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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#48

10 四境戦争(4)

 この戦の終盤に将軍家茂が逝去していた。小倉口に見られた混乱の一因であったようだった。
 後を継いだ慶喜は芸州口の総督として出陣する予定だったが、戦況の思わしくない様子を見て出陣を取りやめた。
 その上、止戦の勅書を願い出ていた。朝廷も再征の決定を無理やり出させられた経緯もあり、慶喜の対応に腹を据えかねていたが、頼りになるのも慶喜以外いないので止戦で決定することになった。
 
 講和の使者には慶喜が勝海舟を指名した。講和の会議は厳島で行うこととなり、長州からは広沢、聞多、御堀と言った面々が派遣された。勝は一人で乗り込んでいた。

 会議が始まると、勝はまず内戦が続くことの危うさを説いた。
「もう兵を出すのは止めにしてくれないか。もっとも当方としても公平な取り扱いをする。公論会議を行い大政についても考慮することも考えている」
「大政の変更をお考えなのは良いことだが、我らは公儀の言い分に信用が持てないので、初志の貫徹をするしかないであろう」
 広沢が反論をした。
「諸外国の前で内戦の隙を見せるのは得策ではない。せめて軍の撤退の邪魔だけはしてくれるな」
 勝は事実上の負け戦を、撤退するということで、折り合いをつけようとしていた。
「撤退の邪魔はいたしません。そもそも我らに侵略の意志はない」
 聞多も注文をつけた。
「戦端をむりやり開いたのは公儀の方ではないか。兵を出して来たのは公儀であるのにその言い分には納得しかねる」
 広沢が一番の言うべきことを言っていた。

 勝の腹芸に乗せられた感もあるが、こちらから手を出さないという形式での休戦に応じることになった。

 会談を終えた後、聞多は勝に個人的にお尋ねしたいことがあるので宿舎にお邪魔してよいかと聞いた。勝はどうぞという返事だったので、さっそく足を運んだ。海軍興隆を目指していた頃から一番会いたかった人物だった。
「高田春太郎と申します。是非、勝先生とお話致したく罷り越しました」
 高田春太郎は聞多がこの時、使っていた名前だった。
「君はいろいろ意見していたね」
「勝先生は、公儀・幕府で国をまとめることができるとお思いですか」
「多少形を変えるかもしれないが、国を保つようやっていかなきゃいけないだろ。公儀がどれだけできるかわからんけどな」
「そういえばお前さん、随分ひどい傷を追ったもんだね」
 治ったとは言うものの、傷薬や膏薬は欠かせないままだった。
「あぁこれは闇討ちにあった傷跡です。随分無理なことをした結果です。イギリスに行き学び、帰ってきて、藩論と対決しました。その時、己の未熟さを深く感じました」

 この話を聞いて、勝もこの人物が長州の藩論転換に関わった、井上聞多だと気がついた。愉快なことになっていた。

「時勢って物もあるだろ。やれることやれば良いんだよ。まぁ後何言われるかわからんけどな」
「そういうものですか」
「自分が正しいと思うことをするのが一番さ。悩んだって時間の無駄さ。評価をするのは後の人なんだ」
「ご意見ありがとうございます。ちなみに」
 一度区切ってからまた続けた。
「我ら、将軍の逝去についても存じてました」
 勝と顔を見合わせて笑っていた。

 聞多は帰り道、噂通り面白いお人だと思った。ただ喋りすぎた。言わなくても良いことも、言ってしまった気もする。でも後悔は無い。これからまた会えることを願った。

 聞多達は山口に戻った。広沢が復命書を作成し、皆で確認した。追いかけるように芸藩から止戦の勅書がもたらされた。

「一体この内容は、どうした事だ」
 広沢が驚きを隠せなかった。
「我らは好んで占領した訳ではない事は明白なはず。実際そう申して、勝も納得していたはず」
 聞多も意味がわからないという様子で言った。
「無駄な戦を仕掛けて来て、この言い分どういう事だ」
 御堀も憤っていた。
「勝様がお役目辞退の上江戸に戻られたそうです」
 芸藩の使者が内部の事情らしい事をほのめかした。

「勝は、将軍家の懐刀なのではなかったのか。その勝にこのようなことができるのは」
「慶喜公か」
「己の才気のみで周りを振り回して、この結果とはの」
「公儀の体制はどうあれ、この勅書はお預かりするわけにはいかないの」
「突き返すしかないのでは」
「そうじゃ、お返ししよう。のう広沢さん」
「皆の結論でよろしいか」
「そういうことで」

 この勅書は長州側としては受け取るわけにいかないとして、反論書を付して使者に返された。このことが決定的となり、信用できない公儀・幕閣に対して変革を求めるのでなく、戦って打ち破ることが確認された。武力討幕で行くしかないということだ。

 聞多は討幕の決意が固まった、ということを手土産に下関へ向かった。

 下関では、労咳で病んでいる晋作が、療養をしている。
 奇兵隊幹部の福田侠平と共に見舞った。

「晋作、久しぶりだの。思ったよりも元気そうで安心した」
 言葉とは裏腹に、晋作の病状はかなり思わしくなかった。
「大丈夫じゃ、殿や、世子様の復権のことは薩摩も熱心にやってくれとる。武力討幕も含めて活動しておるぞ。芸州も盟約に引き込めそうだしの」
 聞多の言葉に、晋作はただしっかりやってくれと、しかいうことができなかった。

 晋作の病室を後にして、聞多は一人になった。知らず知らずのうちに涙がこぼれてきた。
「どうしてこんなことに」

 しばらくすると、俊輔が探しにやってきた。
「聞多、ここにいたのか。皆が話を聞きたいと言って集まっているんじゃ。一緒に来てくれ」
「あぁわかった」
 皆の集まっているという茶屋に行くことにした。

「こりゃ、久しぶりな者ばかりじゃの」
 俊輔のほかにも山縣狂介や吉富といった顔が見えた。
「で、何を話せばいいんじゃ」
とりあえず話せそうなことをいくつか上げた。公儀との止戦講和の時の事、勝のことなどから始めた。そして武力倒幕となることも話した。一通り説明を終えると今度は晋作の病状についてきいた。
「近々家族を呼び寄せることになるらしい。母上や奥方、お子じゃな」
 山縣が説明をした。
「そんなにか。晋作がなぁ。死んでもええと思って芸州口で戦って、わしは生き残ったのに。今こそ力を見せるべきで、発揮できる晋作が死にゆくとはのう。わしのほうがよほど…」
「言うな。聞多。それ以上」
 俊輔が飛びかかるように聞多に抱きついた。
「ここにいるのは、高杉さんが聞多が心配だから頼むと文を出した人ばかりなんだ」
 続けて俊輔が言った。
「まさか狂介にまで、なにかあったら助けてやって欲しいと頼んでいるとは」
「こうやってお話するのは、いつぞやの江戸以来。お目にかかるのも京であったかくらいのことですね。聞多さん」
「山縣くんか。俊輔とは村塾で同門じゃった。晋作もか。あぁ俊輔、離れてくれ、話が出来んじゃろ」
「奇兵隊のことは大丈夫です。わしのことは狂介って呼んでください」
「狂介、頼りにしていいか。晋作の縁か。ありがたいもんじゃの」
 今度は吉富の方にも向き直っていった。
「簡一にも頼ってばかりじゃ。すまぬ」
「しんみりするのも、高杉様には合わぬこと。楽しく行きましょう」
「大丈夫じゃ。こうやっておなごと遊ぶのも、生きているからなればじゃ」

 さすが井上さんとばかりに、吉富が場を盛り上げた。皆で飲んで騒いで、お開きなった後、聞多は俊輔の家へ向かうため二人になった。

「高杉さん、面白きこともなきよに面白く、と詠んだらしいって」
「面白きこともなき世か、晋作がの。好きにしていたようにも見えたが。まぁわしでも、世のしがらみから抜けたい気持ちはあるの。こころの中に子供が遊んどるじゃろな」
 俊輔が少し驚き聞多の顔を見つめていた。それに気が付く風もなく聞多は続けて言った。
「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけむ。遊ぶ子供の声聞けば、我が身さえこそ揺るがるれ」
 聞多は多少の節を付けてうたった。
「それは」
「古のうたじゃ」


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