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【小説】奔波の先に~井上馨と伊藤博文~#159

27 鹿鳴館(5)

 明治16年7月のある日、馨は三条実美と共に岩倉具視に呼ばれた。
 病の床にあった岩倉は、もう自分には時間がないことを知っていた。そのため数少ない公家出身の同士でもある三条実美と、本来呼びたかった伊藤博文の代わりに、自分を呼んだのだと思った。一緒なのが三条公で良かったと思った。
 ふたりで枕元に座ると、岩倉は起き上がって迎えていた。あまり体調は良くないのが一目でわかったので、三条は横になるように勧めたが、気丈にも断っていた。そして三条の手を握っていた。
「三条の大臣、この国と御上のことをよろしくお頼み申します。頼りになるのは大臣しかおりません。何卒御上のことを」
「大丈夫です。ここにいる井上さんも、よくわかっておられる。岩倉さんがお元気になられんで、どうなさる」
「大臣も無理をおっしゃられる。御上のお見舞いをいただき、もう申し上げることはないのです。ただし、一つのこと以外は」
 そう言って岩倉は、馨の方を見つめた。
「あんたさんに、これだけは言っておこうと思いましてな。あまり急いで、西欧に近づけようとしはっても、無理が出ましょう。伊藤はんと力を合わせて、日本にあった憲法を、作ってもらいたいと思うのです。よろしいか、この国の姿を大切にしてな」
「よくわかっています。ご安心ください。僕たちはしっかり調査をした上で、この国にあった憲法を作ります。岩倉さんのお気持ちは、よくわかっとります。きちんと足元を見つめてやって参ります」
「ありがたいことじゃ。お頼み申します」
 どこかで、疲れも出てきているのか、博文と混同していると思ったが、出された手を馨は握り返していた。それに安心したのか岩倉は横になっていた。
 部屋を出た三条と馨は、ほっと息をついでいた。

「井上さん、岩倉はんを安心させる振る舞い、ありがたいこと。これで、不安も少しは収まることでしょうな」
「そうだとええのですが。僕としては三条公とご一緒で良かったです。岩倉さんには、僕はあまりええと思われては、ないでしょうから。伊藤のフリをできたのも、その少し心に余裕があったからのことです」
「まぁ、これから頑張らなあかんのは、井上さんの方でしょうから。私からもよろしく頼みますよ」
「はい。もちろんのことでございます」
 そう言って、別れて岩倉邸を出ていった。そして、数日後に岩倉が逝去した。
 伊藤博文はその死に間に合わなかった。

 明治16年8月欧米での憲法研究の成果を持って博文が帰国した。
「俊輔、無事の帰国何よりじゃ」
 馨は帰国した伊藤博文を出迎えていた。握手をしようと、手を差し出したところ、博文は抱きついてきた。中井には拒否をしていた馨だったが、受け止めて抱き合う形になった。
「聞多も元気そうで良かった。しっかり、研究できたのは聞多のおかげだ。これからは本格的に取り組んでいける」
「それにしても、自信がつくと変わるものじゃ。もう、大酒の心配はいらんの」
「そうだな。じゃが、これからは手強い相手をどうにかせにゃ」
「手強い相手か」
 馨はニヤッと笑った。
「華族制度と宮中じゃ」
 博文はまっすぐ馨の目を見ていっていた。

 馨にはどうしても必要なものがあった。外交官との非公式な情報交換の場、外国人倶楽部というようなものだった。これは、先年榎本武揚が関わった、東京地学協会の賓客を迎えての歓迎会、といったものでも感じられていた。
 日本には欧米のような社交界はなく、パーティーの文化もない。そのような中で、私的な場と公的な場の中間のようなものが持てれば、日本をもっと知ってもらう事もできるし、自らアピールすることもできると考えた。
 しかし、そのような場を理解できる人はいなかった。そのような倶楽部の使う部屋のようなものを貸すことすら、外務省で使えるものはなかった。
 馨は次の案を実行に移すことにした。社交場を作るのだ。ここで、西洋を取り入れて活動しているのを、日本にいる外国人、特に外交官にアピールをする。この日本が特別ではないことを示すのだ。そこに社交倶楽部を含ませて、交流団体として使用をさせる。どうせ大きなものにするのならば、宿泊施設も取り込んで、貴賓を接待するための施設にしてしまうのも、一つの手だと考えた。外務省で外国人向けの社交倶楽部を持つことは認められなかった。しかし、東京府知事の芳川顕正が東京倶楽部を作ることを認めた。これで、最小限のことはできそうだった。
 しかし、どうにもこうにも予算不足は否めなかった。そのために外務省単独で造ることは諦めざるを得ない。どうにか各省から、資金を出し合うことには合意できた。次はどこに建てるかだった。色々頭を悩ませている時、意外な訪問をうけた。

「外務卿にお会いしたいのだが。内務省の者じゃ」
「井上さん、内務省の方がお見えになっていますが、いかがいたしましょう」
「ええよ、通してくれ」
 しばらくすると、その男がやってきた。
「井上さん、お久しぶりです」
「町田さんじゃ。本当に久しぶりじゃ。今は博物館の事業を進めてられると聞いとりましたが」
「あれやこれややりたくとも、金が無いことには」
「ハハ、皆同じじゃな」
「こちらは博覧会で予算を取って、建築したところまでは良かったのですが」
「上野の山に建設した建物ですな」
「博覧会の予算で建てた以上、博覧会側に建物を使われてしまうという当然の事態を、回避せねばならないことに気がついたのですが。そこから先が難しゅうて」
「博覧会事務局よりも、先手を打つか」
 馨がニヤリと町田に笑いかけた。
「それは、取引ですか。例えば博物館の旧薩摩藩邸と博物館の物品の納入の手続きとか」
「ようわかっとりますの。そうじゃ。博覧会の連中に一泡吹かせるのは、どうじゃろ」
「わかりました。勝負に出ましょう。博物館の今の場所に社交場を作るのはどうでしょう」
「その話に乗った。博物館の物品の引越は、こちらで請けおいましょう」
「よろしくお願いします」
「近日中にできるよう、手配をしますぞ」
「長崎の時代からやっとここまできたのだ。形にせねば、収蔵品に申し訳がなか」
「大英博物館には程遠いが、ここまで金のない中、良うやってこられたの」
「井上さんもご自分で、収集しておるとお聞きました」
「廃仏毀釈運動は、多くの物を壊してしまったという思いもあっての」
「そうですね。しかも貴重な物が外国に行ってしまっとる」
「そういえば、フェノロサが買おうとしていた仏画を、即金で買ってしまったことがあったの」
「私も、噂でお聞きましたぞ」
「そうやって集めても蔵の中じゃ。茶会の時に出される位じゃの」
「そういう収集家の方からお借りして、展示をするのも手ですね」
「見せたい者もおろうなぁ」
「面白そうなことは色々ありますな。あ、あまり遅うなるのも良くないですな」
「今度は家の方にも来てくれんかの」
「素晴らしいお宅と聞き及んでおります。是非ともお邪魔したいものです」
「是非ともおいでください」
「それでは、今日はこれにて。我らは成功せねばなりませんから」
 帰り際に馨は町田久成の手を差し出し、この計画の成功を誓った。

 速やかに実行された計画は、無事成功した。博物館は、上野の博覧会場の2階を荷物でいっぱいにする事ができたのだった。この事で、博物館が上野の山の建物に移転することが黙認され、本格的な博物館が運営されることになる。

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