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ため息俳句 土偶の貌

 さて、釈迦堂遺跡群からは1116個体の土偶が出土しているそうだ。縄文前期のものが7個体、後期のものが1個体、他はすべて縄文中期のものであるそうだ。それらはすべて国の重要文化財に指定されていて、釈迦堂遺跡博物館が所蔵、展示している。
 なぜか、このところ我ら夫婦は縄文文化のファンになってしまった。過日は、群馬県の「榛東村耳飾り館(しんとうむらみみかざりかん)」で、茅野遺跡から出土した縄文の耳飾りを見て、ちょっと度肝を抜かれたばかりだ。
 そういうことで、今度は土偶の出土数では三内丸山遺跡に次ぐというここにやってきたのだった。

しゃっかちゃん
しゃっこちゃん

 どうであろう?
 出土される土偶には全身像はほとんどなく、大部分のものが、手足がもがれたり、砕かれたりしているものだそうだ。
 というより、縄文の人は敢えて砕いていたようであるとか。
 この展示室にも、そうした多くの断片が展示されていた。

 そうして残された頭部だけで出土したその貌を見ていただいたのだ。

 一般には土偶は、縄文時代に作られていた土製の人形でその形状から、ほとんどの土偶は女性像であるとされている。 生命を育む女性の神秘と力を表現し、呪術や祭祀の道具として豊穣や出産を祈るために用いられたと考えられている。
 この博物館の土偶を見ていると、今にも声を上げそうに感じがしてくる。生き生きとした表情である。制作の動機が何であれ、人型である以上何かしらの思いが込められているはずである。
 たくさんの土偶の貌の造形には、巧拙があるのだが、それがかえってリアルな人間性を表現している。それに巧みといっても、先ごろ見た尖石縄文考古館にあった国宝「縄文のビーナス」のような高度に洗練されたものではない。あれは、崇拝の対象であろうが、釈迦堂遺跡の土偶たちは今の自分たちと同様な庶民の貌をしているように思う。手び練りの味わいとでもいえようか。土偶といっても、国宝級の土偶とこのの土偶たちとは、制作のモチーフがずいぶん違うような気がした。
 案外、モデルがいたかも知れない、そんな気がしてくるのだった。それに、なんだか円空仏にも通じるような気もしたのであった。
  縄文中期といえば、5000年から4000年前である、その時代に確かに生きていた名もなき人々の貌がこの土偶たちに映し出されているのだ。そうして、5000年後の自分もまた無名の人の列に加わるのだが、いったいどんな貌であるのやら・・・・。


土偶人色なき風の渡りけり    空茶

土偶と我と口ぽかんぽかんかな

狐目の土偶ら葡萄酒ワイン醸すべし