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lopess live report vol.0 即狂 2023.07.14




この世界に、或いは神等と呼ばれる人知を超えた人格が存在するとしたならば、私はきっと持ちうる全てを駆使して、それを冒涜し、否定するだろう。




何故なら神とは、崇められるべき象徴であり、それらを成立させるコミュニティに置いてこそ意味をなすアイコンのような存在であり、信仰故に許された事象だからであろう。


逆に言えば、信仰されない神が、何者にも理解されない力を持っていたとしても、その能力に名前はなく、存在そのものにまるで意味がない、路傍の石と変わらない自然現象以外の何物でもあってはならない。



そうでなければ、神と認知された自然現象は、人の力の及ぶ範疇に収まるはずである。



飽くなき探求の中、人は自然の力から解き放たれんとするために、科学を、或いは信仰を、美を、力を、言葉を、擬似的な神を生み出し続けてきた。



それらの叡智の総体は必然的に自然現象に名前を付け、意味が齎された。



瞬間、神は欺瞞という俗称を同時に受け継ぐ、歪つな化け物へと変わり果ててゆくのだ。




化け物を生み出してしまった薄汚れた修道士。




果たして彼に、神罰は下るのか?




彼に問い質す事、それこそが、私が神を汚す理由である。




神を否定するにはいつも後手を引く科学は、神と言うには程遠いラプラスの悪魔の口を借り、サイコロ遊びに興じる我々に問い掛ける。



「その遊びの報酬は何なんだい?」と。



私なら、こう答える。



何も要らないから、もう少しだけ楽しませてくれよ。どうせ死んじまうんだからさ。



私の答えに、あんたなら何て返すかな。



「だから死ぬまでサイコロを振るんだな」



かな?



もしかしたら、



「やすい報酬だ」

なんて言いながら、LSDでも投げてくるか。




アル中の豚を作り出すのが悪魔の所業ならば、神は人類にアヘンを投げつける。


まるで、カール・グスタフ・ユングが、患者の鬱病をオピオイドチンキで染め上げるかのように。



ドーパミン受容体から神経系に快楽を打ち込まれた猿を作り出すのが人知を超えた存在だとするなら、ひたすらブランコでくるくる回り続け酩酊を楽しむ子供達や、深い夜の片隅で反吐と淡い夢に塗れて亡我の彼方へ星を見る酔っ払いや、なけなしの金でプッシャーから白い粉の詰め込まれたパケットを買い漁る競り糞ジャンキーは皆、等しく啓蒙な殉教者だ。



全ては、人の脳内でつぶさに巻き起こる化学変化の連続であり、その自然現象に情動なんて言う関連性のないフラクタルを提示する悪魔の作り出した思考の牢獄の中の一風景であり、それは、終わりなき探求を綴った、擦られ続けて朽ち果てた教典でしかないのだ。




そこにある教えとは一体なんだい?




もしかしたら、それこそが神罰なのかも知れない。




仮に神罰を一身に受けたとして、私はそれでも無垢なる殉教者に、唾を吐きかける事ができるのか?




寧ろその神罰を受けるためにこそ、冒涜し続ける。




「神様は、死ねば良い」




これは、敬愛なる大馬鹿野郎最大のアンチテーゼだったっけな。




あんたはまだまだ戦い続けるのかい?




私はまた始めるつもりだ。




アンダーグラウンドの煮凝りを掻き集めたなけなしのプライドと殺虫剤から作り上げた幻覚物質とは名ばかりの毒物と小学生が夏休み最後の日に泣きながら作ったロンギヌスの槍を飽くまでも尊大に掲げ、いつまでも外なる神を冒涜し続けるジハードを。




そして、優しさと、おっかなびっくりのちょっとした好奇心と言う名の強烈な悪意に、













乾杯。













2023年7月13日。私はこの日、全てを放り出して逃げ出そうとしていた。


次の日に控えていたtooniceでの即興ライヴのイベントに参加したはいいが、7年ぶりのブランク明けであることや、バンド界隈から退いた様々な理由、誘ってくれた友人のシン・パンツへの期待に応えられそうもない無力感が、途方もない重圧となって私を押し潰そうと、大挙して押し寄せて来たのだ。


書くべき様々な心境は言い訳となる為端折るとして、シン・パンツはそんな私を気遣って、ライヴ前日に、二人でのセッションを促してきたのである。



プランは幾つかあった。



職場が壊滅的な打撃を受けて、ライヴどころではない。

身内が死んで、葬儀の準備の為、ライヴどころではない。

私とどうやっても連絡がつかないのでライヴどころではない。



しかしどのプランも、よくよく考えるとライヴに参加するより更に面倒臭いことになるのである。



どれを選んでもストレスでしかなかった。



気付けば、シン・パンツとM Studioで練習をしていた。



、、、断って置くが、シン・パンツと表記すると、パンティを仮面として被った変態か、若しくは少し黄ばんだブリーフ一丁のみで急所を守る素っ裸の変態を想像してしまう方も多いと思うが、そういう訳では断じてない。何処となく醸される小汚さが醤油顔のベビー・フェイスで帳消しになる程度のイケメンだ。パンティを被っているのは、そのフェミニンな心にだけである。



演奏やシン・パンツの助言や叱咤激励は、その瞬間瞬間では励みになるものの、間隙をついて押し寄せる重圧は、私の矮小な心を何時でもくしゃくしゃに叩きのめすのだった。



上の空の私を部屋へ泊めてくれたシン・パンツは、翌日、立ち上げたばかりの会社が気になると言い、私を部屋から追い出した。



時間を持て余した私は、香南楽湯で禊をした後、高松に住む友人夫妻と連絡を取り、お洒落なカフェで遅めの朝食へとしけこんだ。



無論その間も、禊の甲斐なく心ここにあらずである。



頼みの綱は、これまでずーっと私の心にトゲを宿してくれた鋲ジャンと、パッチだらけの薄汚れたクラストパンツだけだ。



良く考えたらこんな小汚いおっさんパンクスをお洒落なカフェへ連れて行って談笑してくれた友人夫妻は、なんて素敵なやつらなんだろうか。勿論シン・パンツもだが。



私なんぞうんこである。



友人夫妻が千葉に行った時の手土産、枇杷大福を受け取り二人と別れた後、いよいよ所在がなくなった私は、tooniceの横の駐車場に停車し、今回のイベント参加者の動向を窺いつつ、午後の熱気を帯びてきた太陽に晒されながら、うつらうつらと微睡みと不安と気怠さをまとっていた。



初夏の日差しの中、完全に真夏とは言えない様々なファッションを身にまとう人の群れが行き交う光景は、遥か彼方でか細げに最後の雄叫びを上げる蝉の断末魔に彩られてはいるものの、私の心は微動だにしない。



青のフリフリのワンピースに古風な蛇の目傘を日傘とした若い金髪の女性が、その傘に取り付けられた携帯を支える器具を駆使して、携帯をいじりながら徒歩で過ぎ去ってゆく姿にすら、なんの感想も持てずにいた、、、いや、ノースリーブから覗く健康的な二の腕と丈の短いスカートとニーハイの間に煌めく絶対領域は、中々にエロチックであった。



さて置きここに来てなお、私はこの場から逃げ出す方法を夢想していた訳である。



あれ?もしかしたら今日のイベントは中止なのかもしれないぞ?等と一縷の希望的観測を胸に、tooniceをちらりと覗き見ると、店のエントランスが開け放たれていた。



そーっと店に入り、誰かがドラムのセッティングをしていた所に挨拶をする。



「こんにちは!今日出演させていただくはらぞーです!宜しくお願いします!」



「あ、宜しくお願いします」



誰かも確認しないまま、、、恐らくオーナーの井川さんだったのだろうが、私はそそくさと店を後にした。


私は車に戻ると、完全に退路が断たれている事実に絶望した。こうなってしまった以上、プレッシャーを撥ね退ける以外、道はなくなってしまったのだ。



ここから私は、如何にして舞台上で誤魔化すかを考え始めた。



元来私はでかい図体にノミの心臓を詰め込んだ、非常に効率の悪い身体機構を、どうにか人前に出しても許されるラインに引き上げるために腐心して、これまで生きてきた。


何かしらのイベントに参加する時はその辺りがより顕著に頭をもたげ、人前に立つことを想像しただけでも、体中からあらゆる液体が滲み出るのである。



シン・パンツが昨日言ってくれた言葉を思い出し、ライヴに向けてのコンディションを整えようと懸命に記憶を辿る。




飲み屋でたまたま隣に来た年上のおっぱいの大きいお姉さんから、初対面であるにも関わらず、「真」なんて下の名前で呼ばれたら、男としては堪んねぇぞ。原さん(私)だって経験したら分かるぞ。もぉ、すげーんだから。




彼はその話をする度に、異様に興奮する。さぞ凄いワンナイトを楽しんだことなのだろう。


人が追い詰められた時思い付くことは大体繰り返し体に染み付いた物だけだと言うが、同時にそれは本質でもある。


私の目的を横切ったシン・パンツの本質は、おっぱいの大きいお姉さんと過ごしたすげー夜に集約されている事は、揺るぎようのない事実なのだろう。



うむ。人の本質なんて、所詮そんな物だ。



妙に納得した私は、再びtooniceへと向かうのであった。




、、、to be Continue

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