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たま
2021年1月1日 00:00
かつて、在原《ありわらの》業平《なりひら》が小野《おのの》小町《こまち》の霊と交わし合った歌のように、そよ風が吹くにつけてもいら立ち、野辺《のべ》の糸薄《いとすすき》の穂のように心が揺れていた。恋の闇のために心細く、夜空の澄み切った星の光が目に染み、その煩《わずら》わしさに嘆きながら袖で顔を覆う。錏《しころ》頭巾《ずきん》姿の畳屋《たたみや》伊八《いはち》は、秋でもないのに霧に包まれて春の蝶《ち
2021年1月10日 16:39
勝手《かって》の方から女将《おかみ》の声が聞こえてくる。「ああ、湯取《ゆと》り飯《めし》の加減を見て、芋《いも》と麩《ふ》を薄醤油《うすじょうゆ》で炊いて出してくれ。またしょっぱくして、おさんの舌に合わない味にするんじゃないよ」 やがて、襖《ふすま》を押し開けて女将《おかみ》が部屋に入ってきた。「おさん、今宵《こよい》の熱は高くないか。気分はどうだ。して欲しいことがあれば、何なりと皆に言い
2021年2月7日 21:17
金村《かなむら》屋夫妻が去った後、伊八《いはち》は襖《ふすま》を開けて押し入れからそっと出た。その顔は涙で泣きはらしていた。「なあ、おさん。かねてより繰り返し言っていていることだが、先ほどの親方たちとのやりとり、何と美しい絆《きずな》であろう。そなたの神仏の加護が末恐ろしい。どうか悪く思わないでくれ。俺はいつまでもここにいても仕方のない身だが、そなたは一刻も早く病を治し、ここで働き続けるべきだ