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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#17

策動(2)

 聞多は一晩中考えて、眠れないまま夜が明けてしまった。起き上がる必要もまだないか、お役目は昨日から外れている。そう思ったら急に眠くなってしまった。

 しばらく寝続けていたのだろう、人の気配に気がついて目が覚めた。

「聞多、起きろ!」
「え、俊輔か」
「俊輔か、じゃ無いですよ。僕が曲者なら死んでますよ」
「すまん、そうだ今晩は一緒に飯を食おう。それでええか」
 そう言うとまた寝てしまった。
「それではまた顔を出しに来ます」
 そういって聞多の部屋をあとにした。

 俊輔は自分の部屋に行き、桂からの手紙を何度も確認した。今度の江戸行きは藩の撫育金を預かりだし、銃器の購入をするのが目的だ。
 横浜の商人とも取引のため交渉をしに行かなくてはならない。これが公儀に知られると大変なことになる。そのときにには自分のような身分ではいなかったことにされるだろう。でもこういうことをするのが自分たちの役目だ。
 旅の途中読む本なども含めて一通り荷造りも済んだ。聞多と一緒なら駕籠にも乗れそうだし、楽しく行けるのではと少し気持ちも楽になる。

 夕刻になり、聞多の部屋を訪ねた。聞多は文机に向かってなにか書いていた。

「聞多さん、どなたかに手紙ですか」
「おぬしのたのしみにされるのはたまらんから言わん」
「つまらんですね」
「よし、出かけるか」

 出かけた先は湯豆腐屋だった。個室に通されて、二人きりで鍋に向かった。

「ずいぶん静かな食事ですね」
「そうか、たまにはいいだろう。おちついて」
「聞多さんも面倒なお役目お疲れさまです」
 笑いながら俊輔は聞多に酒を注いだ。
「すまんのう。お主もどうだ」
 お互いに差しつ差されつ酒と豆腐を楽しんだ。
「そういえばこういうところだなんて、思いませんでした。なにか話でもあったのではないですか」
 俊輔があらためて聞いてきた。
「いや、別に、うまいものでも食って英気を養わないけんかなと思っただけじゃ。ええじゃろこういうのも」
「なんかおかしいんですよね。聞多さん何か企んでいる時、こうモヤッとするんですよ。歯切れが悪いっちゅうか」
「そんなことないぞ。企んでいるなど。何しろ江戸へ急行せにゃならんのだ。しかも相手は高杉だ。なんでこんな事に」
「桂さんの推挙だそうですよ。久坂さんだと喧嘩になるだけだって」

 こんな話をしたいわけではない俊輔は、ひたすら酒を飲んで酔っぱらいになることにした。

「聞多さんはずるいですよ。僕が江戸で高杉さんと何をやったか知っとるんでしょう。それなのに何で何も聞いてくれんのですか。本当は僕のことどうでもええんじゃないですか」

 聞多が眉をひそめ難しい顔をするのを見て、俊輔は声を荒らげた。

「しょせん君側の人に、僕の気持ちがわかるはずないんじゃ。僕をそばに置いて物分かりの良い人をやっちょればええ」
「確かに高杉が公儀お抱えの学者を斬らせた話や、松陰先生の事は耳にしちょる。俊輔や山尾が士雇いになるとも聞いちょる。だが、何をやったか気にしたことはないんじゃ。すまんかった」

 気儘で怒りっぽいと言われる聞多が頭を下げると、俊輔は酔ったフリをしている自分に少し腹がたった。

「もういいです。明日から二人なんじゃ。おたがいきもちよくやりましょう」

 酔っ払ってる俊輔の肩を支えて鴨川の風を受けながら屋敷に帰ってきた。聞多は一旦俊輔を壁に凭れさせて、布団を敷くとその上に転がせた。


 自分は文机に向かい、桂に文を書いた。うまく行けば自分たちよりも先に届くはずだ。そうなれば少しは考えを持ってくれるという期待もあった。
 その後寝場所をどうするか考えたが、体力のこともあるので聞多は俊輔の隣で寝た。

 次の朝先に目が覚めた俊輔は、昨夜の失敗に身を持って気がついた。床から出ると聞多も気がついたようだった。

「昼前には出立するから準備をしとけ」
 寝ぼけたような声で、聞多が言った。
「準備できたらこちらに来ます。聞多さんこそ準備しておいてください」
「わかっておる。うるさいのう」

 自分の部屋に戻って、最後の支度をしていると、昨夜聞多にぶつけたイライラが、馬鹿らしいものに思えてきた。
 相手が気にしない以上、噛み合わないことに腹を立てたことで、無駄なことなのだ。聞多のやりように乗ってしまえばいい。そう思うと気が楽になってきた。

 頃合いも良い時刻になったので聞多の部屋をたずねた。聞多も準備が整っていたので、屋敷を出た。

 三条大橋を渡って京を出た頃、聞多がぼそっと言い出した。

「そういや、俊輔。わしがなにか企んどる、といいよったな」
「あぁ昨夜のことですか、ちょっとしたやつあたりです。忘れてください」
「いや、当たってるんじゃ。わしは異国に行こうと思うちょる。実際にお偉方にも話をつけておるところじゃ」

 国禁を犯す行為の話に戸惑って、俊輔の足が止まった。

「えっ。ついこの前英国公使館の焼き討ちしたばかりじゃ。なのに」
「俊輔も洋学、学んでおったろう。どうだろう一緒に行かんか」
「待ってください。意味がわからない」
「一緒にエゲレスに行かんか。と言うちょる」
「攘夷はどこに行ったんです。夷狄を討つのじゃって」
「もともとわしは海軍こそ国の守りの要と考えておるんじゃ。夷狄に勝つためには相手を知らんといけんじゃろう」
「それはそうですが」
「まぁ時間はある。ゆっくり考えればええ。じゃが足を止めてはならぬ」

 そう聞多は言うとにっこり笑った。俊輔はこの笑顔はだめだ。ごまかされては道を誤ると心に言い聞かせた。

「そうじゃそうじゃ、急がんと聞多さんが大変じゃった」
「ようし江戸に直行じゃ」

 その後も聞多は、一緒にエゲレスに行こうとことあるごとに言い続けた。俊輔に洗脳するかのようだった。10日以上ことあるごとに言い続けられると、段々その気になってくるものだ。
 俊輔は相模の警固に赴いた頃を思い出していた。異国のことをもっと知りたいと考えていたのだった。エゲレスに行ってみたいと考えていたこともあったのだ。

 体力温存で山を登るときは駕籠を使ったし、そのへんは金に糸目はつけなかった。大井川の渡しもらく楽にやった。多摩川を渡り品川と来ると、真っ直ぐ藩邸に入った。

 俊輔の気持ちも固まってきた。桂さんに真っ直ぐ伝えようと俊輔は決めた。まず、江戸についたことを報告に行った。
「桂さん、お役目を果たすため近日中に横浜に向かいます」
 俊輔は桂の顔色を伺いながら言った。
「あぁ聞いている。そちらは無理をする必要はないからな。それにしても志道くんとの道中大変じゃなかったか。こんなに早く着くとは思わなかった」
 桂は笑いながら言った。
「聞多さんには、考えがあってこの道中にかけていることがあると聞きました。実は僕もそのお話を聞いて、参加をさせていただきたいのです」
 俊輔は桂の顔を見つめながら続けた。
「ぜひともお許しをいただきたいのです」
「どういうことかな」
「エゲレスへの遊学を希望していると言う話です」
「そうか、そのようなことができればいいがな。国禁の行為じゃしのう」
 桂は駄目だと言わなかった。これで十分だと俊輔は思った。
「確かに国禁の行為。そう簡単なことではないと承知しております」
 そう答えてこの話を終わらせた。後は当たり障りない話をして桂の前から下がった。

 俊輔は聞多が京に行き江戸に戻ってくるまでに、お役目の銃器の購入を終わらせておくと決めた。


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