現代語訳『伽婢子』 幽霊諸将を評す(6)

 座の人々が感心しているところに、上野《こうずけ》国箕輪《みのわ》城主だった長野信濃守業正《なりまさ》がやって来た。この者は関東管領《かんれい》・上杉憲政《のりまさ》の家臣で、知謀無双で知られた譜代《ふだい》侍だったが、武田信玄に挑み戦い続けること七年目に病死し、その後、程なく子息の右京進《うきょうのじょう》業盛《なりもり》は信玄に城を落とされて一族は没落した。
 座に来た信濃守が左右を見回すと、山本勘助が一の上座にいるのが目に入った。無礼だと思った信濃守は会釈もしないで勘助の上座に上がり、刀の柄《つか》に手を掛けて詰問した。
「山本の傍若無人な態度には納得できぬ。お前はどれほどの手柄を立て、かような高慢な振る舞いに及ぶのだ。そもそもお前には三つの大罪がある。世の人々はこれらを知らぬがため、千年の苔《こけ》の下まで軍道《ぐんどう》鍛錬《たんれん》の名を盗み、ほしいままにしているが、これからお前の罪を顕《あら》わにし、罪過《ざいか》をつまびらかにしてやろう」
 勘助は少しも臆《おく》することなく、「それならば、早く語りたまえ。詳しい話を聞こうではないか」と答えた。
(続く)

 これまでの参加者たちは、それぞれ個人の意見を述べながらも対立を避けていましたが、今回、登場した長野業正《なりまさ》は、山本勘助に敵意をむき出しにしています。
 恐らく多くの方は長野業正という名にあまりなじみがないと思われますが、本文中にもあるように関東管領の元重臣で、病死(恐らく老衰)するまで武田信玄を退け続けた名将です。また、新陰流の祖で「剣聖」と呼ばれた上泉《かみいずみ》信綱《のぶつな》はこの長野家の家臣で、共に江戸時代の軍記物のヒーローでした。
 ちなみに、拠点にしていた箕輪《みのわ》城は榛名山の麓、現在の群馬県高崎市に史跡が残っています。

 続きは次回にお届けします。それではまた。


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