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わたしが話すと場が凍る現象

話すのが苦手。

物心ついたときから、ずっと自分のことをそう表してきた。30代になったいまも、話すのが苦手だという意識はずっとあり続けている。

人と話す仕事を10年以上やってきてなにを言っているんだと思われそうだけれど、わたしの中にある苦手意識は、小学生の頃からあまり変わっていないように思う。

話し出すと場が凍る

なにか大きなきっかけでいきなり話すのが苦手になった、みたいなことでもない。

ただじわじわと、「思っていることがすぐに言葉にならない」とか「思っていることが上手に伝わらない」とか「話そうとすると少しどもる」とか。そういうことを小さく繰り返しながら、上手に話せる(ように見える)子と自分を比較して、徐々に喋らなくなって。

あるときに気がついた、なぜかわたしが話すと場が凍る。

いま考えると思い込みかもしれないし、多くの人が一度は体験したことのあることかもしれないけれど。当日のわたしは、わたしにだけ起こっている怪奇現象としか思えなかった。

数名で話をしているとき、わたしが話すと一瞬「シーン」と沈黙が流れて、そのあと誰かがわたしの話とは全く関係ないことを、あたかも仕切り直しをしようと提案をするかのような笑顔で話し始める。

そういうことを経験して、とうとう本当に自分のことを話さなくなった。

なんで話してくれないの?

成長の過程で、話すのが苦手なのではなくて、大人数での会話が苦手なのだということに気がついて、自然と友人との関係性はマンツーマンが基本になっていった。

そのおかげで、前よりも話せることが増えたけれど、それでもやっぱりまだまだ話せなかった。

それは「どうせ伝わらない」みたいな諦めもあったし、「わたしの話なんておもしろくない」という卑下でもあった。

高校生のとき、数名で仲良くしていた友人に「なんで自分のことを話してくれないの?」と言われた。

「なんで話せないの」って怒られたような気がして(おそらく思い込みだけど)、泣きそうになって、でも泣けないから笑って誤魔化した。

なんで話せないのか。わたしが一番知りたい。

自分を救うための場所

そんなこんなで、そのまま大人になり、話すのが苦手なのに、だからこそ人と関わる仕事がしたくて10年以上もがいてきた。

ただ、人と関わる仕事をして思ったのだけれど、人と関わる仕事、人を助ける仕事というのは、聞く仕事であって、話す仕事ではない。

聞くことができれば、自分のことを話す必要はあまりないのだ。

人と関わる仕事をしているのに、むしろしているからこそ、自分のことを話すのはいまだに苦手。

自分のことを話すときには、「人見知りなんです」とすぐに先手を打ちたくなる。

わたしは変わらず、そんな感じで生きている。生きづらさは相変わらず、ここにある。

それでも、どうしても、自分の話をたどたどしくてもいいから、おもしろくなくてもいいから、完璧に伝わらなくてもいいから、話す場所が欲しかったのだろう。

だからいま、話す場所を自分でつくろうとしている。

自分で自分のために。自分のことを自分の言葉で話すために。

わたしはいまのところ、なにかを教える人にはなれそうにはないが、一緒に話す練習をすることはきっとできる。

「うまく話せないけれど話したい」という気持ちを昇華していく場所を、一緒につくることはきっとできる。

練習の先でどれだけ話せるようになるのかはわからない。あえて話さないことで自分の世界を守っているところも、たぶんある。

どこまでいってもわたしは話すのが苦手なままなのかもしれない。

それでも、こんなわたしにもできることがあるかもしれないと思えていることが、生きる希望になっている。


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