【映画レビュー】『ワイルドバンチ』:誰が何のために殺しあっているのか
「最後の西部劇」「西部劇に引導を渡した作品」などと評されるが、映画を見ればその意味がよくわかる。「西部劇の最高傑作」といっていいくらいの映画だと思う。
彼らは何者か
冒頭の10分くらいをみただけでも、これは普通の西部劇とは違うぞと思わされる。まず、誰が主人公なのかわからない。そして、出てくる男たちが何者なのかがわからない。
再世に出てくる集団、きれいな軍服を着て、整然と行動しているので、その地方の軍隊なのかと思いきや、かれらは鉄道を襲う強盗団であった。その強盗団と闘う男たちは、ぼろぼろの身なりで、規律のない自分勝手な行動をする。しかし、彼らは鉄道を守るために正式に雇われた集団である。といってももともとは、盗人であったり強盗であったりするのだが。
見ているとだんだんそういうことがわかってくるが、しばらくの間は、だれが何のために銃撃戦を繰り広げているのかがわからないまま、ただひたすらに、殺されるか生き延びるかのぎりぎりの攻防を、はらはらしながら見守ることになる。
政府軍までも
途中から部隊はメキシコに移る。人々が暮らす農村に侵入・制圧し、反対するものを殺し、女を漁り、やりたい放題している軍服の悪者たち。と思ったら、かれらはメキシコ政府軍であった。政府軍の将軍は、強盗団の首領よりもっとたちの悪い男である。
主人公たちは、その政府軍の依頼で、鉄道で輸送中の銃を奪う仕事を引き受ける。しかしながら、仲間の一人は政府軍に蹂躙された村の出身者であり、政府軍を憎んでいる。結局、彼は将軍に殺される。
まさに滅びの美学
金のために強盗を働いている主人公たちであるが、最後の最後に人間としての意地をかけて、仲間を殺した将軍に立ち向かう。そして、強盗団と政府軍とのすさまじい銃撃戦が繰り広げられる。この有名なシーンは、映像的にも本当にすごい。そのすさまじさは、何が正義か悪かということなどどうでもよいものにしてしまうのだ。
強盗団の男たちは、捨て鉢の闘いで、もちろん死を覚悟している。強盗生活の最後の最後に死ぬことで、生きてきた意味を見出そうとしているかのようである。
一方、権力をふりかざす政府軍の将軍たちも、規律や道徳などから切り離されて、頼るべきものを持たない、文字通り無法者としてふるまう。
ただアナーキーに生きてきた敵も味方も、闘って死ぬしかない最後の戦いに追い込まれていく。というか、自らそこに突き進んでいくしない。滅びの美学とはこういうことを言うのかと実感させられる。
凄惨ともいえるほどの銃撃戦や、そこに向かうまでの敵味方が混乱するような展開は、観るものを引きつける。しかし、スタイリッシュな映像のせいか、全体を何か冷めた客観的視線のようなものが覆っているような感じがする本当に異色の西部劇であり、最高の西部劇でもあると思う。
西部劇はちょっと単純すぎて物足りないなとか、勧善懲悪で深みがなくてつまらないなと思っている人は、ぜひこの映画をみてほしいです。
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