「私か母のどちらかが死ななければ終わらなかった」|読書記録
「母という呪縛 娘という牢獄」齊藤彩
積読本を読了。
受刑者である髙崎あかり氏と齊藤彩氏の合作本
事件加害者の本を読むのは、批判多数で読むことすら事件への加担とされた「絶歌」ぶりです(同列に挙げることが果たして正解かは分からない)。
出版当時SNSで知り、事件概要を調べました。「医学部9浪殺人事件」「滋賀医科大学生母親殺人事件」の事件概要をWikipediaで読むだけで、かなり重めな情報量で本を読むに至るまでだいぶ時間がかかりました。
あかり氏は「医師を目指すと言い出したのは自分からだった」と証言しているようだが、母自身も「生まれた時から医者にしようと思っていた」と口にしていたようです。
ここで自分が思い出したのは心理学で有名なジョン・ワトソンが「健康な1ダースの乳児と、育てる事のできる適切な環境さえととのえば、才能、好み、適正、先祖、民族など遺伝的といわれるものとは関係なしに、医者、芸術家から、どろぼう、乞食まで様々な人間に育て上げることができる」と唱えたこと。
自分が育つ環境で思考は良い意味でも悪い意味でも偏る可能性が大いにあることと、そうはいっても必ずしも思うようにいくわけではないということから、発達とは環境も性質も能力も全てが輻輳しているということを改めて実感させた次第です。
正常な判断ができる精神状態であれば人を殺すに至ることはないと思うけれど、人生の殆どを抑圧されて生きてきたあかり氏は加害者であり被害者なのだと思いますし、それが判決にも示された事件でした。
そして父親の存在を「止まり木」と表していましたが、犯罪を犯しても我が子は我が子であると表してくれた父親の元で、刑期終了後は自分の人生を生きてほしいです。
犯した罪は確かに大きいし、許されないことなのかもしれないけど、更生保護ってもっと世の中に理解されていくべきだと思いました。
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