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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#121

22 江華島事件(4)

 逃げることも、隠れることもできないうちに、また俊輔と狂介がやってきた。
「聞多、今日こそ結論を出そう」
 博文が口火をきった。
「結論?朝鮮への使節の件か」
「そうだ。改めて大久保さんから君を説得してほしいとお願いされてきた」
「聞多さん、大久保さんは君の力が必要だと言っているんです」
 山縣も馨に声をかけた。
「狂介も俊輔もご苦労なことじゃ。だいたいわしには裁判という問題もある。官に戻るなんて無理な事と何回も言っとるが」
「聞多は裁判を言い訳にしておるんじゃないか」
「言い訳だなどと。やましいことをした訳じゃないのに、言い分に問題があるなどと、言われた身にもなって欲しいの」
「それならば、大久保さんに…」
 そう言った山縣を、博文はにらみつけて、被せるようにして言った。
「すまないが、狂介。聞多と二人にしてくれないか」
「いや、僕も居った方が」
「聞多と二人きりじゃのうては話ができん。狂介は下がっとってくれ」
 取り付く島もない様子に、山縣は部屋を出ていった。廊下で様子をうかがっていた武子に気づくと
「武さん、あの部屋の様子がわかる場所は無いですか」
と声をかけていた。
「ございます。こちらに」
 武子は応接間の隠し部屋に山縣を連れて行った。
「こちらへどうぞ。ここは応接の様子を書生に筆記させる部屋です。しっかりお聴きいただけるはずです」
 小さな声でそう言って武子は出ていった。

「遊びはもう終わりだ、聞多」
 博文の言葉に怒気がこもっていた。
「遊びとはどういうことじゃ。皆、生活や人生かけてやっとる。野心だってみな持っておる」
「聞多、君にとってはどうなんだ。官界に、己の理想のため国を動かすことに、未練はないのか。立憲政体については」
「前に言ったはずじゃ。もうコリゴリだと。立憲政体は木戸さんが居ろう。木戸さんが一生の事務と考えておるんじゃ、別にわしがおらんとだめなことじゃない。もし万が一戻ったところで、大久保さんはわしを使う気は無かろう。飼い殺しはまっぴらじゃ」
 馨は博文を見ることなく続けた。
「わしは、長崎におる頃から稼ぐことを考えておった。その気持ちは、海関税を調べたとき強うなった。外貨を稼がねば、国の未来は無いんじゃ。それに、商人となった藩士が居るということも重要だろう。長州のわしが居って、他のものと競ってやっとる。商人の地位も上がることじゃ。そうやって皆で経済を回していくしかないと思うんじゃ。渋沢に感化されたと言うかもしれんが、資本を集め、会社を作り、世の中に還元をする。資本を出したものだけなく、働くものもじゃ。民が豊かにならねば、国は豊かにならん。底を上げていかねば、欧米には追いつかんのじゃ。だから先収会社は手始めじゃ」
「君の志はしょせん金儲けか。木戸さんも山口のこと、君の会社だけが儲けているのでは、と考えるのももっともじゃ」
「そのようなことはない。ウィンウィンでやっていってる自信はある。そのために協同会社を立ち上げた。木戸さんもそのことはわかっとるはずじゃ」
冷静さを心がけながら、馨はつづけていった。
「わしの裁判のことで、木戸さんを始め俊輔や山田にも、気を揉ませているのは申し訳ないと思っとる。銅山のことで疚しい事をしたことはない。ただ、借金の証書の読み違えがあっただけじゃ。ここまでの、大蔵省と司法省の対立になるとは思わんかった。そのことで、木戸さんの思いに応えられんかったことは認める。だからわしには商売をやっていくことしかできん」
「木戸さんのためには働けても、僕とはできんということか」
「えっ」
 馨は博文の自分を見る、目の熱にたじろいでいた。
「それに裁判のことは逆じゃ。木戸さんを朝鮮に派遣する訳にはいかないから、聞多が代わりに行くと、大久保さんに言えばええんじゃ。そのために障害になる裁判はなんとかして欲しい。それで、全て片が付く。そうしたら、僕と聞多は政治の世界で、一緒に、やっていくことができる」
「やましいことはしとらんのに、大久保さんに借りを作れというのか。それに、木戸さんに朝鮮に行くことは芋の利になるから、行くべきでないといったわしの立場はどうなる。だいたいあの黒田の副官になれと言うんか」
 声が大きくなっていった。もう、馨は感情を抑えられなくなっていた。
「僕が君のことが必要なんじゃ。もう、近くに聞多がおらん状態には耐えられん。大阪会議の時を思い出してほしいんじゃ。木戸さんではなく僕とやってくれんか」
 博文の言葉を聞いて、イギリスに密航したときや、切られた自分を見舞いに来た頃の二人を思い出していた。あの頃は一緒に、素直に喜び悲しんでいたが。大阪会議では自分は木戸の背後に座り、博文は大久保の方に座っていた。その時も不思議な目で睨まれていた。今の目と同じだった。しかし…
「二人で新しい世の中を作ろうと…」
「そうじゃ。僕と聞多は」
「すまんが、わしにはすぐにとはいかん」
「どういうことじゃ」
「わしを欧米の留学に行かせろ。三年くらいだ。朝鮮との交渉が成功したらでええ。木戸さんも一緒じゃ。一等官としての生活を保証してだ。その約束ができるなら、会社の清算をしてもええ」
 馨は冷静にと心に言い聞かせながら、博文の目を見ていった。
「ほいで、大隈に海外貿易のできる商事会社が必要になるといって欲しい。石炭を輸出させたいとな。石炭は工部省の管轄じゃ」
「大隈は三野村に相談をするか」
「政府の都合で会社を潰すのじゃ、政府の都合で会社を興してもええじゃろ」
 三年間か、それでも遣欧使節団以来の溝が埋まるならば、この条件を飲むしかないと博文は思った。木戸さんのことは、なるようにしかならないのは馨も判っているだろう。
「わかった。聞多のその条件、叶えるために動いてみる」
 そう言って、馨の隣に立ち右手を出した。慌てて立ち上がった馨に、博文は抱きつくと耳元で囁いた。
「僕と聞多はもう離れられん。政界でも盟友で一心同体じゃ」
「俊輔、わかったから。大丈夫じゃ」
馨は博文の背中をポンポンと叩きながら言った。
 書記部屋にいた山縣は、こんなところにいなきゃよかったと思っていた。あまりに伊藤が感情的に見えたから心配したのに。感情的になっていた理由が、馨への執着だったとは。ほとんど求婚に近いものを見てしまった上に、自分は伊藤にとって、親しいものとは言えない事にも気付かされてしまった。そんな事を考えていると足音が近づいてきた。
「狂介ここにおるんじゃろ。でてくるんじゃ」
 博文が声をかけてきた。気づかれておったのでは、仕方がないと目の前の戸を開けて、山縣は応接室へ入っていった。
「聞多は朝鮮への使節になることを決心してくれた。明日、大久保さんのところへ伝えに行く。狂介も共に行こう」
「聞多さん、細かいことはこれから。大久保さんに良い報告ができるんは、ありがたいです」
 博文が余計なことを言うなという雰囲気でいたため、山縣はそれだけ言って、挨拶にした。
「聞多、また来る」
 博文と山縣が立ち去ると、馨は椅子に体を沈めていた。
 多分この話をすでに耳に挟んでいるだろう益田に、朝鮮への使節の件を受諾したと説明しなくてはならない。そのうえで会社の行く末も話し合わなくては。自分の書いた筋書き通りになってくれるのか、使用人のことも考えると、会社の清算は気が重いことだった。

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