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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#52

11 公儀と朝廷と戦と(3)

 その裏では討幕について計画が動き出していた。討幕をはたすよう命じる文書が、詔勅の形をとって出された。広沢達が三田尻より山口に向かい藩主敬親に伝えた。敬親と対面したあとは、出兵についても話し合いを持った。
 朝敵の汚名もそそがれ、これにより藩内としても、一致して倒幕に進むことができるようになった。

 一度山口に戻った聞多は、広沢と三条公らの京への帰還の随行員として、三田尻から乗船した。大阪で上陸すると京に向かった。その頃長州軍は大坂から京の郊外に移動し控えていた。ここに徳山の増援部隊が加わり、伏見の警備につくことになった。長州の兵もその時を待つだけ、となっているのを確認し足を進めた。

 京に入った広沢は新政府の参与を任じられた。主として動くのは広沢で、聞多は補佐するという立場だった。まだまだ身分の壁が厚く、藩士では参与と言っても陪臣かつ無位無官ということで、御所内の会議に参加できなかった。

 慶喜の入京について、三条家の屋敷で話し合われた秘密会議の時、薩摩と長州は反対を表明していた。その中で三条実美は見渡して、発言していない聞多に問いかけた。
「井上、そちは慶喜の件どう思う」
「我らは否でございます。もし、慶喜公入京されるのであれば、私を三日公家としてお加えください。さすればその間に慶喜公と刺し違えてみせまする。成し遂げる覚悟は常に持ってございます」
 勢いに任せて言ってのけた。

 しかし、この慶喜の入京については、賛成反対それぞれ譲らず、決定することができないままになっていた。西郷に呼ばれた聞多は、慶喜の上京の際は、伏見で武力の行使も含めて、阻止することを確認した。これは公式のことではなく、密約のようなものであった。そして、武力抗争となったときの成功した場合、失敗の場合と言った想定を詰めていった。

 そして鳥羽伏見で戦端が切れられた。幕府側が軍を率いて上京してきたからだった。これには山内容堂は、薩長で開戦をしたと不満をもっていた。その状況の中、御所に上がり、会議に出席するはずの広沢に聞多は呼ばれた。
「すまないが、わしは熱があり御所に上がることが出来ぬ。おぬしに行ってもらわねばならぬことになった。議題はこの度の戦についてであろう。よろしく頼む」
「よろしゅうと言われてもなぁ、広沢さん。わしは細かいところはわかっておらんが、それでもええんじゃな」
「仕方あるまい。おぬしに任せる」
 任せると言われても、御所での会議などそう出席しておらんし等、不満も頭を駆け巡っていた。
「わかりました。行って参ります」
 聞多はそう言って宿舎を後にして、御所に上がった。

 この時、聞多も参与に任じられることになった。御所に入ると非蔵人(無位無官の者)たちの部屋の片隅に、場所を見つけて座っているしかなかった。伏見あたりの砲弾の音が時々聞こえてきた。戦が行われていることが、実感として伝わってきていた。

 ふっと見上げると、大久保が聞多を呼んでいることに気が付いた。慌てて大久保のところに近寄ると、「こっちのほうへ」といわれ、別の部屋に連れていかれた。そこには、公家や藩の指導者が集まっていた。
「容堂公が、どうもこの度の戦が始まったことにご不満でいかぬ。このまま土佐の兵を下げてしまうことになりかねない」
 大久保が土佐の動きを気にしているようだった。見渡すと容堂公は、この場にはおられないようだった。
「それで、長州の井上さんの意見もおききしたい」
「土佐の兵など気にされることはないと思いますが」
「それはなぜ」
「我らはすでに負けた時の対応まで考慮しております。それに従い進めればよいだけの事。土佐の兵が無くとも同じことでございましょう。それに土佐が従わないということならば、こちらの勝利時には公儀の800万石に土佐の24万石がご領地として加わるだけのことでございます。土佐のために、進退を考えねばならないのは、無駄なことでございます。薩摩と長州とでおこなって参れば、よろしいかと」
「確かにその通りと考える。我ら容堂公のご意見受け入れるわけにはいかぬ。皆さまもよろしいか」
 大久保は山内容堂のご意見を受け付けないことにした。これには容堂公も怒りのあまり、御所を退出する始末になってしまった。


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