ため息俳句 大根
菜園で今最も目立って元気がよいのは、白菜と大根。共に我が家では漬物となる野菜であるし、冬野菜のスターである。
今年は、あまりに暖かな日が長く続いたので、冬野菜の種まきも苗作りも、ついついのんびりしてしまい全てが遅めになってしまった。それで、この時期ととしてはちょっと生育がいまひとつという様子になった。例年ならそろそろ沢庵づけのために大根干しの時期なのだが、もうしばらく時が必要そうだ。
その大根は、親しみのある野菜のせいか俳句では題材になりやすいものだ。
例えば、一茶の句に、
一本は翌の夕飯大根哉
大根引一本づゝに雲を見る
我庵の冬は来りけり痩大根
特に説明不要の句であるが、大根作りをした経験があれば一茶の気持ちに通じ合うことができるだろう。
家庭菜園初心者の頃はなんていうと偉そーな口調だが、自分の作った野菜が本当に食べられるものになるのかと半信半疑であった。初めて土いじりのは、夏の終わり頃であったから、その年に収穫までたどりつけたのは、小松菜と大根であった。
小松菜は虫食いだらけであったが、大根は立派に大根の体をなしていた。収穫しきて、一本一本水で土を洗い流して真っ白な大根を眺めた時は、年甲斐もなく感動した。それから十年余りこの頃でも、大根を土から引き抜く時に、微弱であるが心がわくわくする。はじめて抜いた大根は、夕飯の味噌汁の具となり、もう片方で秋刀魚に添えておろしにした、この時ばかりは大根おろしが主役であった。
飯田龍太さんの句にもこんなのがある。
大根のいのち出てゐる土の上 飯田龍太
そうなのだが、でも、いただいてしまうだ。ありがたいことだ。
大根引く幾たびも引く十二月
冬日さす洗う大根の白さかな
寝坊の小生は知らなかったが、今朝は一面に霜が降りたそうだ。
明日は秩父夜祭りを覗きにゆく、何年ぶりだろう、故にこの愚録もお休みだ。