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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#100

19 予算紛議(10)

 佐伯に呼ばれた渋沢が馨の執務室にやってきた。
「おう、渋沢。母の喪中の間色々すまんかった。沢山の面倒をやらせてしもうた」
「それも私の仕事です。陸奥さんや芳川さんもおられますし、大丈夫です」
「それで、呼び出したことじゃが。暦を至急西洋の太陽暦に変える必要があると、思い至ったのじゃ」
「それは、忙しいことになります」
「いままでなんで気が付かんかったのかと思うのじゃが。さっき佐伯を話しをしての。和暦には閏月があろう。西洋の暦は12ヶ月じゃ。つまり官員の給料を考えると13月と12月とあるのは不便が多い。なれば、西洋の太陽暦を導入して12ヶ月に限定する必要があると思ったのじゃ。渋沢どう思う」
「農業は月齢や太陰暦のほうが都合が良いことが多いと思いますが。たしかに太陽暦を導入して西洋と合わせることも重要ですな。この金に悩まされていることを考えると、来年の給金を13回払うのも辛いことですし」
「そうか。では合わせるためには時間がない。早く正院に上げる建議書の作成を頼む」
「わかりました」
 こうして太陽暦が導入された。12月になった途端、急に年の瀬になってしまった明治5年の出来事だった。ちなみに12月は2日しか無いので、この月の給金は支払っていない。
 世の中の流れは、世界の方を向いているのは明らかだった。昨年馨は、長崎のキリシタンが預けられた先で、たとえ棄教しても家族がバラバラでは可愛そうなので、家族ごとに暮らせるようにしたらどうかと建白を出していた。今度はようやく、キリスト教の禁教が解けることになった。ただし、それが信教の自由とはなかなかならなかった。
 神道を国家の中心としたい流れは、廃仏毀釈運動となっていった。神仏習合は否定され、寺は打ち壊されるようになってしまった。これは寺院の経営にも直結し、寺の宝が二束三文で売り買いされるようになった。そして貴重な美術品も海外に流出するようになっていった。
  そうしている内に、陸軍省を巡る問題が表面化した。フランスで大金を使っている日本人がいると噂になっていた。それが長州出身の山城屋だった。そこから陸軍との繋がり、特に山縣有朋が疑われることになった。山城屋は陸軍省で割腹自殺を遂げ、書類も処分していたことから真相は不明なままになってしまった。
 

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