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madeleine


とあるカフェにて

僕は、マドレーヌを食べた。

角は無く、優しくい。

とても美味しかった。

しかし、鮮烈に記憶に残るような特徴は無い。

その代わり、このマドレーヌは

とおる記憶を思い起こさせた。

生きてはいるが、対話はもう儘ならない

祖母との思い出だ。

2年前、東京へと経つ前の日

祖母に会いに行った。

虚ながらも僕の事を覚えて

言葉を交わしてくれた。

寂しかったのだろうか、涙を流していた。

釣られて僕も、涙を流した。

すぐ帰ってくるから大丈夫だよと

言葉を残した。

そして事実、思っていたよりも早く

こちらに帰ってきた。

何かの機に、また祖母に会いに行った。

一年と満たない歳月の間で

祖母は言語を失っていた。

恐らく意識はあるのだろう、

意思表示はできるのだが

確かに言語が損なわれていた。

事実を言葉で、残す事は出来るが

その感情を言葉に残すことが

未だ、僕には出来ない。

しかし、祖母との思い出を

思い返す事はできる。

それを語る事ができる。

ある一時期、

僕はマドレーヌをよく食べていた。

祖母の家で、食べたマドレーヌ

柑橘系の香りは付いていない

シンプルなマドレーヌ。

それがとても好きだった。

なんてことはない、スーパーで売っている

袋に詰められたマドレーヌだ。

僕がそれを気に入っていると知ってから

会う度に、同じモノをくれた。

僕も、見つけたら自分で買うようになった。

その一時期の習慣は、ある日を境に終えたが

それがいつだったかは覚えていない。

正直、この思い出さえも

今の今まで、意識すらしていなかった。

今日食べたマドレーヌが

その記憶を呼び起こしたのだ。

不意を突かれた。

何故か一人でいるタイミングで

涙が出て来る瞬間というのが多々ある。

初めて来たカフェでこの様だ。

ただ、その記憶を呼び起こさせてくれた

このマドレーヌ、

この空間、

そこにいる店主に

心から感謝を送りたい。

祖母と会った直近の記憶は

決して暖かいと呼べるものでは無かったが

払拭してくれたのだから。

遠くないうちに、また会いに行こうと思う。

僕から祖母へ

マドレーヌを贈ったら

祖母は僕のことを思い出してくれるだろうか。







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