現代語訳「我身にたどる姫君」(第二巻 その62)

「どうにかして、女四宮が急な病で倒れて欲しい」
 無駄な願いもむなしく、屠所《としょ》に引かれていく羊のような心境のまま、何の進展もなく日は暮れていく。
 権中納言は甲斐《かい》がないことだと分かっていながら、いつものように女三宮に手紙を送った。

  いかなりし代々《よよ》の契りぞ夢ながら
  我身《わがみ》も我にあらずなりなば
 (このまま今のわたしではなくなってしまったら、夢のような逢瀬《おうせ》を交わしたわたしたちは、いったいどのような宿世《すくせ》だったというのでしょうか)

 恐らく女三宮の目に留まったのだろう。同じ紙の上に歌が書き付けられているのに気づいた中納言の君が拾い、紙に包んで権中納言のもとに送られてきた。

  憂《う》き夢も変はる契りもさまざまに
  いかに結びし代々《よよ》のつらさぞ
 (あの者とのつらい夢のような契りも、他の方と結婚する宿縁《しゅくえん》も、どうしてこのようにつらい我が宿世《すくせ》なのかと、さまざまに思い知らされています)

 権中納言は文《ふみ》を胸に押し当て、涙を堪えることができなかった。
(続く)

 権中納言は冒頭で、「婚約が破棄されるために、女四宮が急病で倒れますように」と神仏に祈っています。――自分の過ちや決断力・行動力のなさを顧みることなく、何の罪もない者の不幸を望む姿は、人間性そのものを疑わざるを得ません。

 一方、女三宮は歌の中で権中納言との契りを「憂《う》き夢」(悪夢)だと見なし、他の女と結婚が決まっている男にどうして犯されてしまったのかと、自らの不運を嘆いています。相手に見せるつもりのなかった走り書きですので、嘘偽りのない本心のはずですが、相手の卑劣な行為を責めるのではなく、すべては前世の報いだと諦めていているところが、いかにも女三宮らしいと思います。
 なお、権中納言がこれを読んでどう思ったのかについては明記されていません。強引に「権中納言と女四宮との婚姻は悪夢のようで、ひどく悲しい」と曲解することもできなくはありませんので、「本当は自分に気がある」と思い込んだ可能性もゼロではありません。

 それでは、次回にまたお会いしましょう。


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