「暮しの手帖」のこと。

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じっくり読みたいと思っていた。「暮しの手帖」2020-6/7月号を。これまでも、気になった記事の時は買っていた。でも、北川編集長になって一層、全体の佇まいに居心地のよさを感じる。

わたしにとって、「暮しの手帖」は”雑誌読み”の原点ともいえる雑誌。岩手県の片田舎のまちで過ごした小学生時代、小学館の「世界少年少女文学全集」(だったかな)、70年代に創刊した集英社の「美しい部屋」、そして母がながらく定期購読した「暮しの手帖」で、余暇すごしが成りたっていた。特に、この雑誌は、高校卒業するまで、毎月毎月、きっと母よりもじっくり読んでいた。日用品のテストシリーズはたまらなく面白くって、特に覚えているのは「百貨店の包装枚数を調べる」みたいな企画。東京都内大手百貨店が、それぞれ商品を何回包んで手渡すか、実際に買いものをして開封するという検証が面白く(要は資材を無駄にせず簡易包装を推奨する企画か)、自宅に届くお中元やお歳暮の包装を数えるクセがついたもんだ。

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■だいぶ、今とは印象が違う昔の一冊

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■表4(裏表紙)のメッセージが面白い。暮しが非常な速さで変わっていくから、バックナンバーなんぞ皆さんには役立たず不要であろう、と。どこか皮肉げに花森氏は表3で説明している

社会人になり、勤めていた会社で社内報をつくる担当者が全国から集まる研修会があった。キラキラした女子がたくさんいる中、岩手から嫌々東京に出向いたわたしとしては、ちょっと怖気づいてた。研修中、一番好きな雑誌を問われた際、自分ともう一人、黒っぽいアニエスbのカットソーを着ていたショートヘアの女子だけ(こういうのは、細かく覚えているから不思議)が「暮しの手帖」をあげ、勝手な親近感を抱くと共に、ちょっと素敵な女子と同じものが好きな自分もちょっと素敵に思えて、嬉しかったのを記憶している。80年代後半の華やかな時代、「暮しの手帖」は今よりもっと地味なイメージだったのだ。

時代は流れて、今、最新号を眺める。表紙は敬愛する牧野伊三夫さんだし、巻頭記事はつるやももこさんだし、日野明子さんもコラムを書いているし。渡辺尚子さんが新連載をしているし。いい塩梅だ。

気がつけば、規模も歴史も全く違うけれど、ちっぽけながら、自分たちも広告収入に頼らない編集物をつくっているわけだ。もしかして、無意識に導かれたのかなあ、なんて。ともあれ、数々の時代を超えてきた「暮しの手帖」には、オマージュしかない。(つれづれと2020.6.20)



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