現代語訳『伽婢子』 幽霊諸将を評す(2)

 不思議に思いながら寺に近づくと、数人の男たちが安左衛門《あんざえもん》に声を掛けてきた。
「これから庭に集まって精霊《しょうりょう》送りをするところなのですが、いい機会なので一緒に遊んでいきませんか」
 中へ入ると寺の庭にはむしろが敷かれ、誰かを待っていると思《おぼ》しき小姓の者たちが腰を屈めている。
 しばらくすると、越後《えちご》国・長尾《ながお》謙信《けんしん》の家臣である直江《なおえ》山城守、北条氏康《うじやす》の家臣である北条左衛門佐《さえもんのすけ》、武田信玄《しんげん》の軍法師範である山本勘介《かんすけ》入道道鬼《どうき》がやって来た。上座に山本が上がり、次に直江、その次に北条が座り、軍法のことなどを語り合った。
 北条左衛門佐が言った。
「ところで、武田信玄は知謀・武勇を兼ね備え、思慮深く、軍陣は常に堅固で士気も高く、威勢を失うことはない。敵に向かって戦うときは流水のごとく、勝ち戦では晴天に燦然《さんぜん》と星が輝くようである。気性の潔さは水晶輪に例えられるが、みずから武勇を誇り、諸将の和を求めぬため、四方を敵国に囲まれて常に苦しめられている。軍の備えは兵法に記されているように虚実の勢分《せいぶん》を守っているが、奇襲と正面攻撃を上手く併用できないため、小利を得ても大勝はない。戦術において不安なところはなく、大敗することはなく、その権威も高く、光り輝いてはいるものの、もはや草創の頃ような功を得ることもなく、ただ自国の境界を守っているばかりで、最後まで大業を成し遂げることはないだろう」
(続く)

 戦国時代、互いに国境を接して戦い合った上杉・武田・北条の家臣たちが集まり、武田信玄について評しています。北条の家臣によると、武田信玄は武勇に優れ、戦術面の欠点はありませんが、戦略的な視点に欠けているために天下統一は到底無理とのことです。
 ちなみに、この時点(永禄九年:1566年)で武田信玄はまだ存命ですので、予言のような内容になっています。

 続きは次回にお届けします。それではまた。


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