ため息俳句番外#17 人生論
人生論と云っても、漠然としたものである。
トルストイに、ずばり「人生論」と題するものがある。また、「人はなんで生きるか」という短編集もある。どちらも、名著であるらしい。
「人生」をどう生きるか、どういう意味があるかというような主題の著作物は、できるだけ近づかないようにしてきたからだ。
また、小説を自分の実人生の指針・ヒントとして読む、或いは自分を考えることへの手がかりとして読むという人もいる。これも自分の場合、読んだ結果の影響が皆無であったとは言えないが、そういうことを始めから期待して向きあったことは無い。いつの頃からわからないが、映画にしろ、小説にしろ、漫画にせよ、現実の日々の暮らしには、役に立たないものだと思うようになっていた。
例えば、太宰治の「晩年」は彼の第一創作集であるが、その冒頭は『葉』という短編である。高校2年の頃であったろう、目にした。今手元にあるのは、1998年刊筑摩版全集小説1であるが、当時はどのような冊子で読んだのだろう。ともあれである、その『葉』の書き出しはこうであった、ね、憶えていますか。
ああ、多分、あの馬鹿げた読書感想文、小説なんて国語の教科書以外で読む機会なんて皆無だった、ただ、夏のあれは鬱陶しい宿題だった。「走れメロス」かなんか読んでいたのだろう、太宰という名前は頭の悪い自分には難読故に記憶して、多分・・・。
だが、当時、TV報道によれば、花の都辺りでは闘う高校生がいるというでないか。こちらは砂の混じった赤土の舞い上がる畑中の道を「学校」へ自転車を漕ぐ毎日だった。多分、17歳の自分はいらいらして、鬱屈して、屈託していた。とにかく、学生服の襟の内側にくっつける薄っぺらなカラー、あのぺらぺらなプラスチックの首輪が嫌いであった。
そんな時、なんだか判らないが、あの小説の書き出しが、17歳のことばにできないわだかまりと同期して、それから太宰の「言葉」の断片が、自分の頭に巣くってしまった。
その期間が、どれだけのものであったか忘れたが、ある時、太宰なんて現実にはクソの役にも立たないと、ふと思った。そのきっかけは、今思い出したが、長くなるので書かない。
以来、小説も詩も歌も俳句も映画も漫画もロックもTVドラマも、一時のおもしろおかしい娯楽であるとした。事実、見たもの聴いたもの読んだもの、右から左へときれいさっぱり忘れてきたのだから。
そういう意味合いでなら、太宰の作品はとても面白いものであることは、間違いない。