現代語訳『伽婢子』 夢のちぎり(5)

 耐え難くなった左近《さこん》は、船に竿《さお》さして橋本《はしもと》に行き、例の店に入って酒を求めた。出てきた主人は左近《さこん》を見て非常に喜び、中に呼び入れて大いにもてなした。
 しばらく雑談をした後で主人は語った。
「わたしには二十前の一人娘がおります。昨年秋の暮れにあなた様がこの店にやって来て、酒をお飲みになっている姿を目にした娘が一目惚《ほ》れし、恋い焦がれて病となってしまいました。床に伏し、ただ鬱々《うつうつ》と独り言をつぶやく様はまるで酒に酔ったようで、医師に頼んで治療を試みてもまったく効果がなく、陰陽師《おんみょうじ》に祓《はら》わせても容体が悪くなるばかりで一向に治らず、折々にあなた様の名を呼んでおりました。昨日になって、『明日、必ずやあの方がおいでになります』と言い出して、またいつもの狂気から出た戯言《ざれごと》かと思っておりましたが、本日、言葉通りにあなた様がいらっしゃいました。これもひとえに神のお告げなのでしょう。願わくは、どうか我が娘を妻として迎えてやってもらえませんか。ささやかではありますが、わたしの持つ財産をすべてお譲り致します」
 二人は互いに氏素性《うじすじょう》を明らかにし、左近は結婚の申し出を受け入れた。
 その後、左近が女の部屋に入ると、部屋や庭の様子がすべて夢に見たものとまったく同じだった。
 女はすぐに寝床から起き上がり、体調も回復した。その容姿や話し方、声は夢の中と少しも変わらなかった。
「去年の秋の頃、あなたを見初《そ》めてからというもの、あなたへの思いが胸を塞《ふさ》ぎ、面影が身体から離れず、どういうわけかあなたと契る夢を毎夜見続けておりました」
 女の語る話は左近が見た夢とまるで同じで、小袖《こそで》に落とした灯花《ちょうじがしら》の跡や琴の曲名、香箱《こうばこ》など、すべてが寸分《すんぶん》も違《たが》わなかった。
 これを聞いた人々は誰もが不思議に思い、二人の魂が行き通って深く契り、切っても切れない関係になったのだろうと噂《うわさ》し合ったという。
(了)

 今回で『夢のちぎり』は終わりです。ここまでのお付き合い、ありがとうございました。
 怪異小説と称される『伽婢子』の中で最も「普通」なエピソードの一つで、他とは異なり、怪異や仏教テーマを含まない異色作品と言えます。
 個人的には、主人公が娘と直接顔を合わせる前に、父親からの結婚の申し出を承諾しているのが印象的でした。それだけ思い詰めていたということなのでしょう。

 次回からは新しいエピソードをお届けします。それではまた。


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