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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#110

20 辞職とビジネスと政変と(8)

 だが、閣議は思ったような進展をしなかった。西郷隆盛の朝鮮使節派遣が決定されたのだ。閣議決定を三条実美が天皇に上奏するだけになった。
 すると決定を受けて、岩倉、大久保、木戸の三人が辞表を出す。三条実美は派遣反対、賛成の板挟みに悩み倒れてしまった。太政大臣の職責を三条実美はできなくなり、太政大臣代理に岩倉具視が就いた。
 次の手を打ったのは、大久保だった。宮内卿の徳大寺に閣議決定と岩倉の意見である西郷隆盛の派遣延期を秘密裏に上奏させた。これによって、天皇の意見を派遣延期に固めさせる事ができた。
 西郷隆盛を始めとして、板垣、江藤、副島の使節派遣賛成派は、岩倉の屋敷を訪れていた。
「岩倉様、一刻も早く帝への上奏をしていただきたい」
江藤が口火を切ると、板垣、副島も続いていった。
「上奏は岩倉さの責務でごわす」
西郷も詰め寄って言った。
「わかりました。聖上への上奏をいたします。ただし、使節の派遣と延期の両方を申し上げる。聖上にご裁断をお願い申し上げる」
そう言い切ると、西郷たちを部屋から追い立てた。
 翌日約束通り、岩倉は天皇に上奏をした。上奏を受けた天皇は、岩倉たちの辞意を却下し、使節の派遣の延期を裁断した。その結果まず西郷が辞表をだし、続いて板垣、江藤、後藤、副島の4参議が辞表を出した。こうして、朝鮮への使節派遣、征韓論は幕を閉じた。しかしもう一つ重大な外交問題が横たわっていた。台湾への討伐問題だった。こちらは薩摩の本命の問題でもあった。

 征韓論政変の後、辞任した参議の補充と新しい官制が発表された。その中で、伊藤博文は工部卿兼参議となった。
 大久保利通は大蔵省を内務省と分割し一部工部省に省務を再編成した。大蔵省は財政事務に特化し、民政のほとんどは内務省に移った。殖産興業をうたった勧業行政と治安を担う警察行政を主管する内務省は、地方行政も取り込み大蔵省に変わり行政の中心になった。こうして、馨が構想した「大大蔵省」は終わりを告げた。
 施策の中心は内務卿兼参議大久保利通が担い、その脇を大蔵卿兼参議大隈重信、そして伊藤博文が固める体制となった。山縣有朋も陸軍卿になったが、木戸の反対も強く参議にはなれなかった。

 その頃馨は予定通り、千秋会社を起こしていた。岡田平蔵の鉱山と馨の出した資本金をもとに、銅山経営と最初は米を中心とした商品取引を行うこととした。実際、山口で県令の中野梧一主導で県庁内に勧業局が作られた。勧業局は地租を金納するため集められた米を千秋会社に売り渡す。その米を海外に販売し利益を上げていた。
 そんな矢先に岡田平蔵が急死してしまう。馨は対応策に追われた。
「岡田が亡くなってしもうては、一からやり直しじゃ」
「井上さん、考え方によっては良い機会かもしれません」
益田が答えていた。
「良い機会じゃと」
「井上さんは鉱山経営は危ういと仰っていたではないですか」
「あぁ、銅山から手を引き、商品取引を専門にするっちゅうことか」
「岡田家に財産として銅山をお返しします。減った資本についてはアーウィンがオリエンタルバンクから借りても良いと言ってきています。これならやっていくことは可能でしょう」
「そうじゃな。しかしアーウィンはそれでええんか」
「大丈夫だそうです。アーウィンも独立して会社を持つそうですし、こちらとの提携を望んでおります」
「わかったそれで行こう」
「ついでと言ってはなんですが。社名も千秋会社から千収会社とあらためてはいかがと」
「それはええ。そうじゃ岡田の代わりに、大阪を吉富簡一を山口から呼んで任せよう。ついでと言ってはなんじゃが、大阪で軍の仕事を受けておる藤田伝三郎も協力したいと申しておっての。そちらとも協力体制を作るのはどうかの」
「なるほど、悪いことではありませんな。井上さんのお考えのとおりに」
「よし、そのように伝えておく」
 こうして、馨の会社は商事会社として船出をすることになった。
 しかしこの頃一度提訴していた、尾去沢鉱山の訴訟が取り下げられ、再度提訴されていた。大蔵省の対応に誤りがあると訴えるものだった。この後この訴訟は尾去沢事件として問題となっていく。

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