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24/1/22 今年の誓い

鶴川落語会をやってきて10年以上経過した。その間、夫が死んだり法人化したりコロナ禍があったり、いろいろなことがあった。それに加え、時代の変化、私自身が歳を重ねたことで変わった部分、関わる方々から学んだことなどもブレンドされて、私自身も会の運営方針も細かく変化している。

これまでこだわってきた芯の部分は、変化なく。ただ、そのこだわりを届けるための手段は、その時その時で変えざるを得ない。同じやり方にこだわるあまり、本来届けたいこだわりの芯が届けられない事態に陥りそうになっているのが、今の鶴川だ。

舵を切るときがきているのだろう。その舵を切る方向を間違えると、鶴川のこだわりが沈んでしまうので、吟味しつつ固めていく作業をやっていく。今年はそんな「改築への準備期間」になる。

先日、談春師匠の四十周年記念興行独演会へ伺った時、師匠が最後に「気合いで良い年にしていきましょうね」とおっしゃった。私も今年最初のXで、以下のようにポストしている。

その後も各所で「今年は何がなんでも良い年にしよう」といった言葉を聞く機会があった。年明け早々に能登で大きな地震があって、政治家はびっくりするような金額をキックバックで受け取っていて、TVを主体に活動する芸能人の人権意識も問われる時代になっている。国全体に大変革の波が来ていて、庶民の暮らしが危うくなっている今、皆の気持ちの底にうっすらと不安が横たわり、それを掻き回して薄めながら、なんとか踏ん張っている。黙ってこらえていれば、状況が良くなるとはとても思えない。誰かがなんとかしてくれるという願望は、おそらく叶わない。

こんな時、自分が構築できることは何か。その構築した先に、幸せにできる人がいるのであれば、まずは身近な人と一緒に汗かきながら幸せになる努力をしていこう。そして、水面に幾重にも広がる波紋の輪のように、さまざまな人に幸せの輪が広がることができれば最高で。

それとセットで、これまでお世話になって人たちにできる恩返しとは何かということも考えていて、考えれば考えるほど、今のままではダメで、次のステップに進まねばならない自分しか想像できない。それには、自分の能力より高いところにいきなりジャンプする勇気、思い切り、さらには神経の図太さの備えも必要。自信のなさでこもりがちな私には苦手なことなんだけれど、それでももう苦手だとか無理だとか言ってたら、後々後悔することは明白である。

後悔するくらいなら失敗したほうがまだマシとか、年齢が幾つでもやりたいことをやればいいとか、どこかの自己啓発本に書かれているような言葉を自分に言い聞かせつつ、「絶対に良い年にする」という言葉を放った今年最初の自分を忘れず駆け抜けることを、今年の誓いとして、ここに記しておきます。

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