スクリーンショットでは引用にならないのか

2022/6/10追記
全体的に記述を変更し、誤っている内容は訂正し、新たに著作物性の認定と表現の自由との関係についての記述を加えました。
本判決の評釈について紹介しました。
本判決に関連する、弁護士ドットコムニュース、ITmedia、イノベンティアの記事等のリンクを掲載しました。(いずれも同日が最終確認)



今回解説する判決の評釈が専門家によってされました。当該評釈は以下の点を指摘しました。
・「公正な慣行」の内容を明らかにする必要があった
・判例の理論ではサービスの規約が、著作権法の定める要件を実質的に決定することになり、規約の変更で要件が変更されてしまう
・引用規定は表現の自由と著作権の調整規定であるところ、サービス運営者と引用者との間で合意された規約に拠って解釈されている
・スクショによる引用ができなくなったときの表現の自由への制約
小林利明「判評」ジュリスト1572号(有斐閣、2022年)8-9頁


弁護士ドットコムが、今回の裁判に関する報道記事を公開しました。
スクショ画像のツイートは「著作権侵害」 東京地裁判決はユーザーにどんな影響がある?|弁護士ドットコムニュース |

ITmediaが、今回の判決を受けて記事を公開しました。
Twitterのスクショ投稿が違法?  判決で示された学びと悟り - ITmedia 

法律・特許事務所のイノベンティアが、所属弁護士による解説を公開しました。
他のツイートのスクリーンショット画像を添付したツイートにつき著作権侵害を認め引用の成立を否定した東京地裁判決について





2021年12月29日のYahoo!ニュースに、こんな記事が掲載された。

『スクリーンショットによるツイート引用は著作権侵害との判決』

次いで、同日夜に行われた参議院議員山田太郎氏の運営するYouTubeチャンネルの以下の生放送で、この記事及び今回の事件が取り上げられた。

【第477回】衝撃!スクショ引用ツイートに違法判決~表現の自由と著作権

この事件について知らない人のために一言で説明するならば、スクショした他人のツイートの画像を使ってツイートすることは著作権を侵害すると裁判所が決定したということだ。(※1)(以降も含め、いずれの記事・動画・サイトも2021年12月31日閲覧)


日々Twitterで情報を収集し、発信している私にとってはかなりショッキングな判決であり、それは同じようにTwitterを日常的に使用している人にとってもショッキングなはずで、もしそう思わないならこの記事、あるいは上記ニュース記事や動画を見てそう思ってほしい。それくらい、Twitterのみならず、今後のインターネットによる情報発信に多大な影響を及ぼす可能性のある判決だ。


なお今回の記事も、専門家ではないなりに、できるだけ一般にも分かりやすい言葉遣い・論調で進めていくため、用語や表現が正しくない可能性もある他、関連事件についても全ては網羅できていない。
また、事案の性質上、ある程度の正確性を保持するために詳細な説明やある程度専門的な説明をすることがあるが、基本的には本文のうち、太字で表記されている部分のみを読むことでも理解できるように工夫している。
この点についての指摘の他、分かりにくい点等についての質問は、この記事のコメントや私のTwitterアカウント(@917Ca)に飛んでメンションやDM等で歓迎する。



※1 注意しておくが、他人のツイートを映してスクリーンショットをすること自体を違法とは言っていなく(著作権法第30条第1項に言う指摘しようのための複製に当たる)、その画像を付けてツイートすることが権利侵害と判断したに過ぎない。



今回の事件の概要と判決

本件は、原告XがしたツイートやBら3人に対してメンションをしてしたツイートを捉えてスクリーンショットをしAやBが画像を作成し、その画像を添付してAとBがツイートをした(対象ツイートの原文は判決文17-22頁。裁判所サイトへのリンクは後掲)。XはTwitter社に同社が保持するAやB等のアカウントにログインした際のIPアドレスおよびタイムスタンプを開示するよう求め、AとBがしたツイートが著作権を侵害しているとして、入手したIPアドレスの契約者(AとB)の個人情報をNTTドコモに開示するよう求めた訴訟である。


今回の裁判で争点となったのは以下の点である。(なお、今回の記事では以下の争点のうち2と3のみを取り扱う)

1.権利侵害とされるツイートをしたときに送受信された情報でなく、その前後のログインや、ツイート時から時間的に一定程度離れたログインにかかる情報は「権利の侵害に係る発信者情報」に該当するか

2.スクリーンショットをされたツイートは著作物性(著作権が発生するような性質)を有するのか

3.ツイートのスクリーンショットは著作権法が定める「引用」に該当するか

4.開示を請求する情報のうち、メールアドレスや電話番号は開示を求める「正当な理由」を有するのか


東京地裁の判断(東京地判令和3年12月10日)の要旨

権利を侵害するツイートは、そのツイートの送信時点でなくても、前後にログインした者がツイートを送信したと認められる場合には、ログインの際の送受信の情報も「権利の侵害に係る発信者情報」と認められるため、ログイン情報の開示請求も可能である。

またXのしたツイートは、ある事実に基づいた感想を、端的にかつ口語的に表現していたり、他者の意見を否定しまた罵倒するのに短い文を連続させるなどの構成をとっていたりといった工夫が見られるなど、Xの表現には個性が現れているため著作物と認められる。

引用の成否については、Twitterの規約ではTwitterの用意した手順(具体的には引用RTなど)に従うことが求められていると認められ、スクリーンショットでツイートを掲載することは規約に違反すると認められ、スクリーンショットは公正な慣行に合致しない。また、当該ツイートはスクリーンショットの画像が主たる部分でもあり、引用の正当な範囲内とも言えないため、著作権法31条1項が定める引用とは言えない。

開示を請求した情報のうち、メールアドレスや電話番号は、総務省令でも発信者特定に資する情報として定めており、開示を不要とする理由もないので「正当な理由」を有する。

よって、Xの発信者情報開示請求を全て認容する。



判決の解説

本判決の争点のうち、2と3について必要な部分について補足・解説する。特に詳しい情報を求めなければ、この章は読み飛ばしても構わない。

2.ツイートの著作物性について

まず著作権について概説する。現在の日本では、著作権についてはその名の通り著作権法(昭和45年法律第48号)(令和2年法律第48号による改正)が定めている。
一般に言う著作権には、「著作者人格権」(同法第18条第1項、第19条第1項及び20条第1項に規定する権利)と「著作権」(同法第21条から第28条に規定する権利)の2種類がある。著作権は著作物に対して発生する権利であり、実体がある物ではなく抽象的な概念であるため、著作物のコピーなど複製されたものでも、同じ表現だと認められれば、そこにも著作権や著作者人格権は及ぶ。
著作物とは、同法第10条第1項が例示している(小説、脚本、論文や音楽、絵画の他、建築や映画、写真やプログラムなども挙げられている)が、これはあくまでも例示にすぎず、同法第2条第1項の定義—思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの―に該当すると認められるものは全て著作物である。(※2)
著作物と認められた創作物の作者は著作権を享有することとなり、他人に譲渡したり、ライセンス契約をして特定の人にのみ著作物を使用させたり、あるいは他人に著作権を侵害された場合には、損害賠償や侵害の差し止めを請求できる。

次に著作物の定義についてだが、定義は前述の通りである。抽象度の高い文言であるが、その意味するところは、自らの意見や見解、感情等を、自らの心の赴くままに表現したものと言うことができる。著作物たる要件には表現の内容は含まれず、したがって、いくら内容が暴力的であったり反道徳的であったりしても、著作物と認められることは大いにあり得る。
また、定義の重要な要素に、表現であることが含まれる。つまり、まだ世に出ていない(紙に書いたり、誰かに伝えたりしていない)段階のものは表現ではなくアイデアとされ、著作物と認められない。著作物であるためには、何らかの具体的な表現となって世に出ていることが認められる。

判例では具体的な判断基準が統一されているわけではないが、大まかな方針は、著作物性は、原則として緩やかな基準で認め、著作物と認める必要がないものを例外的に除外することで一貫していると見られる。(※3)(※4)

以上の例を踏襲し、本件では原告Xのツイートに著作物性を認めた。


※2 文化庁の著作物要件の解説「著作物について」で、これら要件の必要性が示されている。

※3 著作権制度の目的及び著作権法の立法目的に照らせば、著作物性の要件を過度に厳格にするよりは、該当要件は広く認めることで新たな知的表現をも著作物として保護できる余地を残すとともに、創作性が一定程度低い著作物は、著作物として認めないか、認めたとしても比例するように保護の程度を低くすればよいという判断である。実務の面でも、現在の方法で特段不便となっていることはないと思われる。

※4 かつては、①単に著作者の個性が何らかの形で現れていれば足りるという立場が支配的であったが、本文で示したように例外的に著作物性を認めない場合を、②ありふれた(凡庸な)表現である場合、③表現の選択の幅(余地)が狭い場合、④さらに範囲を限定してデッドコピーのような場合、とする判例があり、この点は統一されていない。(以上の判例の整理につき、岡村久道『著作権法』第5版(有斐閣、2021年)46-47頁参照)



3.スクリーンショットによる「引用」の成否について

そもそも「引用」は著作権法では積極的に定義されず、要件として「公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない」(32条第1項)としているのみである。しかもこの文言はかなり抽象的であり、理解を促進するために、誤解を恐れずに分かりやすい表現に言い換えれば、「引用と分かるもので、あくまでも引用の範囲に留まるもの」ということである。これを判例(旧著作権法下のモンタージュ写真事件(最判昭和55年3月28日民集34巻3号244頁))は、引用する側とされる側が))は、引用する側とされる側が「明瞭に区別して認識でき」、「前者が主、後者が従の関係」であることと解釈している。(※5)

本判決がこの基準に依拠したかは不明だが、少なくとも引用の成立を否定する理由付けの1つとして「スクリーンショット画像が量的にも質的にも、明らかに主たる部分を構成する」と述べていることから、一定程度は前記判例の判断基準を採用していると伺える。
明瞭区別性については、本判決は直接言及していない。あえてこの要件について考察するならば、スクリーンショットにより作成された画像に描写されているツイートの引用の成否を問われるという事案の特性上、明瞭区別性は誰が見ても明らかであるため敢えて論ずるに足らずということなのだろうか。

本判決が引用の成立を否定した理由として分量を割いて説示している点は、Twitterの利用規約に合致しない形態は、(Twitter上の)公正な慣行に従ってないものとみなしている点である。
原告Xのツイートが描写されたスクリーンショットで作成された画像が付された一連のツイートがされた2021年3月18日から同21日時点で有効なTwitterサービス利用規約(第15版)及び記事作成時点の2021年12月31日時点で有効なTwitterサービス利用規約(第16版)では、「ユーザーのコンテンツ(他のコンテンツに組み込まれたユーザーの音声、写真および動画もユーザーのコンテンツの一部と考えられます)の所有権はユーザーにあ」るとしつつも、「ユーザーは、本サービス上にまたは本サービスを介してコンテンツを送信、投稿または表示することによって、……あらゆる媒体または配信方法を使ってかかるコンテンツを使用……するための、世界的かつ非独占的ライセンス……を当社に対し無償で許諾することにな」るとしている。つまり、Twitter上のコンテンツは、投稿等をしたユーザーのものであると同時にTwitter社の所有するコンテンツとなる。また、「ユーザーは、本サービスまたは本サービス上のコンテンツの複製、修正、これに基づいた二次的著作物の作成、配信、移転、公の展示、公の実演、送信、または他の形での使用を望む場合には、Twitterサービス、本規約……に定める条件により認められる場合を除いて、当社が提供するインターフェースおよび手順を使用しなければな」らないとし、判決は「他人のコンテンツを引用する手順として、引用ツイート(注:引用リツイートのこと)という方法を設けている」として、スクリーンショットは規約で認められたコンテンツの利用の方法ではないと認定し、規約に反する利用は「公正な慣行に合致」しないと最終的には判断した。

以上のように、本判決は「公正な慣行」の内容を、Twitterというプラットフォーム上で起きているため、Twitterの利用規約に照らして認定した。

また本判決は、原告Xは、スクリーンショットによる画像は、Twitterアカウントは明示されているものの、URLを明示しておらずツイートが削除されていれば原典であるツイートに到達不可能であるため、引用とは認められないという主張に対しては何も語らなかった。


※5 なお、このモンタージュ写真事件は旧著作権法における判例であり、引用に関する規定の文言も違う。しかし、最高裁の調査官解説では、当該判例の理論は、現行の著作権法においてもそのまま参考になるとする(小酒禮「判解」『最高裁判所判例解説民事篇昭和55年度』(法曹会、1989年)154頁)。一方、学説上はこの理論に対する評価も多様であり、判例も必ずしもこの要件を用いているという訳ではないが、今なお一定の影響力はある。



判決への評価

2.ツイートの著作物性について

本件で著作物だと主張され、著作物性を認定されたツイートには以下のようなものがある。(全て判決文21-22頁現行投稿目録に記載)

「こないだ発信者情報開示した維新信者8人のログインIPとタイムスタンプが開示された
NTTドコモ   2人
KDDI   3人
ソフトバンク   2人
楽天モバイル   1人   こんな内訳だった。KDDIが3人で多数派なのがありがたい。ソフトバンクが2人いるのがウザい
しかし楽天モバイルは初めてだな。どんな対応するか?」

「@B @C @D   >あたかものんきゃりあさんがそういった人たちと同じよう
「あたかも」じゃなくて、木村花さんを自殺に追いやったクソどもと「全く同じ」だって言ってるんだよ。
結局、匿名の陰に隠れて違法行為を繰り返している卑怯どものクソ野郎じゃねーか。お前も含めてな」
(注:@B、@C、@DはB、C、Dのツイッターアカウントのスクリーンネームを表す)

以上2件と他の2件も含めて、これらのツイートに対して著作物性を認めた(=著作権を認めた)判断に対し批判がある。果たしてこれらのツイートには著作権が生じるとするのが適当か。これらのツイートには以下の2つの特徴がある。すなわち、➀Twitterの仕様による制約で、140字以内という短い表現であること、そして②他人を罵倒する内容であることである。
以下では、表現物は原則として著作物として認められ、例外的に積極的に著作物性を否定する要素があるかを検討する。


まず①についてであるが、典型的な言語の著作物は、書籍や論文であり、ツイートの最大文字数140字と比較すれば、明らかにその文量が違う。詩のような、特に文学的な創作性が高いとされるものでなければ、短い文字数の表現は著作物性が認められないのか。
例えば、類似した交通標語の著作権侵害について争った交通標語事件(東京高判平成13年10月30日判時1773号127頁)では、「表現一般について、ごく短いものであったり、ありふれた平凡なもの……は、著作物として保護され得ないものであ」り、交通標語としての特性も踏まえて、交通標語には著作物性が認められないか、認められてもデッドコピー(丸パクリ)の使用を禁止するのみに留まることが少なくないとした。また、ニュース記事の見出しの流用が著作権侵害にあたるとして争われた売オンライン事件の控訴審(知財高裁平成17年10月6日判例集未搭載)では、ニュース記事の見出しは「使用し得る字数にもおのずと限界があることなどにも起因して、表現の選択の幅は広いとはいい難く……著作物性が肯定されることは必ずしも容易ではない」としつつ「直ちにすべてが……著作物性が否定されるものと即断すべきものではな」いとして、個別具体的な検討による創作性の有無によって著作物性の存否を決定するとした。
上のように、一般に10文字余りから20文字前後である交通標語やニュースの見出しにおいても、裁判所は著作物性が認められる可能性を否定せず、結果として著作物性が否定されるのは、個別具体的な事情において創作性がないと判断されることによる。140字まで使用できるツイートにおいて、その文字数を理由に著作物性を否定することはできないと考えるのが通常であると言える。

次に②について検討する。例え形式上は著作物性を満たしていたとしても、その内容が著作物として保護するには値しないものもあるのではないかという意見が検討の対象である。
そもそも著作権制度は、「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的と」しているからである。知的財産のうち、文化的特性に着目して創設された著作権制度は、文化の発展を最大の目的としている。文化的所産と言うと、美麗かつ煌びやかで華やかな、歴史的に価値のある絵画や音楽のようなものを想像するかもしれないが、昔の作品でいえば、春画や狂歌、落書であったり、現代にも現に著作権制度で保護されているいわゆるエロ本やグロテスクな表現を伴うゲームなどといった、低俗・低価値とみなされるものもある。
いずれにせよ歴史的・文化的な価値は認められる余地があるものの、前者のような表現が著作権で保護され、後者が保護されないと考えるのは、主観的な判断に過ぎない。主観的な価値の高低や美醜の判断は、人によっても時代によっても多種多様である。文化に貴賤はない以上、著作権という財産の独占に関わる権利の保護を受ける条件に、主観的に判断される内容の良し悪しが介在してはならないと考えるべきである。これを踏まえれば、表現の内容に踏み込んで、その良し悪しから著作物性を否定するということはしてはならない。
判例でもこの立場は明確にされており、ホテル・ジャンキーズ事件(東京高判平成14年10月29日判例集未搭載)では、「『創作性』の程度については、例えば、これを独創性ないし創造性があることというように高度のものとして解釈すると、著作権による保護の範囲を不当に限定することになりかねず、表現の保護のために不十分であり、さらに、創作性の程度は、正確な客観的判定には極めてなじみにくいものであるから、必要な程度に達しているか否かにつき、判断者によって判断が分かれ、結論が恣意的になるおそれが大きい」と法的安定性についても懸念している。
また、こうした見解は、憲法上の権利である表現の自由との関わりが深いことは、上記ホテル・ジャンキーズ事件も言及している。例えばある研究に対して、形式上は適法引用の要件を満たしているが、その研究に対して肯定的な批評は引用が適法と評価されるが、その研究に批判的な見解を示すための引用が違法と評価されたり、政府の政策等を揶揄する内容の風刺作品が、内容が社会的に不健全などという理由で著作物性が否定されたりしたら、まさに表現の自由への制約となる。著作権侵害が認められやすかったり、著作権による恩恵(地位・名誉や財産的利益)を受けられなかったりする内容の表現を、進んでするという人はまずいなく、委縮効果を生むためである。そういった恣意的な判断によって著作権侵害を認定し、あるいは著作物性を否定して、特定の内容の表現に対し間接的な弾圧を加える判断は、表現の自由の観点から問題になる。(※6)
表現内容の主観的な価値判断、法的安定性の欠如、表現の自由への制約の原因となり得る恣意的な判断を取り除いて、著作物性は客観的に判断されるべきである。それがため、たとえ内容が他人を罵倒する内容であっても、著作物として認められるべきである。


※6 著作権と表現の自由への問題は、近年になって議論が起こっている問題である。概観は、曽我部真裕「表現の自由(3)―表現の自由と著作権」法学教室491号(有斐閣、2021年)が示している。



3.「引用」の成否について

本判決の「引用」の成否についての判断は、以下の点で問題がある。➀「引用」の要件として用いた「公正な慣行」の具体的な中身を明らかにしていないこと、②Twitterの利用規約に違反していることを指摘し、そのことによって「公正な慣行」に合致しないと認めたこと。また、③ツイートにおけるスクリーンショット画像が構成する分量の評価について、考慮が不十分ではないかと疑問が残る。

まず➀「引用」の要件として用いた「公正な慣行」は、条文上はかなり抽象的であり、その部分について本判決は具体的に明らかにしないで、Twitterの利用規約に違反することが公正な慣行に合致しないと言うばかりである。
Twitter内部での慣行を検討する前に、Twitter内以外の、言語の著作物における引用における慣行を検討してみることとする。これも判例上は具体的明らかにはなってはいないが、著作者名、著作の題号及び著作の収録物の題号、発行者、並びに被引用箇所を明示することと、文章中の引用箇所を明らかにすること、あるいは引用した旨を明示することが通常の慣行であると思われる。また、インターネット上の言語著作物からの引用の際には、引用したウェブサイト等のURLや、後から編集可能であるという特性を鑑みて被引用文章を入手した日付を示すのが慣行となっている。以上が一般的な引用の形式であるが、これらは十分条件であり、これらの方法以外でも、引用したことが客観的に明らかにされていれば、そして引用した著作を明示していれば引用の要件を満たすと考えられる。(※7)
Twitter上のコンテンツを引用する場合も、少なくとも上のような言語の著作物一般における引用の公正な慣行に則っていれば、後述のTwitterの利用規約に反していたとしても、著作権法上の引用の成否には影響を及ぼさないと考えられる。

また、上のような一般的な引用の方法に則っていなくても、一定の集団の中で定着している引用の方法で、客観的に認識でき、かつ著作権法上の引用による著作権の制限の目的に合致するものは、「公正な慣行」に該当するものとして認める余地がある。そこで、著作権法上の引用による著作権の制限の目的について考察する。

そもそも著作権法は、何度か述べている通り、「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的と」しているところ、著作権を構成する各種権利には、複製権、公衆送信権、口述権などがあり、著作者の許可なくこれらの権利の内容となっている行為をすることは、まず間違いなく著作権を侵害する行為である。著作権を構成する各種権利は、著作物の利用に関する一切の行為についての権利となっている。したがって、他人の著作物の利用は、ほぼ全て著作者と交渉し、その利用に係る許可を求めることが同法の想定するところである。
しかし、現実には様々な著作物が様々な場面で幾度となく利用され、それが様々な文化の発展に寄与している。また、一つの著作物に対し複数の著作者が存在することは少なくなく、全ての著作者と円滑に連絡が取れるとは限らず、また著作物には著作者と連絡を取るのに必要な情報が含まれているとは限らず、そもそも著作者の所在を知ることが不可能な著作物も存在する。そうすると、もしすべての著作物の利用に際し、同法が想定する著作権者からの許可を得ることを厳密に求めていたら、社会、そして人類全体の財産であるはずの著作物を著作者以外が利用することはほとんど期待できず、文化の発展に寄与するという目的を達成することは到底できない。
そのための解決法のひとつとして、社会で合意が取れた手段によって他人の著作物を利用することを引用とし、引用として認められる限りにおいて、著作権を制限することで、社会全体で著作物の利益の一部を得ることが引用の制度趣旨である。(※8)
以上の引用の制度の趣旨を鑑みれば、本件のスクリーンショットで作成した画像で引用する自体は、それが一般人から見て引用と認めてもよいと思える態様であるならば、問題はないと言える。ただし、その引用が、不当に他人の権利を侵害すると認定できる場合は引用の制度趣旨を逸脱したものとして見ることもできる。つまり、スクリーンショットで作成したによる引用は、他の引用形式と比べて特に問題がある引用の方法とは言えず、引用の成否については他の引用の形式と特段異なった検討をする必要はない。


次に、②Twitterの利用規約と著作権法上の引用の成否について検討する。とはいえ、利用規約が、Twitter社とTwitterユーザーとの間での取り決めに過ぎず、その内容は、法律に特段の定めがない限り、法律が優先されるといえばそれまでで、利用規約に違反することが著作権について法律上の影響はないのかもしれない。しかし、この点についても本判決の誤りを明らかにし、的を得た指摘をするために丁寧な検討をしたい。

まず、利用規約と法律と、それぞれの法律の世界での立ち位置を基本的なところから整理する。(今回は、私法の分野に絞った話に留めることとする。)
日本の法制度では、法律と、契約の一種である利用規約は明確に効力の範囲や権威は明確に異なる。法律は、その条文で特段の定めがない限りは要件を満たす全ての人に適用され、特段の定めがない限りは憲法を除く他の命令や規則、契約等に優先する決まりである。一方で利用規約を含む契約は、その効力は契約を結んだ両当事者のみに及び、また契約の内容が法律に反する場合は、その契約の一部または全部が無効となる。また契約は、契約を締結した両当事者らで自由に内容を決定でき、両者が合意さえすればどんな内容でも良い。また、法律に反しないで両者が合意して締結された有効な契約は、法律による保護を受け、両者は契約で決めた内容を誠実に履行する義務が発生する。

こうした点を踏まえれば、「Twitterの利用規約に違反したため、引用は成立しない」という論理は誤っていることが分かる。しかし本判決は、「Twitterの利用規約に違反しているため、公正な慣行に合致するとはいえない」という表現をしており、上の論理とは微妙に異なっている。この違いについても検討する。

ここで言う「公正な慣行」とは、「Twitter上もしくはインターネット上において、Twitterもしくはインターネット内のみで行われる引用・被引用の形態で、多くの人に認められ、Twitterもしくはインターネット内で合意を得られている引用の方法であり、法律の趣旨に反しないもの」と言える。
この内容については、この文言も特に「合意を得られている」の部分を厳格に解釈するか否かで判断が変わる。しかし、Twitter上においてでさえも明確な合意を形成することは現実的に不可能であることは明らかであるため、「公正な慣行」という基準を設ける以上、厳格度には上限がある。こうした点を整理した上でどの程度に厳格に解釈するべきかというと、「一般のユーザーが見て引用だと明確に認識できる形態」で行われた引用は、合意が取れているとみなすべきである。これは結局、ここでいう「公正な慣行」も一般的な引用の要件の「公正な慣行」に還元され、➀で述べたように、引用の成否において、このような場合にも特別な検討を要しない一貫した判断基準を設けることになり、一般の著作物の利用者の引用の成否への予測可能性に資する。

そうすると、本件のスクリーンショットで作成した画像での引用は、Twitter上で広く行われており、少なくとも引用されたツイートをしたアカウントの名前やアイコン及びツイートした日時がトリミングされていなければ、他人のツイートを転載したものと認識するのは容易であるため、引用の要件のうち明瞭区別性を突破することも難しくはないだろう。特に本件においては、実際の画像を見ることは敵わないが、アイコンが映っていることが伺えるので、引用と認められる可能性は十分にある。

これらを踏まえると、本判決が「Twitterの利用規約に違反しているため、公正な慣行に合致しているとはいえない」と結論付けたことは、「公正な慣行」の理解を誤っており、またTwitterの利用規約への適合は「公正な慣行」に従っていることの十分条件である可能性があるが、少なくとも必要条件ではないため、論理が成立していない。
また、Twitterの利用規約はTwitter社とTwitterユーザー間の契約であり、その契約の内容はTwitterユーザー間であっても、その効力は発しない。その点で重ねて、Twitterユーザー間の争いである本件とTwitterの利用規約は無関係である。


また、③スクリーンショット画像を添付したツイートにおける引用における、被引用著作物の締める割合による主従関係の判断について疑問がある。

まず、引用して採録した著作物を、スクリーンショット画像があるツイートのみを単独で切り離した一のツイートのみであることを前提にしていることである。ツイートで表現したいことは、必ずしも一つのツイートで表現できるとは限らないのは、Twitterの140字制限であったり、あるいはスレッド機能の存在などで、いくつかのツイートで一体的に表現していることも少なくない。本件の被告のツイートがどのような態様であったか不明だが、その内容は、本判決の認定では、他のユーザーに対しての原告アカウントの紹介や、他のアカウントへの報告、客観的な意見を求める他、原告とのやり取りの最中のものもある。それらを、周辺のやり取りを考慮することなく、ツイートがツイートとして独立して存在しているという理由のみで、全体で表現しているとは考えていない点は問題があり、これは量的、あるいは質的な主従関係に判断に影響を及ぼす要素である。(※9)


ただし、この点に関しても、常に前後の状況も含めて一体で著作物かどうかを判断せよと求めるものではない。上述したスレッド機能という、自身のいくつかのツイートを連結させて、ツイートを開くことでスレッドに繋がった他のツイートを同時に表示する機能があり、それを使わなかった点で、一体で捉えなければならないとするには早計とも思える。

また、Twitter特有の問題点として、ユーザーがツイートを閲覧するのは、通常、いくつかのユーザーの投稿が、アクティビティ(に基づくTwitterのアルゴリズムが判断した)順で、あるいは最新のものから時系列順で表示される「ホームタイムライン」と、ある特定のユーザーのヘッダーやプロフィールと、その下にツイート、ツイートと返信、メディアなどといったタブとそれに当てはまるツイートが時系列順で表示されている「プロフィールタイムライン」のいずれかであると思われ、想定するのもその2つだ。(※10)
このうち特に問題があるのは、「ホームタイムライン」の方で、閲覧するユーザーのフォローしているアカウントの全てが投稿時間順に表示される点だ。そのため、上で述べたスレッド機能を使ってたとしても、使っていなかったらなおさら、1人のユーザーの複数のツイートに跨る流れや前後の文脈は分かりにくくなる。裁判所が、あるいはTwitter自身が、タイムラインというときにどの種のタイムラインを中心にツイートの前後の文脈の繋がりを考慮することになるのか不明である(そもそも前後の文脈を想定しないことは省いているし、それは不当だと考える)。


※7 著作権法は、引用について定めた第32条とは別に、第48条第1項で著作物の出所を明示するするよう定めており、同法は著作物の出所を明示することが引用の要件であるとは考えていないと読むこともできる。もっとも、現実の慣行では出所の明示は引用の要件となっていると見ることができる。

※8 そしてこの理念は、「文化の発展につながる形」は「報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内」として、「社会で合意が取れた手段によって」は「公正な慣行に合致する」として条文上に具体化され、さらにこの条文が前記判例で引用著作物と被引用著作物とが「明瞭に区別でき」「前者が主、後者が従」の関係であることとより具体化されているのである。

※9 ツイートはひとつひとつ単独でURLが割り振られている。これを理由としてツイートを複数繋げて一体的に捉えることをしないのかもしれないが、通常のウェブサイトでも複数の別のURLが割り振られたページで構成されることも多く、説得力に欠ける。

※10 この段落で出した用語のうち、括弧内にあるものは正式な用語や一般のユーザーには伝わらない独自の用語である。note拙稿「Twitterの仕様と最高裁リツイート事件判決」の第2章「Twitterの仕様に関する知識」でいくらか詳しく述べている。



Twitterと裁判所の話

今回は、Twitterのスクリーンショットが映されたツイートの著作権を侵害するという東京地裁判決を取り上げた。これは地裁判決に過ぎず、以降高裁(恐らく知財高裁)にまで審理が続く可能性もある。

しかし、Twitterというインターネット上の文字表現プラットフォームは、現実の文字による表現であったり、あるいは今までのインターネットで主流であった掲示板やブログ、通常のホームページとは違った特性を有し、一般のユーザーにとって違和感のある理解が裁判所によってされてきた。ここでは、その一部を紹介する。


リツイート事件判決(最判令和2年7月21日判決)
Twitterの仕様により、写真の著作者名表示が切り取られたツイートをリツイートした人が、著作権(著作者人格権)を侵害したとして、発信者情報開示が認められた事件。
これについては、弁護士ドットコムによる記事(リツイート画像による「権利侵害」、ユーザーは「いいね」も気をつけるべきか?最高裁判決を読み解く)が詳しく解説している他、前記※10で上げたnote拙稿で、Twitterの仕様に着目した問題点について取り上げている。


東京地判令和3年11月30日判決
特段中立的ないし批判的なコメントを付さない通常のリツイート行為は、リツイートをしたツイートに賛同の意思を示すとして、個人の名誉を傷つける「名誉棄損」に当たるツイートをリツイートした者に、東京地裁が被害者への賠償を命じた判決。
同じく弁護士ドットコムの記事(中傷ツイート「RT」が賛同とみなされ賠償命令、「いいね」もアウトになる?)を参考としてあげさせてもらう。また、記事中でも言及があるように、以前の大阪高裁の判決(令和2年6月23日)では、リツイートは賛同ではなく、拡散することに問題があるとして賠償責任を認めており、この判決の方が正しい理解と思われる。


また、こういったTwitterでの「常識」からかけ離れた判断をする推測するに、裁判所にはTwitter、あるいはインターネットの事情に相当明るくない人が多いのではないかと思われる。
前年2021年の10月に行われた衆院選に伴う最高裁判官の国民審査の際に、審査対象の各最高裁判事に行ったアンケートが報道各社から公開された。このアンケートの第20問で、インターネットとの接し方やSNSの仕様状況についての設問があった。今回は最高裁判事11人に限り、最高裁判事は年齢層が高い(全員60歳以上)が、SNSを全く使っていない・ほとんど使っていないと読める回答をした者が少なくとも4人はいた。(※11)
このような状況で、裁判所にSNS上の問題に対して、適切な理解を前提にした判決を期待できようか。国民生活に資する裁判所として、国民のマジョリティであるSNSユーザーの持つ感覚を備えずにいられるのだろうか。



※11 深山卓也判事草野耕一判事安浪亮介判事堺徹判事の4名はSNSに疎いと読める他、そもそも回答が淡泊であったり、SNSに関する言及がない回答も多い。これはあくまでも、読み取れる範囲の最低限の人数である。(リンクは朝日新聞デジタルに掲載された各判事のアンケート回答の全部)

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