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古語⇔現代語。「水谷悠歩」の筆名で古典の現代語訳やオリジナル小説を書いています。(Am…

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古語⇔現代語。「水谷悠歩」の筆名で古典の現代語訳やオリジナル小説を書いています。(Amazonアソシエイトプログラムに参加しています) https://www.amazon.co.jp/~/e/B07BKYX47V/

マガジン

  • 現代語訳『梅松論』

    歴史書/軍記物語『梅松論』の現代語訳です

  • 『とりかへばや物語』・異性装関連

    『とりかへばや物語』と異性装(男装女子・女装男子)の古典に関する記事を含むマガジンです。

  • 現代語訳『さいき』

    御伽草子『さいき』の現代語訳(全訳)です。

  • 現代語訳『我身にたどる姫君』(第三巻)

    王朝物語『我身にたどる姫君』の現代語訳です。

  • その他

    雑多なものの寄せ集めです。古歌の現代語訳や古典作品に関する雑談、創作古語など。

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自己紹介

わたしのnote.comの記事でアクセス数の多いものを、名刺代わりに挙げておきます。 ① 『とりかへばや物語』を知っていますか? ② 異性装(男装女子・女装男子)を扱った古典作品とその起源について ③ 現代語訳『我身にたどる姫君』(作品紹介) ④ 現代語訳『玉水物語』(その一) ①②は古典作品の紹介や考察、③④は現代語訳がメインです。後者は加筆校正したバージョンをKindleストアで公開しており、プロトタイプ的な位置づけになります。 あと、Kindleストアで販売

    • 現代語訳『梅松論』(中先代の乱 その4)

       関東での合戦の有様が京都に伝わると、将軍(足利尊氏)は後醍醐天皇に奏上した。 「関東にて凶徒どもが乱を起こし、鎌倉に攻め入った旨の知らせが入りました。直義朝臣(足利直義)の下にはあいにく十分な兵が備わっておらず、防戦する手だてがなかった故、やむなく東海道に撤退したとのこと。速やかにわたしも関東へ赴き、彼らと合流すべきかと存じます」  しかし、いくら説得しても下向の許可が下りなかったため、将軍は独断での行軍を決断した。 「これは私情ではございません。あくまで主上の天下を思って

      • 現代語訳『梅松論』(中先代の乱 その3)

         ところで、この乱のさなかに湯治で相模国の川村山(神奈川県山北町)を訪れていた細川四郎入道義阿(頼貞)の元に使者がやって来た。息子の陸奥守顕氏からの使いで、「どうかご無事にご上洛してください」という伝言を伝えた。 「敵の中にありながら一功を成すこともできぬのは誠に無念である。このまま生き永らえても人々は不満に思うに違いない。ならば、この一命を奉り、子孫に合戦の忠を示そうぞ」  そう言って、義阿は使者の前で自害した。  この話を聞いた将軍(足利尊氏)は、「誠に忠臣の道とはいえ、

        • 現代語訳『梅松論』(中先代の乱 その2)

           報告を受けた下御所左馬頭殿(足利直義)は七月二十二日、鎌倉を離れて自ら迎え討つ決断を下した。同日、薬師堂谷(神奈川県鎌倉市二階堂)の御所に幽閉されていた兵部卿親王(護良親王)が亡くなったが、痛ましいという言葉では言い尽くせない最期であった。  両軍は武蔵国井出沢(東京都町田市)で激突した。左馬頭殿の軍は多数討たれ、上野成良親王と六歳の足利義詮を連れて東海道に退いた。手越の駅(静岡県静岡市駿河区)にたどり着くと、北条氏に恩顧のある伊豆国と駿河国の武士たちが襲い掛かった。供の

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        • 現代語訳『梅松論』
          5本
        • 『とりかへばや物語』・異性装関連
          3本
        • 現代語訳『さいき』
          27本
        • 現代語訳『我身にたどる姫君』(第三巻)
          53本
        • その他
          571本
        • 現代語訳『睦月連理𢢫』
          3本

        記事

          現代語訳『梅松論』(中先代の乱 その1)

           こうして建武元年(一三三四年)は暮れたが、翌二年(一三三五年)の天下はさらに乱れた。七月上旬、信濃国諏訪(長野県諏訪市)の上宮(諏訪大社上宮)の大祝である安芸守時継の父・三河入道照雲(諏訪頼重)と滋野一族は、北条高時の次男・相模次郎時行(幼名:勝寿丸)を大将として信濃国で蜂起した。  守護の小笠原信濃守貞宗が京都に状況を報告したところ、評定衆は「凶徒どもは木曽路を経て尾張国黒田(愛知県一宮市)に向かうはずなので、軍勢を尾張に向かわせるべきだ」と判断した。  その間、反乱

          現代語訳『梅松論』(中先代の乱 その1)

          現代語訳『梅松論』(中先代の乱) ~ はじめに ~

          今回から南北朝時代に成立した『梅松論』(延宝本)という歴史書/軍記物語の一部を現代語訳でお届けします。 具体的には南北朝時代の初期、建武二年(一三三五年)に起きた「中先代の乱」に関する箇所の抜粋を訳しています。 乱を起こした北条時行が主人公の『逃げ上手の若君』(松井優征 著)ではコミック13巻(第110話)までに該当し、アニメ1期の範囲を超えた内容になりますので、ネタばれが嫌な方は十分ご注意ください。 (「中先代の乱」の経緯や結末をご存じない方にはあまりお勧めしません)

          現代語訳『梅松論』(中先代の乱) ~ はじめに ~

          現代語訳『さいき』(補足その2)

           ここでは『さいき』の謎のひとつである「京の女はなぜ佐伯に惚《ほ》れたのか」について、個人的な推察を述べておきます。 (以前にふせったーで投稿した内容と重複します)  結論から言うと、清水寺の本尊である「十一面千手観世音菩薩」による救済《くさい》が原因だと考えています。  この「観世音菩薩」は「慈悲で人々を救う」と言われています。信心深い者たちの味方ですので、日頃から清水寺に通っている京の女も救済の対象となることでしょう。  仏教における「救済」は「苦しみから救うこと」を

          現代語訳『さいき』(補足その2)

          現代語訳『さいき』(補足その1)

           ここでは、何度か取り上げてきた「『さいき』改変説」について改めて整理をします。  現存する『さいき』にはいくつかの問題が存在し、複数の作者が関与した可能性を示唆しています。 上記の問題点は、改変前に以下の設定だったと仮定すると解消します。  仮に「鎌倉の鶴岡八幡宮」が初期バージョンだったとした場合、「京都の清水寺」に改変された理由については、鎌倉幕府の栄光に関する記述を消すためだった可能性が考えられます。つまり、初期版は鎌倉時代、現存する底本は室町時代に完成したことが

          現代語訳『さいき』(補足その1)

          現代語訳『さいき』(その25)

           正室の出家を知った京の女はひどく驚いた。 「身分の上下にかかわらず、愛する人を奪われたら嫉妬するのが世の常だというのに、何と情の深い心延《こころば》えでしょうか。そもそも、わたしがあの人と再会して積年の思いを果たすことができたのは、奥方の情けのおかげです。このように殊勝な方をお一人で捨身《しゃしん》させたまま見過ごすわけには参りません。不肖ながら、わたしもご一緒します」  すぐに髪を切り捨て、正室と同じ庵《いおり》に籠《こ》もって勤行《ごんぎょう》に励んだ。  また、二人に

          現代語訳『さいき』(その25)

          現代語訳『さいき』(その24)

           対面した正室は、目映《まばゆ》いばかりの相手の美貌に胸を衝《つ》かれた。 「何と気品のある女性でしょう。武帝《ぶてい》の李夫人《りふじん》や楊貴妃《ようきひ》、衣通姫《そとおりひめ》、小野小町《おののこまち》といった伝説の美女たちと比べてもまったく遜色なく、あまりの美しさに茫然《ぼうぜん》とします。殿《との》はこれほどの方を見放したのですから、ましてやこのわたくしのことは、長い在京中に一度たりとも思い出さなかったに相違なく、不得心な人を頼みに思っていた自分が嘆かわしくてなり

          現代語訳『さいき』(その24)

          現代語訳『さいき』(その23)

           手紙を受け取った女は大いに喜び、すぐに都を立った。その後、豊前国《ぶぜんのくに》にある佐伯《さいき》の館《やかた》に無事に到着し、話を聞きつけた人々がひしめき合う中、完成したばかりの別邸に入った。 (続く) ★  京の女が佐伯の屋敷に到着しました。  佐伯・正室・京の女の三人が集まると、何が起きるのでしょうか。  間もなく物語は幕を閉じます。ここまでの展開も十分早かったですが、さらにスピードが加速しますので、ラストスパートに遅れないように付いてきてもらえると助かりま

          現代語訳『さいき』(その23)

          現代語訳『さいき』(その22)

          『長らくの不義理をどうかご容赦ください。心苦しい日々を過ごしていたところにあなたから消息《しょうそく》が届き、朝夕、肌身離さず持ち歩き、喜びをかみしめながら何度も読み返しています。迎えの者を遣わしますので、すぐに筑紫《つくし》へとお下りください。詳しい事情につきましては、屋敷でお目に掛かった際に直接伺《うかが》いたいと存じます』  書簡を携えた使者が京に向けて出発し、佐伯は立派な別邸を造成して到着を待った。 (続く) ★  佐伯に代筆してもらった「正室から妹に宛てた手

          現代語訳『さいき』(その22)

          現代語訳『さいき』(その21)

           一通りの準備が整うと、正室は急病を患った振《ふ》りをして佐伯を呼び寄せた。 「体調が思わしくなく、妹への消息《しょうそく》を書けそうにありません。大変恐縮なのですが、代わりに殿《との》の手で一筆したためてくれませんか」 「承知した。取りあえずやってみよう」  佐伯は言われた通りに代筆した。 (続く) ★  正室の策は続き、京の女に疑念を抱かせないよう、佐伯の手で手紙を書かせます。そろそろばれそうな気もしないわけではありませんが、女と別れて三年が経ち、完全に忘れているの

          現代語訳『さいき』(その21)

          現代語訳『さいき』(その20)

           一計を案じ、鷹狩《たかが》りから帰ってきた佐伯にさっそく相談を持ち掛けた。 「わたくしの妹は都でとある男性と一緒に暮らしておりましたが、気の毒なことに他の女に横恋慕され、暇《いとま》を告げられてしまいました。都を離れてこちらを頼りたい旨の文《ふみ》を送って参りましたので、どうか迎えを出させてもらえないでしょうか」 「相分《あいわ》かった。すぐに人を遣わそう」  佐伯は二つ返事で承諾し、下人たちに支度を急がせた。 (続く) ★  策を講じた正室は「京にいる妹が、男に捨て

          現代語訳『さいき』(その20)

          現代語訳『さいき』(その19)

           読み終えた佐伯の正室は大きな嘆息をついた。 「何と愛らしく趣《おもむき》のある恋文でしょう。この素敵《すてき》な方をぜひとも当屋敷にお招きしたいところですが、道理をわきまえないあの人をどのように説得致しましょうか」 (続く) ★  京の女からの手紙を読んだ佐伯の正室は、怒りや嫉妬といったネガティブな感情を抱くのではなく、「この女性を屋敷に呼び寄せたい」と予想外の反応を示します。  本文ではやや固めの口調にしましたが、女を評価している箇所の原文は「あらうつくしや、おも

          現代語訳『さいき』(その19)

          現代語訳『さいき』(その18)

           手紙の最後に歌と共に、佐伯《さいき》が都を立つ際に形見として渡した鬢《びん》の髪が添えてあった。   見る度《たび》に心尽《こころづく》しのかみなれば宇佐《うさ》にぞ返《かへ》す元の社《やしろ》へ  (目にする度に心がかき乱れますので、この髪は宇佐《うさ》神宮にお返し致します) (続く) ★  手紙には佐伯の髪と共に、「形見の髪を返す」という趣旨の歌が添えられていました。「これ以上は耐えられないので、あなたのことをできるだけ忘れるようにします」という、女からの離縁状

          現代語訳『さいき』(その18)