見出し画像

【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~ #8

尊王攘夷への道(2)

 その頃聞多は自室で大の字になっていた。手元には航海遠略策、床の上に海国兵談の一部が置かれていた。本を手にとっては、気になるところに付箋を付け、また手にとっては、周りに投げていた。そしてブツブツつぶやいてなにか考えをまとめようとしていた。

「海は異国にも続いている」
「防御するには、砲台や台場を築く」
「海か。船だ。蒸気船が必要。海軍だよなぁ。国力もか。金がなければ船を買えない、作れない、か」
「港を開くには|勅許〈みかどのおゆるし〉が必要と」
「帝の勅許なき条約は破棄すべし。公儀はこういうやり取りに一義的には、代表してすべきではないということかの」
「その後、正統な条約を結ぶべきか」
「開国・交易、鎖国・攘夷」
「攘夷も即時と一時開国して国力をつけてからが、あるんか」
「弱腰の公儀に代わり夷狄を討て、と」
「皆が攘夷で統一されねば国体に適さず」
「朝廷と公儀は一体として政にあたるべし、されど公儀と帝のお考えが違うとるがの」
「なるようにしかならん。やめた」

 気分転換に街に出ようと門を出たところで声をかけられた。
「聞多さん」
「おお俊輔じゃ」
「桂さんに呼ばれて。もう用事も済んだので外出でもと」
「飯一緒にどうじゃ。手持ちが無いんで、おなごのいるとこにはいかんけどなぁ」
「いいですね。おつきあいします」
「じゃぁいつもの飯屋でいいか」

 二人は店につくと、いつもの座敷の隅に席をとった。俊輔は近くに来た女中に声をかけると、二人分の定食にひとまず酒を2本頼んだ。
「俊輔なんか変わったことあったか」
「あぁ聞多さん、僕に探りをいれるんですかあ。安くないですよ」
「おぬし、飲む前から酔っ払ってるようじゃのう。ほれ」

 聞多が俊輔に銚子を差し出して注いだ。

「変わったことですか、高杉さんが国元から江戸に来るそうです。世子様の御小姓として」
「ああ、高杉小忠太殿のご子息か。確か松下村塾の。俊輔は知り合いか」
「そうです。塾では目をかけていただきました」
「そうか」

 俊輔が思うよりも聞多の反応はそっけなかった。

「桂さんからこの本渡されたのですが」
「航海遠略策じゃな。己で読んだほうがええ。わしはまだそれしか言えん」
「久坂とかは色々言っているようだがのう」
 それだけ言って他愛ない話に変えてしまった。

 酒を何本か追加して、なんとなく終わりになった。適当に酔うための相手だったのかと俊輔が思うくらいあっさりと別れた。

 聞多が言っていたように、航海遠略策についての久坂たちの批判は強くなっていた。どちらかというと公儀よりの論とみなされていた。一旦開国して国力をつけるというのは、公儀の開国を認め、朝廷をないがしろにするものだと久坂たちは詰め寄っていた。久坂たちは長井を斬るとまで言っている始末だった。
 藩是として公儀や朝廷に上奏するも足元の藩論としても反対派が増えおぼつかなくなってきた。

 そんな中、高杉が江戸にやってきた。しばらくして杉徳輔と高杉に公儀のヨーロッパ使節団への参加が打診されたが結局行けたのは杉だけだった。その後藩の要人は高杉晋作を公儀の上海派遣使節に送り込んだ。その帰り長崎で蒸気船を無断で契約して問題になったりした。

 航海遠略策は公儀で支持していた老中安藤信正が坂下門外の変で失脚した。また朝廷からも否定される事態となり、長井雅楽は失脚のあと切腹、伊藤俊輔の恩人の来原良蔵も、自ら切腹と痛手を追うことになった。こうして発言力を増した松下村塾組と周布達改革派が主導権を握り、条約破棄と攘夷・朝廷への権力移管を藩の方針と打ち立てた。


サポートいただきますと、資料の購入、取材に費やす費用の足しに致します。 よりよい作品作りにご協力ください