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#15 炎天にてり殺されん天窓哉 一茶

 朝飯を食べながら、NHKのニュースをつけると、トップニュースの中で当地の今日の最高気温予想は、40℃であると云うでないか。命にかかわる程の危ない気温であると、アナウンサーが真面目顔でいう。
 この街は北埼玉のどちらかというと平凡な地方都市であるが、地方気象台があるおかげで、夏であればほぼ毎日天気予報では引き合に出されてしまう。だから、毎朝、お天気情報は知りたくなくても知らされてしまうのだ。それに、全国一暑かったという41.1度の記録ホルダーでもある。浜松も同じ記録を持つが、東海地域のテレビニュースでなら浜松も同じような扱いを受けているのだろうか、・・・。とにかく、こういうのは、意外とうっとうしいものだ。知らないほうが良い場合だってあるのだから。

 さて、今日は40℃と聞いて、少したじろぐところがあったが、朝飯を食べ終えて、ほどなく畑に出た。このところ、畑に出るのをさぼっていたので、気がかりであったからだ。
 時刻は、午前7時30分。
 きちんと、長そで、長ズボン、長くつ、首にはタオルを巻いて、しっかり麦わら帽子をかぶって、自転車にまたがる。もちろん、水のペットボトルを忘れずに。

 「いざ、ゆかん!野良回り!」
 ペダルを踏んで、5分。
 畑に到着。
 三日ぶりだ。

 向日葵は夏の花であるが、もうすっかり枯れはている。この頃はスズメが種を食べに來らしい。今朝は、羽の黄色いカワヒラ?が、向日葵から飛び立っていった。
 

 まだ、七月である。本格的には夏はこれからであろう。
 夏の菜園は、凶暴に緑が繁殖しがちであるが、それはそう長くは続かない。夏野菜といえど高熱の夏は過酷と見える。容赦なく水分が奪われるようだ。よれよれになる。
 キュウリも茄子も、この間に弱り切ってもう旬はとっくに過ぎた。

キュウリ、萎れた葉
ダニに食われたかボロボロな葉の茄子

 それでも、高温をエネルギーにする奴らもいる、三日の間に、雑草なら湧き出ていた。

 たまりませんな。

 取り合えず為すべきとを為した、頑張ったが、90分が限界であった。その時でさへ35℃以上になっていただろう。パンツの中まで汗ぐしょぐしょ。

 季語に「曝涼」という語がある。もともと、中国から伝わった、宮中の年中行事である。七月七日に行われた。《古来,曝涼という行事は、年に1度、宝物を点検・公開するものであった。日や風にあて湿気をとばし虫やカビを払い,目とおし風とおしにより点検する。かつて私たちの祖先は,そうした点検の結果に応じて修理や清掃を行ってきた。秋の正倉院展が宝物曝涼期間中の展覧である》ということだ。

 それなら、「曝暑」というのは、どうなんだと思ったのだが、そんな語は存在しない。
 でも、宮中の年中行事なんて、当方などには所縁などもともとあろうはずもないが、汗を流しながら、まるで蟻のように働く人々のことなら知っている。炎熱の太陽に浴びて、疲労困憊だ。「曝」という語には、(日に)さらすということの他に、乾かす という意味もある。人だけではない、犬も猫も牛も馬も、サバンナの猛獣でさえ、強烈な旱であればたまらないだろう。相当にタフそうな植物でも、調子を狂わしているはずだ。
 こういうのをすべて、猛暑に苦しむ姿を総括的に、「曝暑」と呼びたい、そう勝手に思った。
  

 話は、ころころ変わるが、今年も木綿の花が咲いた。

 すでにめぼしい西瓜は採りつくしたが、まだこんなのが残っている。西瓜も、なんだか旬が早かった気がする。

 何とも、長々と、・・・・・与太話を、申し訳ない。

 ・・・さて本題である。  

炎天にてり殺されん天窓あたま哉  一茶  

わかりやすく書き直すと、こうなる。

炎天に照り殺されん天窓あたまかな

 「天窓」と表記して、「あたま」と読む。意味もそのままである。
句意を改めていうことはないだろう。このところの我が実感を、一茶はもうとっくに発してくれている。一茶は、真っ向勝負で言葉を投げつける。

そうして、こんな句も。

何もせぬ身の暑い哉暑哉  一茶


 まことに、無為徒食の日々、言い返す言葉もない。
 こういう句をみて、夏は暑いに決まっているのだから、暑い暑いとばかり言うのは、そんなのは俳句なんかではないというのは、いかがかと思う。

 

 ちなみに、当地熊谷の本日の最高気温は40℃。天気予報は、的中。このごろの天気予報は、優秀である。