「暮しの手帖」話、のつづき。

さて、「暮しの手帖」の話のつづき。もう一つ、最新号で気になったのが「また旅」の岡本仁さんの沖縄旅の話。ふと文章を追う中、山之口獏のことが書かれてあった。「あ、」と思った。これまた、なんというタイミングかしら。山之口貘は沖縄出身の詩人。岡本さんは、若い頃、フォークシンガー高田渡の代表作で知られる「生活の柄」の詩が山之口貘であることを知って詩集を買い求めたのだそうで、この沖縄旅でも山之口貘ゆかりの場所を訪ねていた。

「あ、」と思ったのは、ちょうど先月、ラヂオもりおかの「ほにほにラヂオ」で自粛生活の楽しみ方を話すにあたって山之口貘の詩を紹介するつもりが、勢い余って違う話へ流してしまい話しそびれたことを思い出したのだ。こりゃあ、なんか中途半端はよくないと言われているようで。だから、少しだけ書き留めておこうというもの。

私が、山之口貘という人に詳しいわけではない。以前、ふとしたきっかけで「生活の柄」という歌を知り、詩をよくよく聞いてみると、冒頭からずいぶん深刻な状況をうたっているにもかかわらず、なんとも軽やかで可笑しみさえにじみ出ていた。そのことが衝撃で作詞を見ると、山之口貘(1903-1963)という沖縄出身の詩人であると知ったのだった。

詩人・茨木のり子著書「うたの心に生きた人々」に、山之口貘についてを紹介する一文がある。「生涯、貧乏神をふりはらうことができず、借金にせめたてられながらも心はいつも王さまのようにゆうゆうと生きぬいた愛すべき詩人」と記される。

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そして、先ほどの「生活の柄」の出だし。ー歩き疲れては 夜空と陸との 隙間にもぐり込んで 草に埋もれては寝たのです 所かまわず寝たのですー

「夜空と陸との隙間にもぐり込んで」に圧倒されたのは、茨木さんのいう「ゆうゆうと生きぬく」姿だからかな。巷の言葉に惑わされたりせず、自身の身体からしか出てこない表現だよなあ、と。。時々、しみじみしていた。

そのまま「生活の柄」をタイトルにした曲は、ステイホーム期間のモヤモヤをいい意味で吹き流してくれそうだなあ。そう思って、茨木のり子の本と合わせて紹介するつもりだったのだが、つい違う場所に着地してしまったのだ。。

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■ほにほにラヂオで紹介した高田漣さんバージョンのCD

「暮しの手帖」岡本さんの記事で、そんな思い起こしがあったのと併せて、沖縄の那覇に山之口貘の詩碑や「生活の柄」という名の店があることを知った。沖縄は未だ行ったことがない。若い頃なら海での遊びが目的だったろうが、いまさらーと思えば、沖縄をめざすちょっと具体的目標ができたことは嬉しい収穫でもある。(2020.6.21)


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