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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#116

21 大阪会議(6)

  大阪で下船をして、先収社の事務所に行った。事務所は活気に満ちていて、皆忙しそうに動いていた。所在無げにその様子を眺めていた馨は、自分の事務室には入らずにいた。そして事務仕事をしている、吉富簡一の隣りに座った。
「聞多さん、木戸さんからの文が来てますよ」
「簡一、政の役目を押し付けられてきてしまった」
「そうですか、伊藤さんがいて、木戸さんもいらっしゃるのだから仕方がないですね」
「まぁわしがおらんでも、仕事は回るか」
「そげなことは…。あっそうです、藤田さんからも夜には家に来てほしいとのことでした」
「わかった、わし宛の書類をくれ。家でゆっくり読む」
小遣いが走り寄ってきて書類の入った包を持ってきた。その小遣いに駄賃をやると事務所を出て、大阪の家に入った。

 しばらくの間木戸から届いた文などを読んでいると、家の外で物音がした。
「井上様のお宅でございましょうか。藤田様からの差し向けの人力車でございます」
「わかった」
人力車にのり、ふっと明日は京に行こうと決めた。できることを引き伸ばしても面倒なだけじゃ。
「着きました」
「すまんかったの」
「傳三郎、久しぶりじゃの」
「どうぞお座りください」
「実は山口の県令の中野梧一さんが辞職の希望をお持ちだとか。私と事業を行いたいと言うお話をいただきまして。木戸さんにも一応その意向はお知らせされているようです」
「そげなことが。随分頑張ってもらったものな。本人の意志が一番じゃろ」
「こちらは嬉しい報告で。山田顕義様より陸軍用の革靴の製造を仰せつかりました。当方としてもこれはまたとない好機。ぜひともお受けしますとお伝えしました」
「それはええな。それにしても、皆世が乱れるのを待っておるようじゃ」
「井上様、それが商人というものでございます。儲ける緒をだれもが持ちたいと思うものです」
「そうじゃの。わしが少し気弱だったようじゃ」
「井上様にお願いしたいことがございます」
「あらたまってなんじゃ」
「この藤田の事業と家産の後見人になっていただきたい」
「また大きな話じゃ」
「事業など大きくなれば、よく知らぬ親戚なども出てきましょう。予め予防策を打っておけば面倒なことも少なくなります」
馨はしばらく考えていた。そしてふっと思いついたことを言った。
「分かった。家憲というのはどうじゃ。家の決まりごとを正式な文書の形にして残すというのは。つくって、送っておく。」
「ありがとうございます」
「この部屋の置物。簡素な中にも品のある花瓶と香炉じゃの。この白檀の香も心が落ち着くの」
馨はゆっくり息を吸って、のんびりとしてみた。
「珍しいものを、ありがたいことだ」
「また色々とお忙しいとお聞きしましたので」
「明日は京に参り、木戸さんに会わねばならぬ。難しいことを引き受けてしまった」
「そうじゃ。山田は気落ちしておらんかったか」
「大丈夫でございます」
「陸軍から転属させると木戸さんが言っておったらしいのだが、そのままにして木戸さんが下野してしまったからな。苦労しておるのではと心配しておったのだ」
「左様でございますか。木戸さんの動きがまだまだ重要でございますな」
「そういうことじゃ。あまり遅うなる前に帰る」
「それではまたの機会に」
「うむ」
 一人で家にいるということが、とてもある意味重要なのだと思えた。人と会うことが続くと疲れるものだ。たまにはこういう時間も得られるようにしたいの。
 静けさの中一人眠った。そして朝、また人に会うためでかける。

「木戸さん、井上馨です」
「井上様、ようおこしでしたなぁ。旦那様がお待ちでございます」
「お松さん、これ手土産です。武さんからの預かりものもあります」
「いつもありがとうございます。では、お上がりください」
「木戸さん、お久しぶりです。山口のことなどお聞きしたいことがあるのじゃが、それよりも今回は」
「今回は?」
「俊輔からも頼まれて、お願いに参りました」
「大久保と会談をしろと言いに来たのだな」
「そうです。じゃがわしはもうひとりに、先にお会いいただきたい」
「誰だ」
「板垣退助」
「板垣だと」
「はい、立憲政体への道筋をつけるためにも、土佐の民権派と手を組むべきだと思っちょります。実際、若手の小室信夫と古沢滋と会って、手応えを感じてるんじゃ。それは二人も同じように考えておった。折り合いをうまくつけて、手を組むは板垣だと。それこそ、単に土佐と手を組むことに目的があるわけでないのじゃ。法でもって政府の目的を遂げるようにすることを、目指すことになるんは必至だと。さすれば、目的の一致をすべく手を組む相手は決まってきましょう」
「聞多、君はやはり」
「いえ、官に復帰しようとは、全く考えてはおらんです」
「そうか。立憲政体への道筋と言っても、色々あるが」
 木戸はかなりがっかりしているようだった。しかしこれ以上振り回されるのも面倒だと考えているのも事実。仕方がないことと割り切ることにした。
「木戸さんの文にあった通り、仰っていただいてけっこうじゃ。地方官会議の設置、法理の決定・諮問の機関としての議院と、司法・裁判の元締めとしての大審院の設置。卿と参議の分離。これは板垣も望んでおるらしいしの。これがうまく行けば、大久保や薩摩の芋たちを縛ることができましょう。だいたい台湾に出兵など、全く損得利益がなっとらん。50万両の賠償をもらったところで、いったいどれだけの犠牲があったことか。その収支こそ民に伝えるべきことのはずじゃ」
ふっと息を吸って、馨は続けて言った。木戸の反応を確かめるようだった。
「俊輔を通じて、大久保にこちらの案を披露することになっとります」
「俊輔を通じてか」
木戸は俊輔に、すこし引っかかりを持っているようだった。
「俊輔と聞多は今まで以上に仲が良くなったのか」
意外な言葉に馨は、一瞬意味がわからなかった。
「は?あまり変わったことはないのじゃが」
「聞多の文を読むよりも、俊輔の文のほうが聞多のことを知れるんじゃ。この前は面白かったぞ、二人で枕をともにしたが何もなかったので、変な誤解をしないでほしいと」
「へぇ。あっ」
「心当たりがあるようだな」
「いえ、わしらはそのようなことは、全く無いです」
「それはそうじゃ」
木戸は笑いながら言った。
「聞多の困った顔が見られてうれしいの」
「木戸さん、わしは真面目な話をしようとわざわざ来たというに」
馨は少しいじけていた。
「聞多が悲壮な顔をしておったからな。大阪には行ってやる。その先はわからんぞ」
「その気持変えてみせるんじゃ。たぶん小室や古沢と話すだけでも、変わると思いますよ」
「わかった。それで今晩はこちらに泊まるか」
「いえ、京にも定宿があります。そちらに泊まると伝えてあるので」
 馨が帰った後、木戸は考えていた。
「俊輔と狂介をどれだけ信じられるのか、やはり聞多は手元にいて欲しい。聞多でなくてはわかりあえぬことも多いのだ。手元に置くということは、再任官をさせる。そのためには始めたばかりの会社を、辞めさせることになるな。それは、いつかの拒絶をする目を思い出していた。いやそれ以上に俊輔と聞多の関係のほうが重要だろうと思った。聞多と俊輔は二人で一つだと思えば、自分の思惑は大久保に筒抜けだと思わなくてはならないのか」
 結局木戸は迷った挙げ句、また下関に引き籠もってしまった。

 東京に帰った馨は、博文とあって木戸・大久保・板垣会談を詰めることにした。
「俊輔、大久保さんはこのあたりの、木戸さんの意見を受け入れるんじゃろうな」
「元老院、大審院、地方官会議等だろう。それは大丈夫じゃ」
「卿と参議の分離はどうなんじゃ」
「なんとかする」
「本当じゃな。それじゃこれで、木戸さんに大阪まで来るように説得をする」

 今度は、東京に戻ってきていた小室信夫と古沢滋とも話し合いをすることになった。
「板垣さんは、大阪での三者の会談をお望みされてます。これはぜひとも我らで行わねばなりませぬ」
「そうです。もうすでに次の人事案まで考えてしまっているのです」
「それは面白い話だが。板垣さんには、我らの意見を合わせて、日本らしさも加えて憲法の案を作るというところの認識は大丈夫なのだね」
「大丈夫です」
「分かった。木戸さんを説得する」

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