「子持ち様」論争と分断社会とワタシ
体外受精の話ではないけど、書いてみる。
いま、SNS上で「子持ち様」論争が起きているとのこと。
「子持ち様」とは「育児を理由に仕事を切り上げたり育休を取る同僚」を揶揄する言葉。
「早く帰ってずるい」
「頻繁に休んでずるい」など、SNS上には批判的コメントが多数で、もちろん、反論もある。
反論の中には「子どもを持たなかった人の老後を負担するのは誰なのか、考えては」という声もあるようで。
これ、正論とは思うけど、正論のみ込めない程、自分の職場環境や仕事量の不公平感が拭えない人が爆増してしまったのが、いま現在のリアルな日本社会のように感じる。
子どもを持たなかった人の老後を負担するのは将来大人になる、いまの子ども達なんだと理屈は分かりつつも、自分自身だって可愛い、社会人だって愚痴りたい、キャパオーバーだよ、ってなるのが人間なんじゃないかな、とも思う。
生殖可能年齢ながら私には子どもは居らず、確かに今までの仕事人生において度々「子持ち様」のフォロー、したなぁ。
改めて、「子持ち様」とその同僚が良い関係で居られるかって、「子持ち様」の人間性や気配り、仕事への責任感、そして周囲との人間関係次第かなと思う。「子持ち様」のキャラはワンパターンじゃなく、カチンと来る人も居れば、あまりに腰が低い、いわゆるHSP気質の人とかも居るんじゃないかな。仮に、すごく良く出来た人間性の「子持ち様」でも、受け止める側の心のあり方や事情で、日によってはカチンと来ることが、あるかもしれない。
いま、一体どれ位の職場に、人的余裕、時間的ゆとりがあるんだろう。
私自身は、懐妊希望でありながら叶わない時、「子持ち様」のフォローするのは精神的に苦しかったな。
けれど、、、、、
不妊治療を始めて、正直、まず、妊娠が出来た女性が羨ましい。
授かれて、出産、育児が可能なのであれば、産んだ方が、良いと思う。
どれだけ努力しても産めなくなるんだもの。
不妊治療をやってみて、更に思うのは、命の誕生が人間の計画通りになること、予定通りに行くことなんて、ほぼ、無いということ。
どんなに願っても、卵子が育たない時は採卵は中止。精子が元気が無ければ卵子とは出会えない。何月何日に排卵!って、薬を使っても断定が出来なくて、身体の都合で決まる。
更に、出産後、赤ちゃん、子どもが何月何日に発熱します。怪我します。問題行動を起こします、とか、スケジューリングは不能なのだ。
いま、50代、60代の管理職で、体感でこういうことを理解してる人って、どれ位居るのかな。
仮に、この世代の管理職の男女比率が半々だったら今頃少しばかり、仕事上の制度は整っていて出生率も少しはプラス、育児と仕事、公私のバランスも取りやすい時代になっていた可能性があったんじゃないかな。
「子持ち様」論争には現代日本の格差現象とか色んな要因が絡んでると思う。
40代でようやく不妊治療を開始した私。
私は子どもを産んでない&育ててないことで自分の価値を感じられない部分があったけど
「子持ち様」論争については「子なし」「子持ち」どちらの状況も自分事として捉えることが出来るという、結果的にオリジナルな人生になっていると思う。
というか、私だけじゃなく、みんなオリジナルだし、ワンパターンじゃ、ないんだよね。
私はいわゆる苦学生で、家庭の事情で大学の学費は奨学金を活用。
就職活動はいわゆる氷河期。
専門職に就いた訳でもなく、なんとかありつけた仕事をし、給料は時々アップする時はあれども、お世辞にも高額じゃなかった。もう、ず〜っと。
だから、20年近くかけて奨学金をコツコツ返済するライフプランを立て、とにかく働くことが人生、になった。
近年、奨学金もかなり社会問題になってるけど、私は晩婚、不妊治療と、社会問題をいくつも体現してる。
「子持ち様」論争に話を戻して。。
「子持ち様」と呼ばれる側に思いを馳せれば「自分が子どもを守る以外ないんだもん。当然だよ。親だもん。」って、思うよね。
私は授かれてない身だけど、不妊治療を経て育児に突入することになった時、子どもに対しての責任を果たすにはフルタイムの仕事を並行するってのは不可能と判断したから、仕事を辞めた。
「仕事は、あなたの代わりが居る。子どもに親の代わりは居ない。」
こういうの使い古された言葉なのかもしれないけど、男女問わず、時々考えてみても良いんじゃないかな。
大人も皆、いつかは子どもだった訳で。
ということで、とりとめのない内容ですが、今日は色々と考えました。
※便宜上「子持ち様」という表現を繰り返しました、すみません、ご容赦ください。
みなさま、良いGWを。
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