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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#78

16廃藩置県(4)

  馨はまた木戸に面会をするべく動いた。すると、江藤新平のもとに居るということがわかった。面倒なところだと思ったが、時間も惜しいので、江藤の家に行き木戸に話をした。すると帰宅した木戸から馨の家に使いが来て、7月9日木戸の家で薩摩方と会議をするので来るようにと告げられた。もちろん行きますと使いに伝言を頼んだ。
 7月9日は物凄い暴風雨が東京を襲っていた。それでも夕刻、木戸の屋敷に西郷隆盛、大久保、西郷従道、大山巌の薩摩組と、木戸、山縣、馨の長州組が顔を合わせた。
「諸藩の動向については、すべての知藩事の上京を待つことはない。在京の知藩事に対してまず勅令を出し、残る知藩事に期限を切り上京を命じるという段取りでいきたい」
木戸がそう切り出すと、皆が賛成した。また、馨は大蔵省の意見を聞かれた。
「大蔵省の立場で申せば、廃藩の日の相場で藩札と太政官札との交換の旨の令を出していただきたい。藩の持っている借財についても調べる必要もございます」
馨は最低限やって欲しいことを告げた。
「それで、金の方はなんとかなるのか」
「無いなりにやっていきます。大丈夫なんとかなります」
今度は馨が西郷と山縣に尋ねた。
「もし、反対するものが出たら兵を動かすことになるが、その覚悟はお在りかの」
「それは大丈夫じゃ。我々が必ず引き受ける。よろしいか西郷さん」
 山縣がそう答えると、西郷も同意した。そして、中途半端なことになるくらいなら、やらない方がいいとして、廃藩自体が失敗になったらここに居る皆は辞職するということになった。

 その後また木戸と大久保の廃藩後の体制を巡る対立が鮮明になった。
 馨は大久保に対してこのような対立は、計画の崩壊につながるのでやめて欲しい。政体や人事にこだわらず、統一国家建設のための決断をしてほしいと意見を述べた。それを受けて大久保は今のまま瓦解するよりも、小異を捨てて大同につき、廃藩を進めて瓦解するほうがましだと決断した。大久保のこの決断により、後戻りの危険は回避されることになった。

 また7月10日には、廃藩の発令日が7月14日と決まった。ここから大蔵省の本当の戦が始まった。
「渋沢、廃藩置県じゃ。決行する。極秘にやらにゃいかん。改正掛で頼む」
「わかりました。お話通り発令日の相場でもって交換比率とするのですね」
「そうじゃ。期日は7月14日。日数は少ないが確実にやってくれ」
渋沢は天を仰いだ。わかってはいても、いざとなると厳しさが思い立った。何しろ交換する各藩の藩札の相場と債務の取り扱いの方針を3日ですべて決定し、終わらせなければならなかった。渋沢栄一を始め改正掛の係員たちは不眠不休で取り掛かった。どうにか終わったのは14日の朝のことだった。

 そして7月14日、東京にいた薩摩の島津忠義、長州の毛利元徳、佐賀の鍋島直大、土佐の山内豊範達を前に帝が廃藩置県の旨を告げられ、あわせて知藩事の職を罷められた。残る知藩事は9月末までに上京することとなった。
「改正掛の皆に礼を言う。お疲れ様じゃった。ぶじ廃藩置県の令が発布されたぞ」
馨は疲労でよれよれになっていた掛員に声をかけた。
「じゃが、本当の修羅場はこれからじゃ。今晩くらいはゆっくり寝るんじゃな」
声にならないえーっという雰囲気を気にせず、馨は意気揚々と引き上げていった。

 そして太政官の各省も改正が行われた。正院に太政大臣、左大臣、右大臣、参議が置かれ、太政官のもとに神祇、外務、大蔵、兵部、文部、工部、司法、宮内の省と開拓使が置かれた。参議には西郷隆盛、木戸、板垣退助、大隈、大蔵卿に大久保が就任した。
 木戸と大久保で色々あった大輔の地位には、兵部省が山県有朋、工部省はまだ決まらず、民部省に井上馨が任命された。左院には議長後藤象二郎、副議長江藤新平となった。
 渋沢栄一は大蔵省の規則などを整備するため、馨の持っていた伊藤の規則案を借りに行った。
「井上さん、伊藤さんの規則をお借りしたいのですが」
「あぁこれじゃ。もっていけ。あ、いや終わったら返してくれ」
「井上さん、それって」
「あぁ、民部もこの案を元に作ろうと思っちょる。どうせなら、杉浦と一緒にやってくれんか。民部の方は杉浦にやってもらうことにした」
「はぁわかりました」
「時間が惜しかったら、この家でやってもええぞ」
「ありがとうございます」
なにか歯に物が挟まったような、馨の言動に渋沢は違和感を持った。しかしやるべきことは多く、すぐに忘れてしまった。

 大久保は就任していた大蔵卿から転任の希望を出すようにになっていた。馨はこれを聞いて、大蔵少丞の吉田清成と図って反対運動をすることにした。大久保は、経済や財務に明るくないことを転任の理由にしていた。しかし政府の多数の者は、大久保無き大蔵省は考えられないと、馨たちに同調していた。馨は大久保と話し合いを持った。
「大久保さん、大蔵卿からの転任の希望を取り下げていただきたい」
「私は大蔵省の仕事の財務はあまり理解できていない。このままここで仕事をするのも不安が大きい」
「そうおっしゃられるが、大蔵省は様々なところから、批判されることが多いのです。批判に負けていては進歩も望むことができなくなります。しっかりとしたお人に上に立っていただかねばならないのです。何卒、このままお努めいただきたい」
「それは、私なりのやり方でやってもいいということか」
「やり方はおまかせします」
「もう一つお願いがあります。民部省と大蔵省を合併させるべきと考えます。お力をお借りしたい」
馨は大久保の表情から、心の動きをすべて読み取ろうと正対して言った。
「それは、私が民部省と大蔵省を分離させた当事者、と知って言っているのですか」
「もちろんです。ですが、あのときとは事情が違います。廃藩置県を行った今、税と行政実務について改革を速やかに行う必要があります。他の省や周辺からの圧力に対峙するため、民部と大蔵は一体である必要があると考えます。そして工部省から土木も持ってきていただきたい。これが合わされると財政・殖産興業・地方官と多種多様に渡ることになりますが」
「人は私がそれだけの実権を握ったとするが、なおさら何ができるか心配しか無いな」
「そのような心配をされる必要はないと思います。大久保さんなれば大丈夫かと」
「井上くん、君たちのやり方にも私は疑問があるのだが」
「西洋かぶれの強行的だと言われる改革の方針ですか」
「そうだ」
馨は少し考えて言った。
「なれば、人事や省内体制は大久保さんの思い通りになさればええ。事務に関してはわしらでお支えする」
大久保も馨の意見を聞いて考えざるを得なかった。
「わかり申した。大蔵卿を続けよう。人事などは私の考えで行って良いということで、間違いないか」
「間違いありません。共に事をなすことができるのは、うれしいことです」

 参議になっていた大隈の後任として馨が大蔵大輔となった。人事は大久保の権限とは言っても、馨は所管の業務を任せられる人材を集めてきた。渋沢栄一を始め陸奥宗光、松方正義、芳川顕正、前島密といった海外事情に詳しい面々が、大蔵省の幹部として働くことになった。馨はハイカラの大将だと影で言われる位だった。渋沢達はそのうえで大蔵省の職制、規則等を作り発表した。
 それを見た大阪にいる伊藤から長文の抗議文が送られてきた。
「はち、俊輔かなり怒っていないか。民部なんて体制を発表してすぐ廃しては、国としてしっかりしとらんとか言うとる」
「これはかなり、腹を立てて居るのであるな。馨」
「体制についてはまだ手直しする予定もあるが。民部の件はなんともし難いの」
「なんとか宥めないといけんな」
「相談が足りなかったということかの」
「もっとも、この廃藩置県に携われなかったことに怒りがあるのではないか。吾輩も当日になって知ったことであるし。馨、おぬしは吾輩たちを置き去りにしたのである。伊藤に怒られるくらい当たり前のことである。まぁ吾輩は民部大蔵合併の件については、事前に大久保さんからも説明を受けたことだし納得はしておる」
「八太郎様、なんとかなだめる策をわしにくれ」
「木戸さんが伊藤に工部大輔の席を考えておる。上手く行けば東京に戻ってくる。後は馨がなんとするのだな。もっとも吾輩もうまく行けば洋行じゃ」
「はち、それはどういうことじゃ」
「全ては決まってからである」
そう言って、その後はごまかされてしまった。

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