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【映画レビュー】『永い言い訳』:何重にも深い人間の愚かさの闇

 「自分のことを大事にしてくれる人を手離してはいけない。失うときは一瞬だから」 
 妻が事故で死んだときに別の女性と浮気していた主人公の男性が、時間を経て語った悔恨の言葉である。
 本当に彼の言うとおりだと思った。だから、今自分のことを思ってくれる人のことをずっと大切にしよう、と私も思った。
 いや、でも……


思ってくれる人を大事にできない

 主人公の幸夫が映画の最後のほうで語った「自分のことを大事に思ってくれる人のことを、手放してはいけないと」という言葉。これは、幸夫が自分自身に向けて語った戒めの言葉だと思った。
 幸夫自身は、その言葉をまったく実践できていなかった。自分のことをずっと大事にしてくれた妻をないがしろにしていた。うっとおしいとさえ思っていた。
 人間は、大切にしてもらうと、次第にそれが当然だと思ってしまう。なぜか、自分への思いは変わらないと信じ込んで傲慢になり、感謝することを忘れてしまう。 
 一方で、逃げていきそうな人のことは必死に追いかける。自分のことを思ってくれない人にほど、情熱を傾ける。
 そんな風にして、人と人はずっとすれ違い続ける。二人の思いのベクトルが一致する確率は極めて低い。
 それこそ人間の根本的な苦悩の源なのだと思う。

消えてしまったら取り返しがつかない

 幸夫がそんなふうに接していた妻が、バスの事故で突然死んでしまう。まったく想定していなかったことだった。
 妻はずっと自分を愛し続けていると思っていた。自分はその愛に応える気などないくせに。
 いつまでも続くと安心しきっていたのに、消える時は一瞬だった。もう取り返しはつかない。あとからどんなに悔いても、どうしようもない。 
 幸夫は妻の死後、時間がたつにつれ、自分が妻のことをないがしろにしていたことを、じわじわと実感した。
 だから、最初の言葉は、幸夫の自戒の念の言葉に思えたのだ。

わかっているのに実践できない愚かさ

 でも、この映画はそんな道徳的なことを言いたいのではない。
 「自分のことを大事に思ってくれる人のことを、手放してはいけない」
 そんなことわかっているのに、できないのが人間なのだ。本当に愚かな生き物だ。だから、ずっと苦悩し続ける。後悔し続けるのだ。
 愚かだということもわかっているのに、どうしようもない。そんな人間のどうしようもなさを、冷徹に見つめた映画だと思った。

実はもっと深い人間の闇を…

 しかし、この映画はさらに深い所をえぐっているのかもしれない。
 幸夫の言葉は自戒などではなく、もっとエゴイスティックなものだったのではないか。
 幸夫は、妻の死後、彼女の携帯電話を見て、自分のことを愛してくれていると思い込んでいた妻が、実はもう自分を見切っていたことを知った。それでも妻は、自分を愛しているそぶりをしていた。
 そのことにプライドを傷つけられただけなのではないか。愛してくれた妻への感謝を取り戻したのではなく、単に逃げていこうとする妻を追いかけたくなったのではないか。手元からすり抜けようとしたから、捕まえておきたくなっただけなのではないか。
 だとすると、最初の幸夫の言葉は、自戒などというのはおこがましく、本当に自分勝手なものだ。
 うーん、この映画は、本当にひと筋縄ではいかない。


 実は西川美和監督の作品をこれまで見たことがなく、これが初めてでした。ぜひほかの作品も見てみたくなりました。

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