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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#108

20 辞職とビジネスと政変と(6)

 そして、木戸も帰国をして、長州が排除された政権に不快感を隠せなくなっていた。渋沢や陸奥が馨の大蔵省のやってきたこと、問題点を話しに訪問していた。肝心の馨はなかなか訪ねては来なかった。
 木戸はとうとう馨の家に押しかけて行った。
「聞多があまりにも、顔を出してくれんので、来てしまったよ」
木戸は笑みを浮かべ、馨の前に座った。
「どうですか、体の調子は」
「まぁ、頭痛がなかなか良くならん以外は、随分マシになってきた」
「それはよかった。杉達からお伺いするときは、気をつけたほうがええと、言われとったので」
「それで、君のこれからのことだが」
「わしのことはええんです。俊輔にも伝えとりましたが、プライベートビジネスを始めておるんです。このままにしておいてください」
「大蔵大輔まで努めた人物が商人とは」
「わしには官の世界のほうが、嫌気がさしとるんです。武さんも受け入れてくれとります。何も問題はないはずじゃ」
「渋沢くんがきて、聞多のことを説明してくれたのだ」
「なれば、もうええでしょう。ビジネスにはいろいろな人や金がもう動いとるんです。迷惑をかける訳にはいかんのです。この話これ以上は、無駄でしょう」
「せめて、俊輔の帰国までは待ってくれないか」
「もう動いとると言ってます。この話は終わりにしてください」
 そう言い切られると、木戸は言えなくなっていた。他に世情のことなど色々語り合った。文のやり取りで、できてしまった溝も、埋めていくことができたようだった。
「聞多が、洋行の経験を指導者としての資格とするべきと言っていた意味がよくわかった」
「そうですか。技術や豊かさ、民の知識・学問、違いが多いの。でも、わしらは足元を固めんといかんのではないですか」
「法律を整備するべきだと気がついたのだ。政府の権を規定し、民の自由をも守る」
「立憲政体を図るべきということじゃな」
「そうだ。私は欧米のそういう仕組を、もっと学びたいと思ったのだ」
「わしも必要だと考えたことも、あったのじゃが」
「私とともにやってくれないか」
「今はビジネスのほうが、重要と思うんじゃ」
 ひさびさに興味をそそられる会話ができた、と木戸は思った。しかし馨の反応を見て、今はこれ以上は無理なのだと思うことにした。
 やはり木戸は、使節団の長すぎた旅と、残された馨を取り巻く事情を、考えずにはいられなかった。その後、馨の社会的知名度を考えて、なにか不都合が生じたら、すぐに東京に戻ると言う約束を、木戸はどうにか、取り付けることができた。
 また馨が尾去沢鉱山とその周辺を視察するという話は、政府側にも意外な反応を引き起こしていた。
 大隈の考えた東北開発案に関して、大蔵省で視察に出るべきとされたが、担当者の多忙のため別の人物を当てることになった。その人物を推薦したのが三条実美だった。前の大蔵大輔井上馨が政府の仕事として、東北を視察するという話にされたのだった。
 しかし、このことは当の本人が知る事もなく、周辺の人々が作り出していった。それでも新聞の記事にものるようなこともあった。
 実際としては、この視察旅行は岡田平蔵が負担し、馨もプライベートビジネスだという形式のまま行われていた。

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