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パートナーっていた方がいい?

アセクシャルを自認し、更にはアロマンティックもあるかもしれないと思っている私。

ただ最近、「老後のためにパートナーがいた方がいいのだろうか」とも考えるようになりました。

過去に男性相手・女性相手それぞれで婚活をしてみた結果、どちらも恋愛っぽい雰囲気になるとどうにも居心地が悪い。
性的な雰囲気は最早しんどい。

男性相手では「わざわざ新しく知り合う必要ないよな」と思い、女性相手でも「ずっと友達みたいな雰囲気の方がいいな~」と思うようになりました。
(元々男友達はおらず、友達関係は女のみだったこともあるかも)

そしてしばらく、パートナーとか好きな人とかを持たない、一人の人に心を傾けすぎない状態が一番生きていやすいかも、と思っていました。

自分の生活に関わるのは、知人・友人・家族・親戚。
後天的に知り合った人とは、友達よりも親密な関係にはならない。

ですが最近、アセクシャルやアロマンティックの方を中心に「将来歳を取った時に一人なのは不安」「もしもの時に頼り頼られる存在がいると安心」という意見を見るようになりました。
(最近Twitterにセクマイアカウントを作ったことで、色々なアセクシャルやアロマンティックの方の考えに触れられる機会が増えたのがきっかけとして一番大きかったです)

セクマイの中でも、アセクシャルやアロマンティックが特に、「一人で生きるか」or「誰かと生きるか」から考えることが多いのかなと思いました。

セクシャルかロマンティックの指向があれば、「誰と生きるか」から問いが始まるのかな、と。
(私が考慮しきれていないセクシュアリティもあると思いますが……すみません)

そこで改めて、自分は「一人で生きるか」or「誰かと生きるか」を今(ミドサー)のうちに考え抜いておいた方がいいのでは、と考えるようになったのです。

もし「誰か一緒に生きたい」のであれば、その誰か=パートナーを探すのは、年齢が上がるほど難しくなるだろう、ということで。

性的マジョリティ・マイノリティ両方の婚活をした中で、婚活(パートナー探し)のボリュームゾーンは20~30歳台、40歳台以上だと出会える人数が減る、そもそも母数――パートナー探しをしている人が減る、という情報を聞いていました。

また、自分が30歳台に入ってから40歳台の人を探せたり出会えたりした人数は、20歳台の時の30歳台の相手より少ないな、という体感もありました。

で、もしパートナーを探すとしたらどんな人をどのように探せばいいのだろう。
求めるパートナー像や、パートナーシップ像。
これが決まらなければ始まらない。

婚活で散々通った工程だけど、今までの婚活では「パートナーのいる人生」が前提として揺るぎなくありました。
しかし今回はその前提を壊してから、「パートナーを探した方がいいか、探さなくてもいいか」を考える必要があるわけです。

パートナーを得るとしたら、私はその人に何をしてあげたいのだろう、その人にとってどんな存在でいたいのだろう。
私はパートナーに何をして欲しいのだろう、どんな存在であって欲しいのだろう。

いなくても生きていけると思っている存在が私の生活にいたら、何がどう変わるのだろう。
私の生活の、何をどう変えたいのだろう。


……そもそもだ。

パートナーってそもそも何だ???

(つづく!)

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