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ため息俳句 鳩に見られている

 「監視」されていると云えば、おおげさだが、誰に見られているのかと云えば「鳩」、といっても土鳩という奴だ。
 このところ、急に住宅が次々と建って、我らの菜園がその中にぽつんとある。そのわずかな空間に鳩が餌を求めにやってくる。一年を通じてなんらかの野菜が作られている、格好のエサ場なのだ。勿論鳩だけはない、雀、鴉、椋鳥、珍しかったのはイソヒヨドリ。畑に下りて頻りに餌を漁っていた、当然作物も食われただろう。だが、鳩はこれらとひと味違っている。
 今、無花果が旬で、毎朝食べ頃の実が二つ三つは収穫できる。ところが、三日に一度は、喰い荒らされている。無花果の実はあの程度の大きさである、その中心辺りを嘴で穴を開けてある、果肉を食べたにしては中途半端で、どうやら半ば悪戯のような感じである。犯人は鳥である事は確かなので、恐らくはその鳩ではないかと、直感的に疑っている。鴉ならその程度では済まないだろう。雀であれば、穴が大きい。鳩が無花果を食害するなんて、聞いたことがないのも事実だが、ないとは言い切れまい。
 菜園脇の道を隔てて、アパートが何棟も立っている。最近のものであるから、屋根部分に太陽光発電のパネルが設置されている、鳩にとっては、パネルの下なら雨風をしのぐに好都合ではないかと。そうして、畑の真向かいアパートの屋根の東の端に、5、6羽の鳩がたむろしているのを、ちょくちょく見かけている。多分、その辺りのパネルの下で巣を営んでいるに違いないと、睨んでいる。
 そやつらが、今朝は畑の隣のアパートの屋根に移動してきて、雑草取りをする自分を、見下ろしているのであった。朝の8時前早朝であるのに、今年は暑い。顎のあたりから汗が滴り落ちる。まったくもって、閉口だ。にもかかわらず、あの鳩ども、馬鹿に悠々としているではないか。そう云えば、今朝だけでない、周囲の民家の屋根、或いは、一羽単独見張り番は電柱のてっぺんから、これまでも幾度となく見られていた。そうだ、鳩はこちらの動きを監視しているとしか思えない。
 鴉にも同じような怖れを感じるが、鳩の方がなんだか腹の内が分からないような、気がする。ヒッチコックの「鳥」では、あらゆる鳥が脅威であった。しかるに、おとなしそうに見えるからといって、気を許していると痛い目に遭う、そんなことならのろまな自分だって身に染みて知っているのだ。
 それに、鳩よ、畑のオリーブの木は、この夏枯れてしまったのであるし、・・・・。

さて、鳩の季題は、春であるが、こやつらは年がら年中身近にいる。そういうものは、季語としてはいかがなものだろう、なんて思ったりする。

以上、老人性の被害妄想と解釈されても致し方ない駄文でありました。
 

のんびりと土鳩は鳴けり憎きかな

ゐざる如く草刈る我を鳩は見む

秋暑し鳩らの胸は光りたり

鳩一列ヒッチコックの「鳥」である

ピカソ殿なぜに鳩なら平和だと


蛇足注1)「ゐざる」・座ったままで移動すること、膝や尻をつけて移動すること。 

蛇足注2) ピカソ 第一回平和擁護世界大会ポスター