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現代語訳『さいき』(その7)

 急いで戻った竹松は一部始終を報告した。佐伯はしばらく思案したが、やがてある歌を思い出した。

  物陰にありと見えなば起きなせそ今宵《こよひ》過《す》ぐすな百舌《もず》の草潜《くさぐき》
 (もし、隠れていることを人に感づかれたとしても、絶対に立ち上がってはなりません。今宵《こよい》、百舌《もず》が草むらに姿を潜ませるように忍んで来てください)

「女の言伝《ことづ》てはこの歌の意味に違いない」
 嬉《うれ》しく思った佐伯は、すぐに身なりを整えて屋敷へと向かった。女も「今夜中に来て欲しい」と匂わせて来訪を心待ちにしていたため、相手がいきなり部屋に入ってきても特に抵抗はせず、二人は身体を重ね、現世だけでなく来世での夫婦の契りまで交わし合った。

(続く)

 女の謎のメッセージはとある恋の歌を指していて、そのことに気づいた佐伯は屋敷に駆け付け、無事に二人は結ばれました。

 ――という内容でしたが、実を言うと今回の文章には少し問題があるようです。説明が少々長くなってしまいましたが、ストーリーを楽しむ上では特に必要のない情報ですので、大変申し訳ありませんが興味がある方だけ続きをお読みください。

 逢い引きの合図になった「百舌《もず》の草潜《くさぐき》」ですが、扱っている歌は文中で挙げられている「物陰に」以外にも存在し、最終的には最古の歌集『万葉集』で詠まれた悲恋の歌まで遡ります。

  春さればもずの草潜《くさぐき》見えずとも我《あ》れは見やらむ君が辺りをば
 (春に百舌《もず》が草むらに隠れるようにあなたがいなくなっても、わたしは思い出の場所を見守り続けることでしょう)

(『万葉集』、読み人知らず)

  頼《たの》めこし野辺《のべ》の道芝《みちしば》夏深しいづくなるらむ百舌《もす》の草潜《くさくき》
 (夏になると、頼りにしている道芝が深くなって百舌《もず》が姿を消すように、あの人もどこかに行ってしまった)

(『千載和歌集』、藤原俊成)

 もし仮にこれらの歌が正解だったとすると、――軽薄な歌を詠み、次の文(歌)を用意しないまま、使いの者を断りなく屋敷の敷地に侵入させた佐伯に対して、「当然、あなたは『万葉集』や『千載和歌集』に載っている別離の歌くらいは知っていますよね?」と静かな怒りを表明したことになり、意味合いがまったく変わってきます。
 つまり、謎かけの言葉と歌が一対一ではないため、下手に古歌の知識があると正解にたどり着けないという、やや困った作りになっているわけです。

 また、そもそもの話で、上記の二首の歌にもあるように「百舌《もず》の草潜《くさぐき》」は本来、愛する人がいなくなることの例えとして用いられた言葉なので、異性を誘う意味で使用するのはあまり適切ではありません。

 これらの問題は登場人物二人の設定というよりも、作者自身が古歌にあまり詳しくなかった可能性が非常に高いのですが、少し見方を変えると、『さいき』をはじめとする「御伽草子」というジャンルは想定読者が一般庶民の小説ですので、予備知識を要求する小難しい内容よりも分かりやすさ・楽しさを優先した結果とも言えます。
(現代の軽めの小説やドラマと同じで、多少引っ掛かるところがあっても、あまり気にしないで先に進めるのが吉です)

 ちなみに、「物陰に」の歌の出典は不明です。作品では当時の多くの人が知っている流行歌という扱いですが、上記の問題を考えると実在しなかった、作者のオリジナル和歌かもしれません。

 それでは次回にまたお会いしましょう。


【 主な参考文献 】


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