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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#88

18 秩禄公債(5)

「伊藤くん、呼び出してすまない」
「聞多のことですね。辞職を願い出ているのですか」
「そうだ、止めて欲しい」
「先日、本人から聞きました。公債発行や約定書の事、条約改正の委任状の件もあわせてなんとかします。大久保さんの助けも当然必要ですが」
「それは当然だ」
「大隈さんにも相談する必要があります。それでは失礼します」
簡単に要件だけ話をして、伊藤は出ていった。
 業務の終了頃を狙って、博文は馨の元を訪ねた。
「大久保さんに呼ばれた。聞多は辞職を願い出るといったとか」
「言った。俊輔にも言ったのと同じことじゃ」
「調整することが仕事のはずの正院が、仕事にならんことばかりする。わしには何も出来んと申し上げただけじゃ」
「聞多が大蔵・民部を合併させたのではないのか。うまくいかないからと逃げるのは」
「わしは、参議でも卿ですらない。立派な方々に従うておっては国庫が疲弊するだけじゃ」
「予算を立てるため、定額と言う省庁からの経費の申し出と、使用の帳簿の提出を元とする制度を固めるのだろう。そのようなこと君なしに、できるわけがないじゃないか」
「わしが居ってもできぬ。案外わしがおらんでもできるかもしれんの。色々あって不足分を補う公債発行は中止をせざるを得ないんじゃ」
と言って、ふっと冷ややかな笑みを浮かべた。
「そもそも、大蔵でやっていることを、正院で発言できれば誰でもええんじゃ。実際の仕事は寮の頭に権限が委任されておる。それは俊輔も知っとることじゃろ。わしには正院での発言は出来んしの」
「そげな言い方、聞多には似合わん。いいか、この状況を聞多は楽しまにゃいかんのじゃ。だからやめるなど言わんで欲しい」
「...」
「一先ず僕は帰る。良い返事を待ってる」

 その後は大隈も大久保も馨と面談をし、辞意の撤回をさせるために色々と手を尽くしていた。
特に大久保からはもう一度話がしたいと呼び出された。
「君の辞職申し出の件、認めることはできん」
「そうですか。別に出仕しないだけになりますが」
「なにか条件があるのではないか」
「辞職撤回の条件」
ふっと馨が笑みを浮かべた。冷ややかなものだった。
「大久保さんの再渡米の取りやめ。もしくは木戸さんの帰国ではいかがですか」
「それは...」
「わかりました。全省庁の卿・輔出席のもとでの定額決定に関する会議の開催と、大西郷に対して調整の要望を受けてもらいたいということで如何か」
「わかった、開催できるよう折り合いをつけておく」
「それではよろしくお願いいたします」
大久保の部屋から馨は出ていった。
思わず「わしは随分小さい人間じゃ」とこぼれた。
 次の日には、また博文がやってきた。
「辞職願撤回したと。良かった」
「ええかどうかはわかったものじゃない」
「しかしやるべき事も沢山有るはずじゃ」
「あぁ沢山有る。先日は土地の売買の解禁をした。地券を発行して所有者の認定と登録するんじゃ。これが地租の基礎になる」
気を取り直し、俊輔にむかって言った。
「そうじゃ、俊輔。これを持っていって、サンフランシスコで分析をしてくれ。二分金じゃ。銀が主体の贋金でも金の含有が結構あって国内流通では100円のところ地金相場で107円もの価値になるという。これで外国人だけに儲けさせるわけに行かぬからの」
「何を考えとるんじゃ」
「差額を使って通貨の準備金を備えるんじゃ。他にもやならいかんことがある。台湾への出兵を止める」
「それこそ君以外にできぬではないか」
「そうじゃな」
馨はうなずくと遠くを見る目をしていた。

 外務省と大久保・博文が粘り強く交渉して、外務卿副島種臣が折れた。条約改正を含む全権委任状が交付された。
 馨は再び出国する大久保と博文を見送りに行った。馨は大久保に言った。
「大久保さん、吉田の説得の件よろしくお願いします。何かあったらすぐに文を出し、連絡を密に。俊輔も分析の話は内密かつスピーディーに頼む」
大久保がまず声をかけた。
「吉田のことはわかった。井上くんの意見をしっかり伝えよう」
「吉田くんのことも大丈夫。僕と大久保さんでなんとかする。木戸さんも大丈夫じゃ」
握手をして、お互いの成果を持ち寄れることを期待した。

 馨は大隈と共に大阪に出張していた。造幣寮での「製造貨幣大試験」の執行官として、検査に参加するためだった。規格内の成分・重量にあることを確認するというのが目的だった。
「おう、目方も色も十分に美しくできておるの」
「これなら合格ということで問題はなかろう」
「大隈さんがそういうのなら合格じゃ」
「キンドル、問題はない。合格とする」
馨は試験委員のキンドルに結果を言い渡した。
 これで、大阪出張の主な目的は果たした。久しぶりの大阪を馨は楽しもうとしていた。
「はち、わしはこれから所用があるから出かけるが、おぬしはどうするのじゃ」
「馨はどこに行くのであるか」
「えっ、少し街の中を歩くのだが」
「それに付き合おう」
 本当の目的を言おうか迷ったが、どうせ付き合うのならそこに行くのだからと、何も言わなかった。骨董品を扱う店が並ぶところにつくと、馨は立ち止まりながら考えたり、気になるものを眺めたりしていた。
「ほう、馨は骨董品の趣味があったのか」
「そうじゃ。長崎では町田久成といろいろ行っておったぞ。イギリスでの大英博物館の話をしたりして、楽しかったの。そういえば町田は日本にも、大英博物館のような物を、作りたいらしいの」
「それなら、吾輩も聞いておった。文部省に予算を出さねばできぬことであるな」
「日本の良い美術品が、外国に買い叩かれると聞いちょる。それは由々しき問題じゃが。無い袖は振れぬ」
馨はため息を付いていた。
「自分で買ってしまうのも一つの手じゃな」
そう言って、一つの香炉を指さして、店主に声をかけた。
「良いものが手に入った」
 馨は機嫌が良かった。それを見た大隈は、そのような馨を見たのは久しぶりのことだと思った。それでつい、気が大きくなって別の店を見ていたときに、目についたある茶碗を買ってしまった。
「なんじゃ。はちは随分高いもの買ったの。綾さんからは何も言われんのか」
「馨は一応遠慮するのか」
「武さんは目ざといからの。顔色を一応気にしちょるよ」
「茶碗なればである。綾さんの茶道具として使ってもらうのである」
「そりゃええ」
いじけ気味だった馨は、大隈の話を聞いて笑っていた。

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