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【映画レビュー】『セッション』:厳しく指導しないと上達しないなんて本当か

 スポーツでも勉強でも仕事でもなんでも、上達するためには厳しさが必要だと言われることが多い。実際、部活動などでは、絶対的な教祖様のようにふるまう指導者がいて、生徒たちがそれに盲従する姿が見られる。大声で怒鳴られ、脅され、罵倒され、圧倒的に押さえつけられながら、それでもときどき、さも「君のことを心配しているんだ」というような優しい言葉をかけられると、この人についていかなくてはと必死になる。マゾだ。
 いわゆるアメとムチであり、見ようによってはツンデレである。マインドコントロールだともいえる。
 どにかくそんな姿は、日常茶飯事のように、そこかしこに見られる。この映画は、そうしたカリスマ(?)指導者の姿を見事に類型化して描き出していて、すごかった。

逆らえない存在に自分を仕立て上げる

 ドラマーをめざして名門音楽学校に入学した主人公の若者。そこにいたのは、カリスマ的な絶対権力を誇る教師だった。怒声、圧迫、脅しなどによって生徒たちを突き放す、とんでもない横暴な人間だ。それだけを聞くと、どうしてそんな奴に従わなければならないのか、どうしてそんな嫌な思いをしても我慢しなくてはいけないのか、と思える。
 しかし、この教師に引き上げてもらえれば、プロのドラマーへの道が近づく、生徒たちはそう信じて、怯えながらも従うのだ。厳しいけれど、力のある人なのだから、これを乗り越えれば道が開けると。一瞬だけかけられる優しい言葉を真に受けて、この人は自分を育てようとしているのだと、思い込んでしまう。
 教師は、そう信じさせるように、自分をカリスマのように仕立て上げている。もちろんそれとて簡単なことではないだろう。そこに命を懸けている人種なのだ。
 音楽だけでなく、スポーツでも芸能でも、それこそ会社などでも、高圧的に恐怖感を植え付けながら、一方で、たまに甘い言葉をかけて、服従させていくタイプの指導者はたくさんいる。それを見事に表現していると思った。指導者に「悔しいか」と問われ、涙を流しながら無理やり「悔しい」と言わされるシーンなど、身につまされる。
 スポーツでも芸術でも、指導者より優れている教え子はたくさんいる。逆に言うと、そういう生徒をいかにたくさん育てられたかで、指導者の価値が決まる。だから、自分より力のあるものに対して、自分の権威を保って服従させるために、逆らってはいけない存在として自分を仕立て上げるのであろう。支配する側も、そうやって自分を権威づけなければ押さえつけることができないと思っているのかもしれない。
 私はそういうのは苦手で嫌いだが、実際に周りにもそういうタイプの指導者がいた。

そもそもそんな指導は許されるのか

 二つの疑問が湧いてきた。
 一つは、そのようにカリスマを装い、実際に暴力は振るわなくとも、精神的な暴力によって教え子を支配していくというような指導は、人間として許されるのであろうかということだ。育てるためなら、教えるためなら、そういう手法を使ってもよいのだろうか。それが立派な指導者なのだろうか。単なる最低の人間の仕業ではないのだろうか。
 また、そんなふうに教えられて身に着いた技能や能力には、価値があるのだろうか。間違った方法で、正しい能力が身に着くのだろうか。

そんなことをする必要が本当にあるのか

 もう一つは、そんなふうに暴力的に厳しくしなければ、技能や能力は身につかないのだろうかということ。本当にそんなことをする必要があるのだろうか。そこまではいかなくても、厳しくすることは、やはり必要なのだろうか。
 スポーツなどでも、最近は科学的な指導ということが言われる。根性論ではだめで、科学理論に基づいた指導でなければいけないと。しかし、そうはいいながら、やはりそれだけで上達するわけではなく、努力や鍛錬が必要である。そのときに、厳しさという要素が入ってくる。

子どもは選択できない

 二つの疑問とも、すぐに答えは出そうもない大きなテーマである。ただ、大人なら自分の意志で暴力教師に従ってもいいのかもしれないが、子どもの世界にもこういう指導者がいるので、恐ろしい。子どもは言うことをきくしかない。選択することができない。暴力教師が嫌でも、親が従うべきだと言えば、そうなのかと思ってします。そう考えると、やはり暴力教師の存在は否定されるべきではないかと思える。

ラストシーンの疑問

 というようなことをいろいろ考えさせてくれる映画なのだが、ラストシーンで、主人公の演奏を暴力教師が認め、二人が融合していくような描かれ方がされる。これについては、ものすごく違和感があった。
 あの暴力教師が、いくらいい演奏をしたからと言って、自分を裏切った主人公を許すはずはない。主人公も、自分を許したと思ったとしたら、甘いとしか言いようがない。
 いや、本当にそういう解釈でよいのだろうか。融合したようにみえるが、非和解であることを暗示しているのだろうか。私にはそうは思えなかった。ハリウッド映画の結末として、後味がわるいものは避けたかったのだろうか……。
 それまでの、暴力教師の描かれ方のリアル感がすごかっただけに、疑問を抱かざるをえないラストであった。


 身近な体験も浮かんでくるので、いろいろ語りたくなる映画でした。厳しく指導することはいいことなのか、という問題は、多くの人が共有しているのではないかと思います。この映画を見て考えてみませんか。そしてラストシーンについてもどう思ったか教えてほしいものです。

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