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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#67

14 脱隊騒動(2)

 事態は動いていた。山口の藩政府が状態が改善しないことに不安を感じ、藩知事の居館を警備させるため萩から干城隊を動かそうとした。
 それに反発して脱隊兵たちは藩知事を警護するといって、山口の藩知事居館を包囲する行動に移していた。しかも、救援に向かった干城隊を打ち破った。木戸は小郡に逃れて、野村靖や三好たちと対策を話し合っていた。
 東京についた聞多は、兵部省に赴き事態の説明をした。その後大隈の屋敷に行った。
「はち、すまぬ。このような事態になってしまった。とりあえず一晩宿にお願いしたい」
「兵の反乱とは大変なことである。せめて、ゆるりとしてくれ」
「あはは、風呂と寝床があれば十分じゃ」
夕食をとっていると、博文がやってきた。
「大隈さん、聞多が来ているって聞いたけど、おるか」
「伊藤か。井上ならそこで飯を食っておる」
うん、と聞き慣れた声に反応して聞多が顔を上げた。それに気がついた博文が近寄っていった。
「急ぎの話がある」
「兵部省で決定した。大阪の寮の長州からの兵を差し向けることになった。明日には出ることができる」
「そうか、それはありがたい。明日神田のお屋敷で広沢さんたちと対策を話すことになっちょる」
「兵部省でも正式に征討軍を送ることになるだろう。その前に聞多に命令が出る。明日その会議が終わったら兵部省に行って欲しい」
「わかった。兵部省にいく」
「聞多、大丈夫か」
「わしの大丈夫なんてなんでもないことじゃろ。木戸さんはもっと大変じゃ」
「まさかこんな事態になるとはの」
「それは聞多のせいでは」
「いや、わしのせいじゃ。諸隊の中で何が起きとったか知らんまま進めた。これを見ろ」
聞多は文書を博文に見せた。
「脱隊兵たちの書いた嘆願書じゃ。最もなことが多く並べられちょる。戦の正当な論功行賞、俸給の完全な支払い、公平な選抜」
最後の方はほとんどため息交じりだった。聞多は辛そうに続けて言った。
「諸隊の有能な指揮官が新政府に任用されたのも、問題を深刻化させたかもしれんがの」
「聞多、もう一つ問題がある。前原さんが山口に戻ると言い張っている」
「それは本当か。前原さんは隊に影響がありすぎじゃ。もし頭領に担ぎ出されたら大変なことになる。わかった、三浦と山口への帰国を止める手を打つ」
博文には言うべき言葉が見つからなかった。
「聞多これからどうするんだ」
「明日神田のお屋敷での会議の後、兵部省に行く。その後横浜から船に乗ることになろう」
「それじゃ、これから僕の家に来ないか。ゆっくり話そう」
「すまん、明日は早いし忙しいんじゃ。ここの長屋で寝ていく」
「ここは騒がしいだろう。家なら」
「ええって言っとる。一人で大丈夫じゃ。考えねばならぬこともある」
聞多が声を荒らげていた。
「わかった。またゆっくりできる時まで待っとる」
博文は肩を落としたふうで帰っていった。
「大隈さん、聞多を頼む」
大隈は酒を持って、聞多のところに行った。
「井上、まぁ飲め」
「とてもそんな気に」
「普通にせれちゅうばい。良い案も出てこんぞ」
「ありがたくいただく」
聞多はあおるように飲んだ。
「どうだ、落ち着いだだろ」
「俊輔にすまなかったと言ってくれ」
大隈は聞多にまた酒をついで、飲ませていた。
「井上、少しは楽になったであろう」
「確かにいっぱいいっぱいじゃ。木戸さんの前じゃ弱音は言えんからの」
「はちには助けられたの」
聞多は思わず「うわぁー」と声を上げた。
 その声に驚いた書生たちは聞多の方を見て、すぐ何事もなかったように続けた。台所の方から、一人の女性が聞多の前に水の入ったグラスを置いた。
「お水です。お飲みください」
「初めて見る顔じゃ。名前は」
そこまで行ったところで、大隈に遮られた。
「たけさんだ。綾子の知人で訳合ってこちらで預かっておる」
「ほう、べっぴんさんじゃ」
武子が聞多の前から立ち去ったのを確認して、聞多に言った。
「たけさんは、薩摩の中井、中井弘が連れてきた女人であるぞ」
「中井のな。でも中井は薩摩に帰って妻子を得たと聞いたのじゃが」
聞多は武子を目で追っていた。
「井上、まさか」
「一目惚れかの」
「もう休め。寝過ごさんようにな」
 大隈に聞多は追い出されていた。長屋に入ると布団にくるまり、久しぶりにしっかりと寝ることができた。朝になり、朝食のときに大隈に例を言いに本宅に上がった。
「井上様、お食事いかがです」
綾子が声をかけた。
「遠慮なくいただきます」
聞多が答えた。
「おう、井上、途中までだが一緒にどうだ」
「いや歩いていくからええ」
食べ終わった盆を持って、聞多は台所まで行った。
「ごちそうになった」
えっとした顔で受け取ったのが武子だった。
「ありがとう存じます」
武子に笑って挨拶をすると、大隈に向き直った。
「はち、それじゃ世話になった。行ってくる」
 神田の毛利邸につくと、広沢たちが待っていた。まずは、聞多に山口の状況の説明を求めた。
「脱隊兵たちは山口を包囲しております。藩知事居館を囲んでおりまして、知事公を救援に向かった干城隊を打ち破りもしております。ただ、戦は場数を踏んで個々人の力量はありますが、指揮系統はまともにあるとも見えません。首領を打ち取れれば案外脆いものかと存じます」
「それで、兵部省の方はどのようじゃ」
広沢が尋ねた。
「兵部省に関しては、大阪の兵学寮から数十人すでに山口に向かっております。また正式に討伐軍も派遣をすることが決しております。わたくしもこの後、兵部省に赴き討伐のための許可をいただき山口に向かいます」
「皆様方、井上の報告いかがでしたか。我らとしても山口の軍を動かし、中央の支援を受け討伐を行うということでよろしいか」
「それと、三浦とも話したのですが、前原さんの帰国何としても止めていただきたい。三条公からお言葉をいただけるようにしていただきたいのです」
広沢がそう声をかけると出席者は口々に「異論なし」と言っていた。
「これにて決することとなった。三条公には私から」
広沢がはっきり言った。
「ありがとうございます。これより、兵部省に参ります」
 聞多はそう言うとすぐに部屋を出た。人力車が待たせてあって、それに乗ると兵部省に向かった。
「井上聞多 山口藩に差し向ける」という辞令を受け取ると、三浦と横浜に向かい、下関に寄港する船に乗った。

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