【創作シナリオ】ラジオドラマ『お見合い問題、または、最適選択問題』
登場人物
花岡哲司(32)
山田弘(32)
村井香奈(28)
木島小百合(30)
ラーメン店店員(40)
あらすじ
大阪で働く山田弘は、九州の大学で数学教員をしている学生時代の友人、花岡哲司を久しぶりに訪ねると、哲司は、子供が欲しいからお見合いをすると言う。数学こそ真理だと信じる哲司は、一人目は見送り、その後、その人より良い人に決めるのが最善とする数学法則「お見合い問題」を実践するらしい。
お見合いの一人目の相手、村井香奈は、なんとその場ですぐ哲司と一緒になりたいという。哲司は、「お見合い問題」に従って断るが、香奈のことが好きになってしまう。しかし、香奈を選ぶことは数学に反するため、葛藤する。話を聞いた弘は、哲司に、数学より大事な感情があるのだと話す。二人で話したその帰り道、偶然、香奈と再会する。哲司は自分の信じる数学を初めて裏切り、香奈に自分の思いを伝える。
シナリオ
雑踏の音、駅のアナウンスが小さく混ざって聞こえる。スーツケースをゴロゴロ引く音が近づいてきて止まる。
弘「悪い悪い、ちょっと遅れたわ」
哲司「2分遅れです」
弘「それくらいなら合格や。いやー、久しぶりやなあ」
哲司「2年3か月15日ぶりです」
弘「さすが数学者。相変わらず数字に細かいな」
哲司「ボク、お見合いすることにしました」
弘「え? 突然なんやて?」
哲司「子供が欲しいんです」
弘「ちょっと待って待って。展開が急すぎてついていかれへんわ」
哲司「とりあえず、2年3か月前に会った時、弘君が行きたがってたラーメン屋行きましょうか」
弘「ん? そんな店あったっけ」
哲司「那珂川沿いにある博多ラーメンの店ですよ。そのときは休みだったでしょ」
店の引き戸をガラガラーと開ける音
ラーメン店員「いらっしゃいませ」
弘「ああ、思い出した。確かに、ここ、来たかったんやわ」
哲司「メニューは博多ラーメンしかありませんから」
弘「もちろんOK。よいしょっと。あー、おいしそう」
哲司「ラーメン2つください」
店員「はいよ」
弘「ところで、お見合いって、どういうことや?」
哲司「ボク、子どもを育てたいんです。それにはパートナーがいなくてはいけません」
哲司「そりゃそうやけど」
哲司「しかし、ボクの今の生活では出会いがありません。ほとんど一日中、机に向かって数式を解いているか、授業で黒板に数式を書いているかのどちらかですから。そもそも数学のコミュニティには圧倒的に女性が少ないので、パートナーを見つけられる確率はほぼゼロです」
弘「まあそうか。それでお見合いか?」
哲司「はい。そういう解答を導き出しまして、結婚相談所に申し込みました」
弘「うーん。合理的なところは変わってへんし、それはそれでいいんやけど、こういう問題はさ…」
店員「ラーメン、お待ちどうさま」
弘「早い! おおっうまそうやんか!」
哲司「弘君も学生時代から変わってませんね」
弘「そうかな。もうすっかりおっさんやけど。いただきまーす(ラーメンをすする音)」
哲司「ところで、今回のお見合いには数学の法則を使います」
弘「ゲホッ(むせる)。なんやて?」
哲司「数学で『お見合い問題』というのがありまして、またの名を『最適選択問題』などともいうのですが」
弘「サイテキセンタク?」
哲司「はい。いくつかの選択肢が順番に表れるとき、何番目を選べばよいのかということが数学で証明されています。選択肢がN人いた場合は、Nをネイピア数で割った数x人を無条件に見送ります。ネイピア数は約2.718です。それで、そのあと、それまでに会った人より良い人が現れた時点でその人に決定します。そうすると、最善の選択ができる確率が一番高くなるんです」
弘「難しい説明はええから、要するにどういうことなんや?」
哲司「はい。今回のボクの場合は、経済的な限界で四人までしかお見合い相手の紹介を受けられません。ですので、とにかく一人目の方は見送り、そのあとは、一人目よりよい人が現れた時点で、その人に決めることが正しい選択となるんです」
弘「うーん、頭がついていかへんけど、そんなのに自分の人生を託せるんか? 一生をともにするかもしれない人を選ぶんやで」
哲司「そんなのってどういう意味です? ボクにとっては、数学的論理こそが真実です。それ以上に信用できるものはありません」
弘「いやいや、こういのは論理とか確率かそういうもんじゃなくて、もっと感情というか、パッションというか、うーん、要するに理屈で割り切れへんもんなんや」
哲司「ボクには、論理的に説明できない一時の感情のようなものに身を任すほうがよっぽど不安です」
バロック音楽のクラシックが流れている。食器をテーブルに置くカチャカチャという音も聞こえる。
哲司「はじめまして 花岡哲司と申します」
香奈は「はじめまして 村井香奈です」
静かに音楽が流れ続ける
香奈「数学をやられてるんですね」
哲司「はい。大学で数学を教えたり研究したりしています」
香奈「質問してもいいですか?」
哲司「あ、はい」
香奈「どうしてお見合いをされようと思ったのですか?」
哲司「え、あ、それは子供を育てたいと思ったからです」
香奈「本当に資料に書いてあった通りなんですね」
静かに音楽が流れ続ける
香奈「結婚したって子どもが生まれないこともあります。そういうことは考えなかったのですか」
哲司「あっ、それは考えていませんでした」
香奈「結婚相手は子供を産んでくれる人だということ?」
哲司「必然的にそういうことになります」
香奈「女の人を人間だと思っていないってことになるのよ」
哲司「そうなってしまいます」
香奈「ふふっ、正直なんですね」
哲司「ごめんさない。数学者なのに思考力が足りていませんでした」
香奈「私はあなたと暮らしてみたいです」
哲司「えっ?」
香奈「あなたがいいです」
哲司「そんな、いきなり。こんな短時間でどうしてそんな結論が?」
香奈「直観です」
哲司「直観?」
香奈「はい」
哲司「直観でそんな大事なことを」
香奈「もちろん、いい加減に言っているのではありません。確信したんです」
哲司「確信ですって」
香奈「数学者には信じられないみたいですね。じゃあ、これならどう? 私の中のコンピュータがはじき出しました」
哲司「……ごめんなさい。本当にごめんなさい」
香奈「だめ……なのですか?」
哲司「数学の法則によるとそうなってしまうのです」
香奈「それはどうしても変えられないのですか?」
哲司「はい、数学は絶対の真理です」
香奈「……(寂しそうに)理不尽です」
モーツァルトの曲が流れる。食器をテーブルに置くカチャカチャという音も聞こえる。
哲司「はじめまして、花岡哲司と申します」
小百合「はじめまして、木島小百合です」
音楽が流れ続ける
哲司「あの、えーっと、ごめんなさい。本当にごめんなさい」
小百合「は?」
哲司「ごめんなさい、本当にごめんなさい」
椅子を引いて立ち去る足音。
小百合「え?」
電話の呼び出し音
弘「おお、哲司か。電話をかけてくるなんて珍しいやないか。どうしたん?」
哲司「ボク、一生、独身でいることにしました」
弘「また突然、何言うとるんや?」
哲司「数学の法則を破ることはできません」
弘「おいおい、今回もわけがわからへんぞ。週末に、ちょうと博多出張が入ったんや。そっち行くから」
ラーメンをすする音
弘「やっぱりうまいわあ。で、なんやて?」
哲司「彼女のことばかり考えてしまうんです。数学の問題も手につきません。このままではダメになってしまいます」
弘「それって恋やんか、恋。人間なら誰でも持っとる感情やで。全然だめなんかやない。だめどころか、美しいで」
哲司「美しい?」
弘「そう、美しいもんや。だから自分の気持ちに正直になればええんよ」
哲司「でも、その気持ちに従うと、数学の真理を裏切ってしまうことになるんです。だからボクは、もうお見合いはしません。パートナーを選ぶということ自体をやめることにしたんです」
弘「それで一生独身でおることにすると」
哲司「はい、そうすれば、お見合い問題、またの名を最適選択問題の結論を否定しなくて済みます」
弘「ひどい話や」
哲司「ひどいですか」
弘「うんひどい。むちゃくちゃや」
哲司「そうですか」
弘「何がひどいかわかってるか?」
哲司「お見合い相手に失礼なことをしてしまいました」
弘「それもある」
哲司「ほかにも何かあるのですか?」
弘「恥ずかしくて言いづらいけど、俺は哲司を尊敬してる。どんな状況でも、周りに流されず、自分を貫けるのはすごい。でも今回のお前は最低や。だって、信じたもののせいで自分を貫けなくなってる。これって論理的に矛盾してへんか。うん、そうや、論理的に破綻してるで」
哲司「論理的に破綻…、ぼくの最も嫌いな言葉です」
弘「数学の法則通りにならない真実だってあるんやないか?」
店の引き戸をガラガラーと開ける音
店員の声「ありがとうございました」
車が行きかう音
飛行機が上空を通り過ぎる轟音
弘「これからどうする?」
哲司「どうしましょうか」
弘「夕方から仕事やから、もうそろそろ…」
哲司「あっ」
香奈「あっ、花岡さん」
哲司「こ、こんにちは」
香奈「私を振った人」
弘「えっ? どういうこと? もしかしてこの人?」
哲司「あなたはボクのことを正直な人だと言ってくれました」
香奈「はい、言いました」
哲司「でもだめです。ボクは自分にウソをつかなくてはいけません。信念を曲げなくてはいけません」
弘「えっ? それって」
香奈「正直でない人はダメです」
弘「えっ、いやいや」
哲司「ボクも自分が許せませんでした。でも、今回だけは自分が信じたものを裏切ることにしました。もっと美しいもののために。香奈さん、ボクはあなたと一緒に生きていきたいです」
飛行機が上空を通り過ぎる轟音
香奈「わかりました。あなたを信じます。これも直観です」
弘「えーっ、うそー! 展開が急すぎて全然ついていかれへん」
哲司「あっ、彼は学生時代の友人の弘くんです。私にはまだよくわからないのですが、数学の真理より美しいものがあると、彼が教えてくれました。」
香奈「村井香奈です」
弘「山田弘です」
哲司「弘くんは、数学の論理なんてどうでもいいと思っている人です」
弘「おいこら、余計なことを言うな」
香奈「ふふふ、私もです」
弘「うーん、哲司は変なやつやけど、香奈さんも相当変わった人ですね」
香奈「そうですか?」
弘「ええ、そうです。僕も直観タイプなんで、ビビっときましたわ」
哲司「二人とも直観ですか…」
香奈「ねえ、人と人が偶然に出会う確率ってどのくらいなんでしょう?」
弘「宇宙的に超低い確率やないですか」
哲司「ものすごく非数学的で大雑把な言い方です」
香奈「確かに、それは大雑把すぎます」
弘、哲司、香奈「ははは(笑い声)」
哲司「ところで、ボク、考えてるんです。『お見合い問題』の最初の設定条件を変えれば、今回の結末も数学の法則通りになって、論理的な一貫性が保てるんじゃないかと。たとえば…」
弘「おいおい。懲りへんな、もうええやろ。香奈さん、ほんまにこんなやつでいいんですか?」
香奈「はい。証明は不要です」
(終わり)
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