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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#103

20 辞職とビジネスと政変と(1)

大蔵大輔の執務室をノックして入ってくるものがいた。
「馬鹿ぁー」
馨の怒声が轟いた。
続けて大声で言った。
「誰も入れるなと言ったはずじゃ」
そして机の上の冊子を投げつけていた。
「失礼します。あぁあこのようなものを」
気にすることもなく入ってきたのは、渋沢栄一だった。
「はぁ、公議公論ですか。こんどは民権活動家にでもお成りですか」
「そげなもんは知らん。何を言うちょる」
「ある界隈では、井上さんのことを今清盛、私を維盛扱いするそうです。維盛だなど、ひどいと思いませんか。せめて平時忠、あぁ身分もないとだめなのでしょうね」
「何が言いたいんじゃ」
 ただでさえ気が短いのに、機嫌も悪いとなると、冗長な話を聞く余裕は馨にはなかった。
「はぁ、私の話をお聞きくださいって。大輔が出仕されない間、一応頑張りましたので」
「わかった。聞きゃええんじゃろ」
「まったく、それで、重盛になろうと思い御前に」
「わしを諌めるのか。まさか大隈の言うように、正院の意見通り受け入れろ、というわけではなかろうな」
「あぁ、孝だ忠だと申し上げる気もございません。愚見注進に参ったのです。併せてもう少し辞任願の提出を待っていただこうかと」
「どういうことじゃ」
「この度の状況いろいろ考えますと、三条公の井上さんへの信頼、並々ならぬものがお有りだったのですね。度々提出されていた大蔵省の分割案を拒否されておられたようで」
「確かに左院で内務省の設置の決議があったの」
「なれば、井上さんがお辞めになられれると、大蔵省、今のままでは有り得ぬことになりますな」
 ムッとした顔をして、馨は顔を背けて窓の外を見ていた。
「井上さんは常日頃、正院の調整にご不満もお持ちでした。それでどうせ辞めるのならば、太政官を変えてしまうのはいかがかと」
 その言葉を聞いて、馨は渋沢の方に向き直っていた。その様子を見て、渋沢はくすっと笑った。そして書類を馨の前に置いた。
「どういうことじゃ」
「正院での立法作成·調整を速やかにできるよう、手筈を整えようと思いまして」
書類を広げながら続けて言った。
「正院の調整能力が不足しているのは、情報の収集調査がうまく行っていないからではと考えました。この国で一番それができているのは、大蔵省の内局。でしたら、内局を差し上げるのも、皆様方の要望に沿うものではないでしょうか」
「そげなことをしたら、大蔵省は予算を執行するだけのところになってしまうではないか」
「井上さんも本当のところはお分かりではないですか。一省庁で国を取り仕切ることに無理があることを」
「・・・・」
「いつぞや、ご自身でも意見の一致が重要だとおっしゃられていました。それができない遺憾の状態だから、我らで条理を立てるのだと」
「確かに申した。だが、大蔵省はこのままでもやっていけるのじゃ。わしがおらんでもな」
諦めと寂しさをあわせた表情で馨は言った。
「では、これはお預けいたします」
「わかった。考えておこう」
 この太政官の改革案は、馨の考えも加筆されて提出された。

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