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今回から南北朝時代に成立した『梅松論』(延宝本)という歴史書/軍記物語の一部を現代語訳で…
こうして建武元年(一三三四年)は暮れたが、翌二年(一三三五年)の天下はさらに乱れた。七…
報告を受けた下御所左馬頭殿(足利直義)は七月二十二日、鎌倉を離れて自ら迎え討つ決断を下…
ところで、この乱のさなかに湯治で相模国の川村山(神奈川県山北町)を訪れていた細川四郎入…
関東での合戦の有様が京都に伝わると、将軍(足利尊氏)は後醍醐天皇に奏上した。 「関東に…