」
 もうやけっぱちになるしかなかった聞多だった。


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